紅葉の名所 鷹ケ峰 源光庵 春の風景へ
常照寺から車に戻らず、直ぐ近くの鷹ケ峰 源光庵に行くことにしました。源光庵にも大きな駐車場はありますが、歩いて行くことを選択。2分もかからず山門前に着きました。
ここ源光庵は、京都で屈しの紅葉の名所です。2014年には「早朝特別拝観」で訪れました。その時は多くの人で賑わいましたが・・・さて、今日は・・・。
そのまま進むと、次ぎに楼門を目にします。この辺りは、初秋になるとススキが綺麗なんですけど、まだ来たことがありません。
楼門を入ると左手に、鐘楼があります。まだ、ここまでは無料のエリアですし、本堂内や庭園を見るのが有料エリアとなります。
楼門をくぐると正面に本堂が見えます。その左が開山堂(中の写真)、そして左が書院と庫裏(下の写真)で拝観受付となっています。
前途の通り紅葉の名所で、秋には大変な人出で賑わいますが、誰も見当たりません。事前に調べて、桜の噂が聞こえてこないのは知ってましたが・・・ここまで誰も居ないとは・・・と思いながら入ってみると・・・。
庫裏の前に行ってみると、禅宗寺院では、よく見かける手前が開梆(かいぱん)、奥に雲版(うんぱん)がありました。
そのあと、庫裏のある部屋を覗くと、焙炉(ほいろ)と“張り紙”があり、読んでみると、“お茶の製造”に使われていたようです。
庫裏の玄関には拝観受付所があって、僧侶の方が座られています。秋以外は、そんに来られない観光客を黙々と待たれてて、そんな中で拝観料400円納めて上がってみると・・・。
書院に一家族(5名ぐらいでしょうか)が見学されていたので、誰も居ない本堂から回ることにしました。この本堂は1694年(元禄7年)の建立です。
堂内に入ると、先ずは「迷いの窓」(四角い形)と「悟りの窓」(丸い形)を撮りました。あまりにも有名なこの窓は、紅葉時では真っ赤に染まります。
これが、2014年(平成26年)以前の写真です。最近は行ってないので、撮影が解禁されたのか禁止のままかは知りません。
「迷いの窓」は、生老病死の四苦八苦を表しているとか。また、「悟りの窓」は、ありのままの自然の姿、大宇宙を表現しているとか。
黙って、ゆっくり座ってしばらく眺めて居ました。2014年には紅葉時(11月)に撮影禁止となりましたが、それ以前は写真を撮ろうと後で待ち構えてる人が多くて、座って見ていると、後から殺気を感じて、ゆっくり眺めてる雰囲気はありませんでした。
本堂の中央には本尊の釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)、両脇に阿難尊者(あなんそんじゃ)、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)が祀られています。
内陣には入れないので、本尊は垂れ幕のため殆ど窺い知ることはできません。外からお参りさせてもらいました。
ここで本堂の片隅に「鳥居元忠の位牌」を見つけました。あとで紹介しますが、ここには“血天井”があるんです。
鳥居元忠は、1600年(慶弔5年)に伏見城内で討ち死にしますが、その遺構である伏見城の床板が、ここ源光庵の天井板に残っています。
写真では分からないかも知れませんが、リアルに手形や足形が確認できます。激戦だったことを今に伝えていますが・・・。
「関ヶ原の戦い」の前哨戦で、伏見城を僅かな手勢で守っていた鳥居元忠は、石田三成率いる大軍に攻め込まれ落城します。徳川家康と懇意であった卍山禅師(かいざんどうはく)が手厚く供養し、その霊を慰めるため、源光庵の天井に張ったものです。
次ぎに、本堂横にある卍山禅師(かいざんどうはく)が1719年(享保4年)年に建立した開山堂に移動します。
ここも2014年に入った記憶があります。その時は、人が多くて・・・内部がどうだったか分かりませんでしたが・・・しかし、他の開山堂と比べて雰囲気が全然違うのが気になります。
開山堂から書院と庫裏を見ています。こうして前庭を見ても、誰も入って来られないですね、桜がないから・・・。
本堂に戻ると、書院に居た家族連れが入ってこられたので、私は入れ替わりに書院に向かいました。隣接する書院では室内と、源光庵庭園を見ることができます。
室内には、世界遺産「屋久杉屏風」と襖絵は、「山口雪渓 筆」(江戸時代中期)山水水墨画が8面が、掛け軸には解説が無いので不明です。
この庭園は、やっぱり紅葉ですよね。桜の木が見当たりません。殆どの方が入って来られないのが分かりました。空いていても庭に降りることは出来ないのは秋と同じです。
殆ど堂内に人が居ないので、ゆっくり観賞できました。紅葉時のあの喧噪とした雰囲気とはかけ離れてて、桜はありませんでしたが来て見て良かったです。
帰りは楼門から真っ直ぐ進みます。すると駐車場に出ますが、ここも結構広いので何台も止められそうです。しかし車は常照寺に止めたままですので、これから戻ります。
駐車場の入口に桜の木が一本だけありました。源光庵には10時38分に入って、10時53分に出て常照寺の駐車場から鷹ケ峰を出ました。車は金閣寺の前から「きぬかけの路」を通って帰路に着きましたが、途中で昼食を摂って次へと向かいました。
