京都五社巡り満願!!城南宮へ
「京都五社巡り」~四神相応の京(みやこ)~とは、京都の方角を司る「四神」、玄武(北)・青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)が守護する土地として、京都に都が造営され千年の歴史が、今も続いており、千年にわたって続いた京の都は、「四神相応」と讃えられています。
その古来より京の人々は、都の要所要所に鎮まる社(宮)に祈りを捧げました。その京都を守ってきた四神獣ゆかりの神社を巡り、御朱印をいただく・・・それが「京都五社巡り」で、この日訪れた城南宮で満願でした。
家から約30分で、城南宮の大駐車場に着きました。車から降りると、そこは参道となってて神職達さんが清掃されてました・・・予定より早く着いてまって・・・これから境内を散策します。
そのまま進むと、神域への入口にあたる鳥居が見えてきます。これより「ペットなどのは禁止」と書いてありました。まだ少し早いので、鳥居を入らず東に進みます。
その右手にあったのが手水舎ですが、まだ神域には入りませんが、先に寄りました。また、そこには立札があって「菊水若水」と書いてあります。それによると・・・。
江戸時代の初め、霊元法皇が“「菊水若水」を飲まれると痛みが治った”という霊験あらたかな霊水だそうで、。伏見の名水として知られています。
その横が絵馬舎、時間が早いので寄って見ました。入って見上げると奉納された絵馬が所狭しと飾ってありました。
絵馬舎の近くに立札があって、「鳥羽離宮と平清盛・佐藤義行(西行)」と書いてあって、興味深く読まさせてもらいました。かつてここは鳥羽離宮があって佐藤義行は鳥羽上皇の北面の武士であった話や、平家の隆盛や衰退も鳥羽離宮前の“鳥羽の作り道”は見つめていた・・・という話でした。
そのまま東に向かうと、次ぎに芹川天満宮(せりかわてんまんぐう)の鳥居が見えて来ます。御祭神は、菅原道真公でしょう。
鳥居の扁額には「芹川神社」と、石標には「唐渡(からわたり)天満宮」とあり、どっちが正解と思ってしまいました。1111年(天永2年)に城南宮の南の芹川の地に勧請されたのが始まりで、大正時代の初めに現在地に遷座されました。石標の「唐渡」とは、道真が宋に渡り禅を修めたという、突拍子な伝説から。
次が真幡寸神社(まはたきじんじゃ)で、大きな石標で名前は確認できましたし、ここは後で授与所にて、御朱印もいただけました。
御祭神は、真幡寸大神と応神天皇で、譽田天皇(ほむたのすめらみこと)とも書かれることが多いですよね。この辺りの竹田地区の氏子の信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されたようです。
ここから東鳥居まで行くことにします。2012年5月以来の訪問ですが、その時には「竹田駅」から歩いてきたので、東鳥居から入りました。
ここに着いたとき、この社務所から巫女さんや神職さんが出て来られ清掃を始められました。まだまだ時間が早いので・・・東鳥居へ向かいます。
城南宮の東の入口にあるのが「東の鳥居」です。城南宮のHPでは、1861年(文久元年)に寄進されたものとか、また「城南離宮扁額」の字は、「有栖川流書道」を大成された有栖川宮幟仁(たかひと)親王の染筆だそです。
この頃は、そろそろ躑躅も咲き始めましたが、これ以上は行く所もないので戻るとことに・・・最初の神域の入口にある鳥居まで戻ると、向かいにも末社があったので寄りました。
少し小高い所に社殿がある三照宮(さんしょうぐう)で、扁額には「三照宮社」とありました。
御祭神は 天照大神(あまてらすおおみかみ)。城南宮のHPによると、城南宮の氏子地域は、伏見区内の中島・下鳥羽・竹田、南区内の塔ノ森・上鳥羽まですが、三照宮は上鳥羽の人々の信仰が厚く、石の鳥居や石燈籠が寄進されています。
驚いたことに(事前に知りませんでした)本殿が工事用の覆いで見えません。本殿は何処へ。
本殿に近づくと、本殿廻りを歩けるようになっていました。ここより先は撮影禁止と書いてあり写真はありませんが、本殿を囲むように末社が並んでいました。
東側から入ったので春日社、大国主社、庚申社、金刀比羅社、妙見社、天満宮社、粟嶋社、嚴島社、兵主社、住吉社、稲荷社の順で回りました。
どうも本殿は、工事中のようですが・・・神様は何処へ。ここで授与所で「京都五社巡り」の朱印をいただきました。これで満願で、忘れてましたが“記念品”も貰いました。(“五社巡りの”栞です)
早くから巫女さんと神職さんが座られてて、そこで前途した「真幡寸神社」(まはたきじんじゃ)の朱印を見つけて、書き置きですがいただけました。他に連休で帰ってくる姪っ子の息子にも御守り(ランドセルの御守り)を買いました。
