秀吉の妻・北政所ねね終焉の地 圓徳院 春の夜間拝観へ
豊臣秀吉の正室・北政所寧々が晩年を過ごした圓徳院の夜間拝観に3月17日(金)に行って来ました。圓徳院も何度か行ってますが、ライトアップされた庭を見たことがないので、会社帰りに寄ってみたんですけど・・・日が暮れるのが遅くなって・・・結局・・・明るいままでした・・・
。
何処かで食事をしてからと思ってところ直行してしまいご覧のように明るいままです。正門は長屋門の形態をとっており、拝観受付は左手にあります。(余談ですが、私が最初に来た頃は右手でした。
)
受付の人に「ライトアップは何時からですか
」と尋ねると「既にライトは付いてます、日が暮れのを待って下さい」と言われ、少し考えて入ることにしまた。そしたら「高台寺との共通券はどうですか
」と聞かれたので、先週も行ってますが、共通券の方が得になるので・・・買ってしまいました
。
拝観料900円を納めたらポストカードセットをいただきました。これは共通券購入者の記念品だそうです。それで石畳の参道を進むと正面に唐門、右手に庫裏があってライトに照らされています。その唐門には「圓徳」の扁額が架かっていました。
参道脇には既に行灯が灯っていますが、まだ日が暮れてないので、殆ど分かりません
。さすかにこの時間では人は少ないようです。
その唐門をくぐって直ぐの右手にライトに照らされた
手水鉢が置いてあります。照らされたと言ってもこの時間では、全然わかりませんが・・・
。
案内板には「秀吉好みの手水鉢。秀吉が西尾家(今川義元の親戚)に世話になった礼とし贈ったもので、後に西尾家から圓徳院に寄贈されたもの」とありました。
ライトアップは期待できそうにもないなぁ・・・と思いながら方丈(本堂)前までやって来ました。そこで靴を袋に入れて上がります。(靴は持ち歩きます)
入口でもらったパンフによると、1994年(平成6年)に方丈を解体修理されたようです。昼間なら、ここで寺の方より案内があるんですが・・・今日は誰も居ません・・・。
そしてライトアップされてる南庭の見学です。昼間なら、ここで腰を降ろして案内を聞くんですけどね。シンプルな枯山水庭園は、まだ日没の30分前・・・まだまだ西日は眩しい状態でした・・・。
この南庭は、現代の名作庭家の北山安夫氏の監修によるもとだそうです。北山安夫氏は高台寺庭園や建仁寺“潮音庭”などで知られています。
この圓徳院は南庭より北庭がメインなんですよね。北庭に急ぎたい心は抑えて、今日は堂内をゆっくり見て回ります。最初は「室中の間」で、ご本尊が安置されてる筈ですが、ここは“撮影禁止”だったように思います。(前に来た時がそうだったので確認はしてません)ご本尊は三面大黒天だそうですけど、殆ど見ずに次へと向かいました。
案内に従って進むと、方丈左手に「上間(じょうかん)の間」があって、襖絵は志村正画伯作「雪月花図襖」です。
ここから“撮影禁止”の文字がありません。それで撮りました
。強い西日がまともに当たっているので、絵が傷むじゃないかと心配しつつ次へと急ぎました。
方丈の裏側は、ガラスケースの展示室になっています。ここで数名の方が見学してたので、後から見に戻りました。、
その先には、方丈から渡り廊下を通って書院に行き北庭がある訳です。2013年から来て無かったので、こんなに渡り廊下・・・長かったかなぁ・・・と
。
渡り廊下の真ん中に、手水鉢がありましたが、何故こんな所に手水鉢があるのか・・・分かりません。
この渡り廊下の突き当たりに、小高い渡り廊下へ出る階段がありますが、その手前・・・方丈右手裏にあたる“松竹梅の間”があったので見て来ました。
「下間(げかん)の間」には、木下育應画伯 作の「松竹梅図襖」があって、ここもじっくり見学させてもらいました。
そして、階段を渡った渡り廊下の突き当たりに「無盡蔵」と書かれた土蔵があって、重厚な扉の奥もガラスケースに納められた展示室になっていました。
ガラスケースの中には、ご本尊のレプリカだと思われる三面大黒天像がありました。ご本尊は豊臣秀吉が念持仏としたと伝わっています。
その渡り廊下の外を見ると、結構人が行き来してます。その下は石塀小路から高台寺への抜け道となっているんですね、私も良く利用させてもらっています
。
そして長い渡り廊下を渡りきるとやっと書院に出ました。その書院の入口には「宗旦狐」がお出迎えです。
江戸時代御所周辺に出没した古狐。茶の湯の宗匠に化けて、茶会に出たり僧侶に化けたりしたという。
渡り廊下を抜けた左手に書院がありますが、その手前に右手に「歌仙の間」があるので、ここも見逃せません。
小さい部屋ですけど、“三十六歌仙“一つ一つじっくり見学・・・はしてませんが、誰も居なかったので写真は撮れました
。
そして書院を見ると、十数名の団体さんでしょうか、出て行かれました。そしたらチャイスですよね、先に写真撮影させてもらいました。
この一瞬だけでしたけどね
。伏見城の北政所化粧御殿にあった前庭を移築したと伝わる庭園をゆっくり観賞します。
庭園の木々が明るいのは西日ではありません。ライトに照らされて明るかったんですけど、もう少し陽が暮れてくれたら良いのにね
。
圓徳院の北庭は、伏見城北政所化粧御殿前庭を移築したものと伝わり、当時は池泉回遊式庭園だったものを移築後は、枯山水庭園となりました。秋の紅葉は見事です
。
写真上の奥にあるのが“歌仙の間”です。やっぱり北庭は良いですね、ここの縁側に腰を降ろしてゆっくり時間が過ぎるのを待ってました。
書院内にあった「豊臣秀吉」の掛け軸と「高台院北政所寧々」の掛け軸がありましたが、少し色褪せてきているように思いました。
また、北庭の片隅には「茶室」があります。昼間なら500円で抹茶とお菓子をいただけますが、今日はされてませんでした。
その“茶室”前にあるのが、「桧垣の手水鉢」があって、宝塔の笠を利用されるそうです。北政所寧々さんもこの庭園を眺めて晩年を過ごされたんでしょう。(写真を撮り忘れたので以前のものを使いました
)
帰りは書院の右手から出て、持参してきた自分の靴を履き替えます。やっぱりこれ以上、日が暮れるのは待てないので、次の高台寺に向かうことにしました。
出口にお寺の係の方がたっています。ここから入れば無料で見られてしまいますからね、“監視カメラ”ありと書いてありますが・・・どうなんだか
。日が暮れなかったのは仕方ないけど、久し振りの圓徳院は良かったです
。
出たら最初に見るには三面大黒天堂ですが、このエリアは普段から無料で見られます。圓徳院のご本尊“三面大黒天像”の写しが祀られているとか。大黒天、毘沙門天、弁財天の三つの顔を持った仏様だそうで、秀吉も念持仏として常に拝んでいたのでしょう。
その左手には、京都三仙堂の1つと言われている「歌仙堂」があります。京都三仙堂とは洛翠庭園にある画仙堂と石川丈山の詩仙堂と、ここ歌仙堂です。
高台寺の夜間拝観を終えて、圓徳院の前を通りました。すっかり暗くなってて長屋門の正門がライトに照らされています。
こうなったらもう一度入りたくなりましたが、金曜日だし仕事帰りで疲れていることもあって写真を撮っただけで帰路にに着きました。
【圓徳院 北庭】



