日蓮宗真門派本隆寺末寺 本妙寺へ
相槌神社を参拝して、本日予約している寺院の前を通り過ぎ、東高野街道に出ます。そこから南に下がった所にある八幡市の銘菓「ばん宗」を買いに行くつもりが、南無妙法蓮華経と刻まれた題目塔(だいもくとう)を目にしました。
この時・・・まだ寺の名も知りませんでしたが、奥に桜も見えたので、ちゅっとぱかり寄って行こう・・・と思い、そのまま境内に入って行くと・・・。
恐る恐る進むと、本妙寺の第二世の日門上人の殉教碑がありました。織田信長による法華宗と浄土宗との宗論(安土問答と呼ばれる)で犠牲となったと言われてて・・・。
その奥に庭園があって、ソメイヨシノが満開でした。この桜に誘われてここまで来て見ました。ただ駒札を読むと(これが、また見にくい。)織田信長の名前が出てきたりして・・・。
その正面に本堂がありましたが、1966年(平成8年)の不審火で本堂などが消失したんですね、現在の堂宇は2000年(平成12年に)に再建されたものたそうです。
非公開寺院のため内部には入れません。先週の正法寺でもありましたが、4月1日から13日まで、「八幡まちかど雛まつり」が開催されてて、ここ本妙寺でも雛飾りが見られました。
ガラス越しで見学させてもらいました。調べると当山では、京都府指定文化財の雲版を所蔵されてるようです。次に、本堂右横にある妙見堂です。
明治維新の廃仏毀釈の時に八幡宮境内からこの地に移されたようです。余談ですが、奥に見えている建物が・・・次ぎに行く・・・今日の目的地である寺院です。
本妙寺は法華宗日蓮宗真門派本隆寺末寺。安土宗論で犠牲となった普伝日門に帰依し、松花堂昭乗を養育した竹内伊豫守経孝によって1564年(永禄7年)創建されたそうです。
満開のソメイヨシノに誘われて境内に入ってきましたが、次の寺院と隣接してたとは・・・時計の針が9時37分・・・「ばん宗」・・・買いに行く時間がありません。
桜も綺麗でしたが、境内の片隅に咲いてた椿も綺麗でした。何気なく来て見ましたが境内の桜は綺麗で、この桜に寄せられた人が入って来られたので、私は出て行きました。
ここから次の泰勝寺は直ぐです。少し早く行って写真を撮りたかったので、先程山門の前を通ったので、戻る事にしまた。
【本妙寺 本堂】
この時・・・まだ寺の名も知りませんでしたが、奥に桜も見えたので、ちゅっとぱかり寄って行こう・・・と思い、そのまま境内に入って行くと・・・。
恐る恐る進むと、本妙寺の第二世の日門上人の殉教碑がありました。織田信長による法華宗と浄土宗との宗論(安土問答と呼ばれる)で犠牲となったと言われてて・・・。
その奥に庭園があって、ソメイヨシノが満開でした。この桜に誘われてここまで来て見ました。ただ駒札を読むと(これが、また見にくい。)織田信長の名前が出てきたりして・・・。
その正面に本堂がありましたが、1966年(平成8年)の不審火で本堂などが消失したんですね、現在の堂宇は2000年(平成12年に)に再建されたものたそうです。
非公開寺院のため内部には入れません。先週の正法寺でもありましたが、4月1日から13日まで、「八幡まちかど雛まつり」が開催されてて、ここ本妙寺でも雛飾りが見られました。
ガラス越しで見学させてもらいました。調べると当山では、京都府指定文化財の雲版を所蔵されてるようです。次に、本堂右横にある妙見堂です。
明治維新の廃仏毀釈の時に八幡宮境内からこの地に移されたようです。余談ですが、奥に見えている建物が・・・次ぎに行く・・・今日の目的地である寺院です。
本妙寺は法華宗日蓮宗真門派本隆寺末寺。安土宗論で犠牲となった普伝日門に帰依し、松花堂昭乗を養育した竹内伊豫守経孝によって1564年(永禄7年)創建されたそうです。
満開のソメイヨシノに誘われて境内に入ってきましたが、次の寺院と隣接してたとは・・・時計の針が9時37分・・・「ばん宗」・・・買いに行く時間がありません。
桜も綺麗でしたが、境内の片隅に咲いてた椿も綺麗でした。何気なく来て見ましたが境内の桜は綺麗で、この桜に寄せられた人が入って来られたので、私は出て行きました。
ここから次の泰勝寺は直ぐです。少し早く行って写真を撮りたかったので、先程山門の前を通ったので、戻る事にしまた。
【本妙寺 本堂】