写真は2012年5月のものです。前回は「一寸法師」も居ましたが・・・。昔話で親しまれる「一寸法師」。お椀の舟に乗って都を目指し、鳥羽の津に着いた・・・実は、この鳥羽の津は城南宮の南にあり、淀川を通って都へ行き来する船の港になっていました。
再び本殿に戻って・・・下を見ると・・・「神様は右手の神楽殿に」とありました。どうも尾根の葺き替え工事をされてるようです。
こちらが神楽殿です。お賽銭箱もあって、間違いないようです。最初に読めば良かったものの・・・随分探しました。
御祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ・大国主命の異称)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后の異称)。
息長帯日売命(神功皇后)が御座船の御旗(みはた)に八千矛神(大国主命)を招き寄せ勝利を祈願。城南宮は、平安遷都の際に、その御旗をご神体に国常立尊と神功皇后を合わせて祀り、都の南の鎮まりを守護する社とて創建されたのが始まり。
神楽殿前には、休憩する場所があり「JR東海ツアーズ休憩所」とありました。何かのツアーで来られるんでしょう。
ここで8時55分でしたが、神苑受付の巫女さんが扉を開けられたので神苑に入ることにしました。今日の目的は“見頃になった山吹”を見に来ました。その模様は“神苑”でアップします。
こちらは拝殿で本殿の前にありました。本殿は、1978年(昭和53年)再建されたましたが、「平成の御遷宮」として、本殿造営40年で屋根の葺替と諸建物改修工事が行われるようです。
神苑のあと、車に戻りましたが、そこには「車の祓い所」がありました。この城南宮には京都駅からバスは出てますが、わかりずらいです。地下鉄・近鉄「竹田駅」からもバスはありますが、歩けないこともないです。しかし、ここの駐車場は広いですし、車が便利ですよね。
やっと「京都五社巡り」が満願となりました。2013年(平成25年)1月22日八坂神社、2013年(平成25年)1月26日に松尾大社、2014年(平成26年)6月8日に平安神宮、2015年(平成27年)5月2日に上賀茂神社、そして2017年(平成29年)4月22日の城南宮と回った訳です。一日で回ろうと思った行けるかと思いますが、随分かかりました。
【後日談】さっそく額縁を購入し飾りました。
【城南宮 授与所】
その古来より京の人々は、都の要所要所に鎮まる社(宮)に祈りを捧げました。その京都を守ってきた四神獣ゆかりの神社を巡り、御朱印をいただく・・・それが「京都五社巡り」で、この日訪れた城南宮で満願でした。
家から約30分で、城南宮の大駐車場に着きました。車から降りると、そこは参道となってて神職達さんが清掃されてました・・・予定より早く着いてまって・・・これから境内を散策します。
そのまま進むと、神域への入口にあたる鳥居が見えてきます。これより「ペットなどのは禁止」と書いてありました。まだ少し早いので、鳥居を入らず東に進みます。
その右手にあったのが手水舎ですが、まだ神域には入りませんが、先に寄りました。また、そこには立札があって「菊水若水」と書いてあります。それによると・・・。
江戸時代の初め、霊元法皇が“「菊水若水」を飲まれると痛みが治った”という霊験あらたかな霊水だそうで、。伏見の名水として知られています。
その横が絵馬舎、時間が早いので寄って見ました。入って見上げると奉納された絵馬が所狭しと飾ってありました。
絵馬舎の近くに立札があって、「鳥羽離宮と平清盛・佐藤義行(西行)」と書いてあって、興味深く読まさせてもらいました。かつてここは鳥羽離宮があって佐藤義行は鳥羽上皇の北面の武士であった話や、平家の隆盛や衰退も鳥羽離宮前の“鳥羽の作り道”は見つめていた・・・という話でした。
そのまま東に向かうと、次ぎに芹川天満宮(せりかわてんまんぐう)の鳥居が見えて来ます。御祭神は、菅原道真公でしょう。
鳥居の扁額には「芹川神社」と、石標には「唐渡(からわたり)天満宮」とあり、どっちが正解と思ってしまいました。1111年(天永2年)に城南宮の南の芹川の地に勧請されたのが始まりで、大正時代の初めに現在地に遷座されました。石標の「唐渡」とは、道真が宋に渡り禅を修めたという、突拍子な伝説から。
次が真幡寸神社(まはたきじんじゃ)で、大きな石標で名前は確認できましたし、ここは後で授与所にて、御朱印もいただけました。
