平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開 遍照寺へ

等持院を出て帰る予定にしてましたが、ふと思い着いて広沢池の近く、遍照寺に寄ってみることにしました。この日は4月14日(金)でしたが、4月28日(金)から「平成29年度 春季 京都非公開文化財特別公開」が始まり、遍照寺も特別公開されるので、前もって写真だけ撮っておこうと思い着いた次第です。

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上の写真が4月14日で、中の写真が4月29日(土)の表門の写真で、特別公開に行ったときのものです。

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表門を入って、真っ直ぐに伸びる石畳を進めば、その先に護摩堂があります。29日には、この前にテントがあって拝観受付されてました。

拝観受付で、京都市文化観光資源保護財団からいただいた拝観券を出して、護摩堂に行くと皆さん上がられてるので、私も靴を脱いで上がります。この日(4月29日)は、遍照寺で「春期大祭」が行われるので、寺側も臨時のテントで受付されていました。

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はっきり言って、この日に来たのは間違いでした。寺側も大祭の準備で忙しいそうにされてたし・・・その他いろいろありましたが、それは後程。上がると学生さんのガイドが2人。先ずは奥に行くように案内されました。

初めて入って分かったことですが、このお堂の前半分が護摩堂で、後が収蔵庫になっているんですね。そこに重要文化財に指定されてる・・・今回特別公開される仏像が安置されていました。

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左が「十一面観音菩薩像」(平安時代) 、右が「赤不動明王坐像」(平安時代)、共に重要文化財に指定されています。収蔵庫には、上記の他に聖観音立像(平安時代末期)、地蔵菩薩像半跏像(鎌倉時代)、不動明王立像(鎌倉時代)、そし大黒天像が祀ってありました。

収蔵庫に入口は狭いので、3人が並ぶと後は見えません。そんな中でガイドさんが話されますが、昨日から始まった事を差し引いても・・・何を案内されてるか・・・さっぱり分からず・・・もう少し仕上げてから案内して欲しかったです

この日は、前途の通り「春期大祭」が行われるので、客殿での「寺宝の展示」が護摩堂でありました。しかし、案内も何もないので、帰ってから・・・そう言えば何か屏風が展示されてなぁ・・・と。この日の案内は、段取りが悪すぎました。

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狩野探雪 筆「竹虎図」の掛け軸です。虎を見た事もない作者が想像で書いたもので、ユニークな虎をじっくり見たかったです。

本堂の南にある客殿です。29日(土)以外は、ここで寺宝の展示がされていました。最初に、この日(29日)にしたのが間違いでした・・・と述べたのは、このことでした。

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下の写真は14日(金)のものです。普段は扉が閉まってて中の様子は分かりませんが、29日は扉が開いてました。

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客殿前には十三重塔があって、枝垂れ桜が綺麗でした。普段は、このようにひっそりとしていますが、29日(日)は連休前半に入った初日で、多くの人が来られていました。


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表門から入ると左手、護摩堂の手前には寺務所があって、前に訪問した時、ここで朱印をいただきました。普段は500円で収蔵庫の仏像を見られますし、ポストカードの販売もされています。

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14日から2週間たって再訪すると、桜から牡丹や躑躅が咲いていました。家から薄手のジャンパーを着て歩いて来ましたが、暑くて・・・季節が随分進んだ気がします。

遍照寺は989年(永延3年)平安時代中期、寛平法皇(第59代・宇多天皇)の孫、寛朝(かんちょう)僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものが始まり。創建当時は、広沢池の湖畔に多宝塔、釣殿等の他、数々の堂宇が並ぶ広大な寺院でしたが、次第に衰退。鎌倉時代に第91代・後宇多天皇により復興されましたが、応仁の乱で廃墟化し、奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移されました。1830年(文政13年)舜乗律師(しゅんじょうりっし)により復興され、昭和になって収蔵庫、護摩堂を建立。1997年(平成9年)には客殿、庫裡が新たに建ち現在の姿となりました。

今回の特別公開で、客殿内の寺宝を見損ねたのは残念ですが、招待券で来たので仕方ないけど・・・心残りは確かにありますが、それにしても段取りが悪かったなぁ・・・と思いながら帰りました。

【遍照寺 収蔵庫】



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