何処かで食事をしてからと思ってところ直行してしまいご覧のように明るいままです。正門は長屋門の形態をとっており、拝観受付は左手にあります。(余談ですが、私が最初に来た頃は右手でした。

受付の人に「ライトアップは何時からですか



拝観料900円を納めたらポストカードセットをいただきました。これは共通券購入者の記念品だそうです。それで石畳の参道を進むと正面に唐門、右手に庫裏があってライトに照らされています。その唐門には「圓徳」の扁額が架かっていました。
参道脇には既に行灯が灯っていますが、まだ日が暮れてないので、殆ど分かりません

その唐門をくぐって直ぐの右手にライトに照らされた


案内板には「秀吉好みの手水鉢。秀吉が西尾家(今川義元の親戚)に世話になった礼とし贈ったもので、後に西尾家から圓徳院に寄贈されたもの」とありました。
ライトアップは期待できそうにもないなぁ・・・と思いながら方丈(本堂)前までやって来ました。そこで靴を袋に入れて上がります。(靴は持ち歩きます)
入口でもらったパンフによると、1994年(平成6年)に方丈を解体修理されたようです。昼間なら、ここで寺の方より案内があるんですが・・・今日は誰も居ません・・・。
そしてライトアップされてる南庭の見学です。昼間なら、ここで腰を降ろして案内を聞くんですけどね。シンプルな枯山水庭園は、まだ日没の30分前・・・まだまだ西日は眩しい状態でした・・・。
この南庭は、現代の名作庭家の北山安夫氏の監修によるもとだそうです。北山安夫氏は高台寺庭園や建仁寺“潮音庭”などで知られています。
この圓徳院は南庭より北庭がメインなんですよね。北庭に急ぎたい心は抑えて、今日は堂内をゆっくり見て回ります。最初は「室中の間」で、ご本尊が安置されてる筈ですが、ここは“撮影禁止”だったように思います。(前に来た時がそうだったので確認はしてません)ご本尊は三面大黒天だそうですけど、殆ど見ずに次へと向かいました。
案内に従って進むと、方丈左手に「上間(じょうかん)の間」があって、襖絵は志村正画伯作「雪月花図襖」です。
ここから“撮影禁止”の文字がありません。それで撮りました