御祭神は、真幡寸大神と応神天皇で、譽田天皇(ほむたのすめらみこと)とも書かれることが多いですよね。この辺りの竹田地区の氏子の信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されたようです。
ここから東鳥居まで行くことにします。2012年5月以来の訪問ですが、その時には「竹田駅」から歩いてきたので、東鳥居から入りました。
ここに着いたとき、この社務所から巫女さんや神職さんが出て来られ清掃を始められました。まだまだ時間が早いので・・・東鳥居へ向かいます。
城南宮の東の入口にあるのが「東の鳥居」です。城南宮のHPでは、1861年(文久元年)に寄進されたものとか、また「城南離宮扁額」の字は、「有栖川流書道」を大成された有栖川宮幟仁(たかひと)親王の染筆だそです。
この頃は、そろそろ躑躅も咲き始めましたが、これ以上は行く所もないので戻るとことに・・・最初の神域の入口にある鳥居まで戻ると、向かいにも末社があったので寄りました。
少し小高い所に社殿がある三照宮(さんしょうぐう)で、扁額には「三照宮社」とありました。
御祭神は 天照大神(あまてらすおおみかみ)。城南宮のHPによると、城南宮の氏子地域は、伏見区内の中島・下鳥羽・竹田、南区内の塔ノ森・上鳥羽まですが、三照宮は上鳥羽の人々の信仰が厚く、石の鳥居や石燈籠が寄進されています。
驚いたことに(事前に知りませんでした)本殿が工事用の覆いで見えません。本殿は何処へ。
本殿に近づくと、本殿廻りを歩けるようになっていました。ここより先は撮影禁止と書いてあり写真はありませんが、本殿を囲むように末社が並んでいました。
東側から入ったので春日社、大国主社、庚申社、金刀比羅社、妙見社、天満宮社、粟嶋社、嚴島社、兵主社、住吉社、稲荷社の順で回りました。
どうも本殿は、工事中のようですが・・・神様は何処へ。ここで授与所で「京都五社巡り」の朱印をいただきました。これで満願で、忘れてましたが“記念品”も貰いました。(“五社巡りの”栞です)
早くから巫女さんと神職さんが座られてて、そこで前途した「真幡寸神社」(まはたきじんじゃ)の朱印を見つけて、書き置きですがいただけました。他に連休で帰ってくる姪っ子の息子にも御守り(ランドセルの御守り)を買いました。
写真は2012年5月のものです。前回は「一寸法師」も居ましたが・・・。昔話で親しまれる「一寸法師」。お椀の舟に乗って都を目指し、鳥羽の津に着いた・・・実は、この鳥羽の津は城南宮の南にあり、淀川を通って都へ行き来する船の港になっていました。
再び本殿に戻って・・・下を見ると・・・「神様は右手の神楽殿に」とありました。どうも尾根の葺き替え工事をされてるようです。
こちらが神楽殿です。お賽銭箱もあって、間違いないようです。最初に読めば良かったものの・・・随分探しました。
御祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ・大国主命の異称)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后の異称)。
息長帯日売命(神功皇后)が御座船の御旗(みはた)に八千矛神(大国主命)を招き寄せ勝利を祈願。城南宮は、平安遷都の際に、その御旗をご神体に国常立尊と神功皇后を合わせて祀り、都の南の鎮まりを守護する社とて創建されたのが始まり。
神楽殿前には、休憩する場所があり「JR東海ツアーズ休憩所」とありました。何かのツアーで来られるんでしょう。
ここで8時55分でしたが、神苑受付の巫女さんが扉を開けられたので神苑に入ることにしました。今日の目的は“見頃になった山吹”を見に来ました。その模様は“神苑”でアップします。
こちらは拝殿で本殿の前にありました。本殿は、1978年(昭和53年)再建されたましたが、「平成の御遷宮」として、本殿造営40年で屋根の葺替と諸建物改修工事が行われるようです。
神苑のあと、車に戻りましたが、そこには「車の祓い所」がありました。この城南宮には京都駅からバスは出てますが、わかりずらいです。地下鉄・近鉄「竹田駅」からもバスはありますが、歩けないこともないです。しかし、ここの駐車場は広いですし、車が便利ですよね。
やっと「京都五社巡り」が満願となりました。2013年(平成25年)1月22日八坂神社、2013年(平成25年)1月26日に松尾大社、2014年(平成26年)6月8日に平安神宮、2015年(平成27年)5月2日に上賀茂神社、そして2017年(平成29年)4月22日の城南宮と回った訳です。一日で回ろうと思った行けるかと思いますが、随分かかりました。
【後日談】さっそく額縁を購入し飾りました。
【城南宮 授与所】