西国三十三所草創1300年 特別拝観 今熊野観音寺へ
西国三十三ヵ所草創1300年特別拝観として今熊野観音寺の本尊御開帳「特別内陣参拝」として、十一面観世音菩薩像と刀八毘沙門天が特別に公開されました。期間は、3月月11日(土)~3月20日(月・祝)で、拝観料は200円でした。
その西国三十三ヶ所 第十五番札所 今熊野観音寺に、3月18日(土)に行きました。目的は、その日で終わりの「京の冬の旅」“スタンプラリー”の接待が残っていて、その接待を受けるのが次ぎに行く所で、今熊野観音寺は・・・その前に寄ってみた・・・ということです
。
ここには8時33分に着きました。今熊野観音寺には最近では2014年10月と泉涌寺 七福神めぐりで来てますが、車で来たのは初めてです。しかし・・・それにしても駐車場は狭いですね、観光バスは止められないでしょう。多分、9時から御開帳だろうと思いやって来ましたが・・・。
駐車場に車を置き、先ずは階段を上がります。そしたら手水鉢があって、その奥に「子守り大師像」があります。その先の階段を上がると本堂前に出ますが、時間が早いので少しだけ遠回り
。
そう言っても正面から行かないだけで、そんなに遠回りは出来ません。少しばかり鐘楼によってから上にあがりました。
ここは分かっているだけで6回目でしょうか、多分もっと行ってるかも。まだ本堂には入らずに手水舎に寄りました。案内には「五智の井」とありましたが、弘法大師ゆかりの湧き水だとか。
その「五智の井」の脇には手水鉢があって、手を清めることができます。また、その隣には織部灯籠までありました。
時計の針は8時40分になっていましたが、そう広くない境内でこれ以上行くところもないので、本堂に上がりました。
本堂に入った左手に納経所があります。ここは西国三十三ヵ所と洛陽三十三ヵ所の札所となっているので、こんなに早くきても御朱印で何名か来られてました。
普段から堂内には入れますが、その堂内に入った左側に臨時の受付があって、僧侶の方が立って既に受付されてました。
そこで拝観料200円を納めて“散華”の記念品を受け取り、内陣奥に入って行きます。前途のとおり何度も来てますが、ここまで入るのは初めてです。そして秘仏十一面観世音菩薩像が御開帳されてました。その前には“御前立”これだけ近距離ならはっきりと見えましたし、お参りさせてもらてもらいました。
ご本尊の参拝のあと、堂内右側から出てきます。そこには泉涌寺 七福神めぐりでお馴染みの「恵比須神」が祀られています。
予定より随分早く、堂内に入れたので時間に余裕ができました
。それで、本堂の奥に見えている多宝塔まで行ってみようと・・・ふと、思い着きました。
じつは多宝塔まで登るのは初めてで、どこから上がるのか分からなかったけど、そんなに広くない境内・・・直ぐに分かりました。
そこへは鐘楼まで行き、そして近くにあった金龍弁財天にお参りしてから上がり始めますが、さすがに朝も早いので誰も居ません。
楼横から金龍弁財天を経て、参上の医聖堂(多宝塔)に到るまでの参道に石仏が祀られています。帰ってから調べると西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として安置されたようで「今熊野西国霊場」として整備されたようです。
天気も良かったですし、風も冷たかったので、約2分弱で上がれました。後述しますが、眺望もすごく綺麗だったし楽に上がれました。
いつか上がってみようと思ってたので、やっとここまで来れました。昨年33年振りに塗り替えられた外装により、鮮やかな朱塗りが蘇っています。
この平安様式の多宝塔は、「医聖堂」と呼ばれてるみたいで、医界に貢献された多くの方々が祭祀されてるそうです。
それより、眺望が良かったです。京都市の東に位置する今熊野観音寺からみる京都市街地は綺麗でした。
降りる毎に撮って行きました。私が確認できたのは東寺の国宝・五重塔ぐらいでしたけど、双眼鏡があれば我が社も見えたかも
。
再び降りて来て大師堂のお参りです。この日は堂内を覗く事はしませんでしたが、開創弘法大師や不動明王像、愛染明王像、藤原緒嗣像が祀られています。
それより歳も年だし、お堂の階段下にあった「ぼけ封じ観音」ここはお参りせずには居られません
・・・と言うよりもここに来たらいつもですけど
。
そして本堂前に満開だった枝垂れ梅・・・咲いてたのは、ここだけでした。その枝垂れ梅越しにみる多宝塔・・・あそこから降りてきました。
その大師堂の近くに鳥居があったので寄ってみると熊野権現社(上)と稲荷社(下)です。当山の鎮守社として鎮座されたのでしょう。
熊野権現社は弘法大師空海が、この地で熊野権現と逢われ縁で、守護神に鎮座されました。また、真言宗では稲荷明神を大切にされてるそうです。
もう一度本堂前に通った時は、時計の針が9時前になっていました。そろそろ人が増えてきましたね。ここは御朱印をいただくのに拝観料は要りません。
そこで再度本堂内に入って納経所で御朱印をいただくことにしました。ここでは西国三十三ヵ所と洛陽三十三ヵ所の他にも多くの朱印がある中で、初めて“御詠歌”の御朱印をいただきました。
本堂に近づくと分かりますが、ずっと御詠歌が流れています。私は御詠歌を知りませんが、女房の里では法事に御詠歌を上げる風習があるので、知ってるみたいです。
納経所をもらったら、本堂横にある「三重石塔」で見て、境内を出ることにしました。“当山創建時、平安様式”と案内板には書いてありました。
ここには9時ちょうどに出発しました。次が10時からの予定で、随分早い出発になりましたが問題ないです。写真の先に見えている鳥居橋・・・これが狭くて、対向車が来てもすれ違えないしね。
バス停「泉涌寺道」やJR・京阪「東福寺駅」から来ると、緩やかな坂を登る必要がありますが、車は楽です
。道が狭いのと、駐車場に車を止めるスペースが少ないことを除けば・・・です。余談ですが、9時出発時に、駐車場は既に一杯でした。
その西国三十三ヶ所 第十五番札所 今熊野観音寺に、3月18日(土)に行きました。目的は、その日で終わりの「京の冬の旅」“スタンプラリー”の接待が残っていて、その接待を受けるのが次ぎに行く所で、今熊野観音寺は・・・その前に寄ってみた・・・ということです

