吉野太夫ゆかりの鷹ケ峰 常照寺へ

西陣の立本寺を9時45分に出て北に向かって車を走らせ、鷹ケ峰常照寺には10時過ぎに到着しました。ほぼ予定どおりです。

画像
画像
車は常照寺の駐車場に止めます。結構広い駐車場に数台止まっていました。常照寺は春は桜、秋は紅葉の名所で知られていますが、私は初めて来ました。

鷹ケ峰の光悦寺や源光庵には何度か来ましたが、不思議とここには来れてませんでした。表の通りから奥まった所にある吉野門から境内に入ります。

画像
この朱塗りの門は、「吉野門」と呼ばれ、吉野太夫の寄進によるものとか。なお、車で来て駐車場に入れたら、この門の前に出てきます。

門を入ってら拝観受付があるのかなぁ・・・と思いましたが、この先のようです。その門を入った右手には「帯塚」なるものがありました。

画像
画像
1969年(昭和44年)伊豆蔵福治郎氏によって建立。塚石は自然石(吉野石)で珍しい帯状をなしており、作庭は名作庭家の中根金作氏(足立美術館や退蔵院の余香苑など)によるものです。

吉野門を入った突き当たりに本堂があって、その前の右手に拝観受付所があり拝観料400円と朱印をお願いしました。

画像
拝観時間は8時30分~17時00分と書いてありました。京都市の北部に位置する鷹ケ峰ですが、バス停からも近いので多くの人が来られてました。

拝観受付を済ませると本堂の左手にある庭園に行こうとしたら、後から声がして「先に書院に入ってください」と。桜目当てに来ましたが、言われたとおり書院に行くと・・・。

画像
画像
受付から書院へ渡り廊下を通りますが、その左手には綺麗な「紅枝垂れ桜」が満開で出迎えてくれました。書院の中は撮影禁止で、中ではビデオが流れてて・・・。

皆さん座って、見ていますが・・・どこかで聞いた声・・・昨年の3月末で放送が終わったMBS毎日放送「美の京都遺産」のビデオが流れていました。ナレーションは、もちろん津嘉山正種さん。毎週、かかさず見ていた番組のため、冒頭を見ただけで書院を出ました。

書院から渡り廊下を戻って、今度は本堂に上がります。ここに来るまで常照寺の宗派を知らずに来ましたが、堂内に入ってみたら・・・。

画像
画像
本堂を素通りされ、庭園に行かれる方も多い中、お参りさせてもらいました。堂内に入って、日蓮宗の寺院だろうとは思いましたが・・・。

1616年(元和2年)本阿弥光悦によって建立された日蓮宗の寺院で、開山の日乾上人は、常照寺に修行道場「鷹ケ峰檀林」を開設します。ここには、かつて広大な敷地に多くの堂宇があり、多くの学僧が修行に励みました。その「鷹ケ峰檀林」は、1872年(明治5年)まで続きした。

画像
本堂を降りると庭園ですが、ここの二手に分かれます。左手と右手に行けますが、先ずは左手にから。


画像
画像
画像
庭園に入ると、右手に「常冨大菩薩殿」左手に「鬼子母尊神堂」があり、ここの桜は綺麗です

ある夜、学僧が部屋の中で白狐が一心不乱に書見する姿を目撃します。その目撃された白狐は、能勢妙見さんに登り、修行を重ね常冨大菩薩となりました。それを常照寺の鎮守として祀ったのが常冨大菩薩殿です。また鬼子母尊神堂には、3体の鬼子母神像と十羅刹女が祀られています。

先程訪れた立本寺も法華宗寺院でしたし、ここもそうでした。境内の片隅には妙法龍神堂や、お百度石なんかもありました。

画像
画像
画像
この常照寺も紅葉の名所ですし、他の鷹ケ峰には「源光庵」や「光悦寺」も有名です。ただ桜は、ここ常照寺しか聞かないですね。

次ぎに分岐点に戻らず「白馬池伝説」と書かれた看板があって、「白馬池」と書かれた扁額の門をくぐり、石段を下ります。

画像
画像
この門をくぐると、結構急な石段を下ります・・・と言うことは帰りは登るんですけど・・・それを考えると、少し躊躇しましたが・・・やっぱり行きます。
画像
画像
池の畔に、手に法華経を持ち白馬に乗った観音様が祀られています。その昔、白馬に乗って池を往来していた仙人を「白馬観音」としてお祀りしたものだそうです。

結構・・・しんどい階段を再び登り、例の分岐点まで戻りました。その先には吉野太夫が好みの茶室などが案内に出ていました。

画像
画像
ここからは綺麗な桜並木が少しだけ続きます。本当は、この景気に釣られそうになったんです。京都市の北部にあるので、まだまだ桜は見頃です

そして最初に見るのが茶室「聚楽亭」です。分岐点から真っ直ぐに来ても、白馬観音から石段を上がって下の道から来ても、同じ所に出てきます。

画像
画像
画像
ここには“雪柳”や“山桜”が綺麗に咲いていました。少しばかり、扉を開けて貰えたら良かったんですけど・・・。

次が吉野太夫を偲んで建てられた茶室「遺芳庵」です。先程の「聚楽亭」も「遺芳庵」も内部を窺い知ることはできませんでした。

画像
画像
画像
この茶室には、壁一杯に切られた大きな円窓があって、吉野太夫が好んだことから“吉野窓”と呼ばれています。残念ながら外からは分かりません。

その先には、38歳の若さで亡くなった吉野太夫(1606~1643)のお墓があります。太夫の遺言により常照寺にお墓が設けられたそうです。

画像
詩歌・管弦・和歌・茶道・香道など諸芸能に優れた才色兼備の女性であった吉野太夫は、特に法華経の信仰が篤く、開山日乾上人に深く帰依したそうです。後に山門(吉野門)を寄進しました。

今日は4月14日ですが、4月9日(日)には、「吉野太夫花供養」が行われました。島原太夫が禿(かむろ)・男衆を従えて練り歩く太夫道中や野点茶会が行われたようです。帰りに受付に朱印を取りに寄った際、教えてもらいました。

ここから再び、最初に入った書院の前を通って本堂に出ます。その前に案内にしたがって「比翼塚」の前に出ました。

画像
画像
この塚は、吉野太夫と夫の灰屋紹益二人の供養塔で、石碑には紹益が詠んだ歌「都をば 花なき里になしにけり 吉野を死出の山にうつして」を13代片岡仁左衛門が揮毫しました。

画像
先程、書院への渡り廊下から見た枝垂れ桜ですが、最後に書院前に戻ってきたので撮れました。奥に見えているのが本堂です。

画像
画像
画像
画像
画像
最初の拝観受付でお願いしていた朱印帳を受け取り、その時「今週の日曜日に太夫道中があったんですよ、また来て下さい」と言ってもらいました。以前から知ってましたが、今週の日曜日だったんですね。

それで行きの時、知らずに通り過ぎたを見て、吉野門から境内を出ました。門を出て直ぐの左手が駐車場ですが、真っ直ぐに進みます。この門から表の道路までの間が桜・・・綺麗なんでよ、それに駐車場の中も綺麗です。常照寺は初めて来ましたが、約5000坪も敷地があるほど広かったです。そのためここには約40分ほど綺麗な桜を楽しめました。

【鷹ケ峰 常照寺 吉野門】



この記事へのトラックバック