【鷹ケ峰 源光庵】
ここ源光庵は、京都で屈しの紅葉の名所です。2014年には「早朝特別拝観」で訪れました。その時は多くの人で賑わいましたが・・・さて、今日は・・・。
そのまま進むと、次ぎに楼門を目にします。この辺りは、初秋になるとススキが綺麗なんですけど、まだ来たことがありません。
楼門を入ると左手に、鐘楼があります。まだ、ここまでは無料のエリアですし、本堂内や庭園を見るのが有料エリアとなります。
楼門をくぐると正面に本堂が見えます。その左が開山堂(中の写真)、そして左が書院と庫裏(下の写真)で拝観受付となっています。
前途の通り紅葉の名所で、秋には大変な人出で賑わいますが、誰も見当たりません。事前に調べて、桜の噂が聞こえてこないのは知ってましたが・・・ここまで誰も居ないとは・・・と思いながら入ってみると・・・。
庫裏の前に行ってみると、禅宗寺院では、よく見かける手前が開梆(かいぱん)、奥に雲版(うんぱん)がありました。
そのあと、庫裏のある部屋を覗くと、焙炉(ほいろ)と“張り紙”があり、読んでみると、“お茶の製造”に使われていたようです。
庫裏の玄関には拝観受付所があって、僧侶の方が座られています。秋以外は、そんに来られない観光客を黙々と待たれてて、そんな中で拝観料400円納めて上がってみると・・・。
書院に一家族(5名ぐらいでしょうか)が見学されていたので、誰も居ない本堂から回ることにしました。この本堂は1694年(元禄7年)の建立です。
堂内に入ると、先ずは「迷いの窓」(四角い形)と「悟りの窓」(丸い形)を撮りました。あまりにも有名なこの窓は、紅葉時では真っ赤に染まります。
これが、2014年(平成26年)以前の写真です。最近は行ってないので、撮影が解禁されたのか禁止のままかは知りません。
「迷いの窓」は、生老病死の四苦八苦を表しているとか。また、「悟りの窓」は、ありのままの自然の姿、大宇宙を表現しているとか。
黙って、ゆっくり座ってしばらく眺めて居ました。2014年には紅葉時(11月)に撮影禁止となりましたが、それ以前は写真を撮ろうと後で待ち構えてる人が多くて、座って見ていると、後から殺気を感じて、ゆっくり眺めてる雰囲気はありませんでした。
本堂の中央には本尊の釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)、両脇に阿難尊者(あなんそんじゃ)、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)が祀られています。
内陣には入れないので、本尊は垂れ幕のため殆ど窺い知ることはできません。外からお参りさせてもらいました。
ここで本堂の片隅に「鳥居元忠の位牌」を見つけました。あとで紹介しますが、ここには“血天井”があるんです。
鳥居元忠は、1600年(慶弔5年)に伏見城内で討ち死にしますが、その遺構である伏見城の床板が、ここ源光庵の天井板に残っています。
写真では分からないかも知れませんが、リアルに手形や足形が確認できます。激戦だったことを今に伝えていますが・・・。
「関ヶ原の戦い」の前哨戦で、伏見城を僅かな手勢で守っていた鳥居元忠は、石田三成率いる大軍に攻め込まれ落城します。徳川家康と懇意であった卍山禅師(かいざんどうはく)が手厚く供養し、その霊を慰めるため、源光庵の天井に張ったものです。
次ぎに、本堂横にある卍山禅師(かいざんどうはく)が1719年(享保4年)年に建立した開山堂に移動します。
ここも2014年に入った記憶があります。その時は、人が多くて・・・内部がどうだったか分かりませんでしたが・・・しかし、他の開山堂と比べて雰囲気が全然違うのが気になります。
開山堂から書院と庫裏を見ています。こうして前庭を見ても、誰も入って来られないですね、桜がないから・・・。
本堂に戻ると、書院に居た家族連れが入ってこられたので、私は入れ替わりに書院に向かいました。隣接する書院では室内と、源光庵庭園を見ることができます。
室内には、世界遺産「屋久杉屏風」と襖絵は、「山口雪渓 筆」(江戸時代中期)山水水墨画が8面が、掛け軸には解説が無いので不明です。
この庭園は、やっぱり紅葉ですよね。桜の木が見当たりません。殆どの方が入って来られないのが分かりました。空いていても庭に降りることは出来ないのは秋と同じです。
殆ど堂内に人が居ないので、ゆっくり観賞できました。紅葉時のあの喧噪とした雰囲気とはかけ離れてて、桜はありませんでしたが来て見て良かったです。
帰りは楼門から真っ直ぐ進みます。すると駐車場に出ますが、ここも結構広いので何台も止められそうです。しかし車は常照寺に止めたままですので、これから戻ります。
駐車場の入口に桜の木が一本だけありました。源光庵には10時38分に入って、10時53分に出て常照寺の駐車場から鷹ケ峰を出ました。車は金閣寺の前から「きぬかけの路」を通って帰路に着きましたが、途中で昼食を摂って次へと向かいました。
【鷹ケ峰 源光庵】