方丈の裏側は、ガラスケースの展示室になっています。ここで数名の方が見学してたので、後から見に戻りました。、
その先には、方丈から渡り廊下を通って書院に行き北庭がある訳です。2013年から来て無かったので、こんなに渡り廊下・・・長かったかなぁ・・・と

渡り廊下の真ん中に、手水鉢がありましたが、何故こんな所に手水鉢があるのか・・・分かりません。
この渡り廊下の突き当たりに、小高い渡り廊下へ出る階段がありますが、その手前・・・方丈右手裏にあたる“松竹梅の間”があったので見て来ました。
「下間(げかん)の間」には、木下育應画伯 作の「松竹梅図襖」があって、ここもじっくり見学させてもらいました。
そして、階段を渡った渡り廊下の突き当たりに「無盡蔵」と書かれた土蔵があって、重厚な扉の奥もガラスケースに納められた展示室になっていました。
ガラスケースの中には、ご本尊のレプリカだと思われる三面大黒天像がありました。ご本尊は豊臣秀吉が念持仏としたと伝わっています。
その渡り廊下の外を見ると、結構人が行き来してます。その下は石塀小路から高台寺への抜け道となっているんですね、私も良く利用させてもらっています

そして長い渡り廊下を渡りきるとやっと書院に出ました。その書院の入口には「宗旦狐」がお出迎えです。
江戸時代御所周辺に出没した古狐。茶の湯の宗匠に化けて、茶会に出たり僧侶に化けたりしたという。
渡り廊下を抜けた左手に書院がありますが、その手前に右手に「歌仙の間」があるので、ここも見逃せません。
小さい部屋ですけど、“三十六歌仙“一つ一つじっくり見学・・・はしてませんが、誰も居なかったので写真は撮れました

そして書院を見ると、十数名の団体さんでしょうか、出て行かれました。そしたらチャイスですよね、先に写真撮影させてもらいました。
この一瞬だけでしたけどね

庭園の木々が明るいのは西日ではありません。ライトに照らされて明るかったんですけど、もう少し陽が暮れてくれたら良いのにね

圓徳院の北庭は、伏見城北政所化粧御殿前庭を移築したものと伝わり、当時は池泉回遊式庭園だったものを移築後は、枯山水庭園となりました。秋の紅葉は見事です

写真上の奥にあるのが“歌仙の間”です。やっぱり北庭は良いですね、ここの縁側に腰を降ろしてゆっくり時間が過ぎるのを待ってました。
書院内にあった「豊臣秀吉」の掛け軸と「高台院北政所寧々」の掛け軸がありましたが、少し色褪せてきているように思いました。
また、北庭の片隅には「茶室」があります。昼間なら500円で抹茶とお菓子をいただけますが、今日はされてませんでした。
その“茶室”前にあるのが、「桧垣の手水鉢」があって、宝塔の笠を利用されるそうです。北政所寧々さんもこの庭園を眺めて晩年を過ごされたんでしょう。(写真を撮り忘れたので以前のものを使いました

帰りは書院の右手から出て、持参してきた自分の靴を履き替えます。やっぱりこれ以上、日が暮れるのは待てないので、次の高台寺に向かうことにしました。
出口にお寺の係の方がたっています。ここから入れば無料で見られてしまいますからね、“監視カメラ”ありと書いてありますが・・・どうなんだか


出たら最初に見るには三面大黒天堂ですが、このエリアは普段から無料で見られます。圓徳院のご本尊“三面大黒天像”の写しが祀られているとか。大黒天、毘沙門天、弁財天の三つの顔を持った仏様だそうで、秀吉も念持仏として常に拝んでいたのでしょう。
その左手には、京都三仙堂の1つと言われている「歌仙堂」があります。京都三仙堂とは洛翠庭園にある画仙堂と石川丈山の詩仙堂と、ここ歌仙堂です。
高台寺の夜間拝観を終えて、圓徳院の前を通りました。すっかり暗くなってて長屋門の正門がライトに照らされています。
こうなったらもう一度入りたくなりましたが、金曜日だし仕事帰りで疲れていることもあって写真を撮っただけで帰路にに着きました。
【圓徳院 北庭】