ここには8時33分に着きました。今熊野観音寺には最近では2014年10月と泉涌寺 七福神めぐりで来てますが、車で来たのは初めてです。しかし・・・それにしても駐車場は狭いですね、観光バスは止められないでしょう。多分、9時から御開帳だろうと思いやって来ましたが・・・。
駐車場に車を置き、先ずは階段を上がります。そしたら手水鉢があって、その奥に「子守り大師像」があります。その先の階段を上がると本堂前に出ますが、時間が早いので少しだけ遠回り

そう言っても正面から行かないだけで、そんなに遠回りは出来ません。少しばかり鐘楼によってから上にあがりました。
ここは分かっているだけで6回目でしょうか、多分もっと行ってるかも。まだ本堂には入らずに手水舎に寄りました。案内には「五智の井」とありましたが、弘法大師ゆかりの湧き水だとか。
その「五智の井」の脇には手水鉢があって、手を清めることができます。また、その隣には織部灯籠までありました。
時計の針は8時40分になっていましたが、そう広くない境内でこれ以上行くところもないので、本堂に上がりました。
本堂に入った左手に納経所があります。ここは西国三十三ヵ所と洛陽三十三ヵ所の札所となっているので、こんなに早くきても御朱印で何名か来られてました。
普段から堂内には入れますが、その堂内に入った左側に臨時の受付があって、僧侶の方が立って既に受付されてました。
そこで拝観料200円を納めて“散華”の記念品を受け取り、内陣奥に入って行きます。前途のとおり何度も来てますが、ここまで入るのは初めてです。そして秘仏十一面観世音菩薩像が御開帳されてました。その前には“御前立”これだけ近距離ならはっきりと見えましたし、お参りさせてもらてもらいました。
ご本尊の参拝のあと、堂内右側から出てきます。そこには泉涌寺 七福神めぐりでお馴染みの「恵比須神」が祀られています。
予定より随分早く、堂内に入れたので時間に余裕ができました

じつは多宝塔まで登るのは初めてで、どこから上がるのか分からなかったけど、そんなに広くない境内・・・直ぐに分かりました。
そこへは鐘楼まで行き、そして近くにあった金龍弁財天にお参りしてから上がり始めますが、さすがに朝も早いので誰も居ません。
楼横から金龍弁財天を経て、参上の医聖堂(多宝塔)に到るまでの参道に石仏が祀られています。帰ってから調べると西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として安置されたようで「今熊野西国霊場」として整備されたようです。
天気も良かったですし、風も冷たかったので、約2分弱で上がれました。後述しますが、眺望もすごく綺麗だったし楽に上がれました。
いつか上がってみようと思ってたので、やっとここまで来れました。昨年33年振りに塗り替えられた外装により、鮮やかな朱塗りが蘇っています。
この平安様式の多宝塔は、「医聖堂」と呼ばれてるみたいで、医界に貢献された多くの方々が祭祀されてるそうです。
それより、眺望が良かったです。京都市の東に位置する今熊野観音寺からみる京都市街地は綺麗でした。
降りる毎に撮って行きました。私が確認できたのは東寺の国宝・五重塔ぐらいでしたけど、双眼鏡があれば我が社も見えたかも

再び降りて来て大師堂のお参りです。この日は堂内を覗く事はしませんでしたが、開創弘法大師や不動明王像、愛染明王像、藤原緒嗣像が祀られています。
それより歳も年だし、お堂の階段下にあった「ぼけ封じ観音」ここはお参りせずには居られません


そして本堂前に満開だった枝垂れ梅・・・咲いてたのは、ここだけでした。その枝垂れ梅越しにみる多宝塔・・・あそこから降りてきました。
その大師堂の近くに鳥居があったので寄ってみると熊野権現社(上)と稲荷社(下)です。当山の鎮守社として鎮座されたのでしょう。
熊野権現社は弘法大師空海が、この地で熊野権現と逢われ縁で、守護神に鎮座されました。また、真言宗では稲荷明神を大切にされてるそうです。
もう一度本堂前に通った時は、時計の針が9時前になっていました。そろそろ人が増えてきましたね。ここは御朱印をいただくのに拝観料は要りません。
そこで再度本堂内に入って納経所で御朱印をいただくことにしました。ここでは西国三十三ヵ所と洛陽三十三ヵ所の他にも多くの朱印がある中で、初めて“御詠歌”の御朱印をいただきました。
本堂に近づくと分かりますが、ずっと御詠歌が流れています。私は御詠歌を知りませんが、女房の里では法事に御詠歌を上げる風習があるので、知ってるみたいです。
納経所をもらったら、本堂横にある「三重石塔」で見て、境内を出ることにしました。“当山創建時、平安様式”と案内板には書いてありました。
ここには9時ちょうどに出発しました。次が10時からの予定で、随分早い出発になりましたが問題ないです。写真の先に見えている鳥居橋・・・これが狭くて、対向車が来てもすれ違えないしね。
バス停「泉涌寺道」やJR・京阪「東福寺駅」から来ると、緩やかな坂を登る必要がありますが、車は楽です
