丹波路を行く 京都府亀岡市 稗田野神社へ
谷性寺を出て、ナビをある酒造会社にセットします。その目的に近づいた所、稗田野神社を見つけました。谷性寺から約10分弱でここまでやって来ましたが、駐車場もあったので寄ってみた次第です。
この石造の鳥居を入って左が駐車場でした。鳥居をくぐると境内・・・では無く、ここは道路です。正面の鳥居は別にあって・・・。
東に向いている、こちらの鳥居が正面にあたります。この近くにある酒造会社から撮りました。(一週間後に訪問した酒造会社です)
こちらが正面だと気が付かなかったので無理して撮りに行かなかったんですが・・・この稗田野神社には、結果・・・12日(金)と20日(土)の2回訪問しました。理由は後程・・・。
境内南側にある駐車場から境内に入ると手水舎があり、そこには参拝の順路が書かれたA4用紙が置いてあります。ちなみに手水舎は①でした。
手水舎で手と口を清めたら②に移ります。そこには大きな石の環があって、くぐるようです。手順書では「○○を御守りください」と祈るそうです。
③は、石の環をくぐった先にあります。「京式八角石燈籠」で伝源義経奉納で、鎌倉時代の石造美術品で、格子の隙間から見学します。
④で、いよいよ「本殿」前に出て参拝となります。ご丁寧に絵で正式参拝の方法が描いてありました。
御祭神が、保食命 (うけもちのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、野椎命 (のづちのみこと)で、三柱の御祭神中二柱が女神。一柱の男神です。御利益が五穀豊穣、商売繁盛、無病息災、延命長寿、癌封治など。
⑤は社殿の右端に移動します。その格子の隙間から見ると、摂社「春日神社」があるので、外から参拝します。
⑥が「本殿礎石」を見学します。鎌倉時代の本殿礎石だそうです。これが鎌倉時代と言われても・・・私には分かりません。
⑦「健康の庭・長寿の瀧」です。サブタイトルが“世界一短い瀧”だそうですが・・・庭と言っても・・・雑木林ですね。
⑧「気力石」を見学です。見学じゃないですね・・・拝観です。石に手をを当てて祈願すると“やる気”を戴けるそうですが・・・。
次ぎに境内の東側に移動すると、大きな池があります。その池が⑨「和銅禊の池」と言い池の廻りを一周できますし、“二間宮金次郎像”が。懐かしいですよね、私が通ってた小学校にもありました。
池の廻りには綺麗に花が咲いています。創建当時は、この池で禊ぎをし“五穀豊穣”を祈願したそうですが、今は手を浸すだけだそうです。
この池の最も奥に行くと、社があります。それが⑩「稗田阿禮社(ひえだのあれいしゃ)」といい、2009年(平成21年)11月1日に創建されました。
幼少時から青年期にかけてこの地に住んでいたと伝説のある「稗田阿禮」が祀られていて。御利益は、学問・文学・芸能・縁結びです。
池を一周して元に戻ります。12日(金)の境内は、ガラガラでしたが、20日(土)は、結構な人が参拝に来られてました。
⑪は摂社「ゑびす神社」で、商売繁盛・家内安全が御利益です。11月20日には「ゑびす祭」があるみたいですけど・・・。
ゑびす神社の右手には、⑫は「幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)の魂石」と言い、神様の奇しきご加護を戴けるように撫でるみたいです。
次の⑬には、境内の東から西に移動します。その南西隅には「癌封治瘤の木」があって、小さな社殿もありました。
この“瘤の木”・・・皆さんが摩るのでツルツルです。“悪病退散”“癌封じ”を念じてきました。(両日ともです)
⑭は摂社「稲荷神社」です。⑬の“癌封治瘤の木”の横にあるんですけど、外の鳥居から撮り直ししました。
参拝は⑭まで、⑮は「授与所」です。ここで御守りや御朱印をいたたけますが、12日(金)と20日(土)とも不在でした。
20日は、この近くで食事したので、食前・食後と行きましたが、不在・・・不在の場合の連絡先にも電話しましたが、不出でした・・・残念。
参拝の順路は①から⑮までですが、番号の無い「舞殿」を最後にお送りします。
正面に鳥居があって、その前に“舞殿”そして“本殿”と並んでいます。
稗田野神社は709年(和銅2年)丹波国主(たんばのこくしゅ)大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそんこままろ)が聖旨を体し五穀守護神として、また丹波佐伯郷の産土神として創祀したのが始まり。
2日で3回訪問しても、御朱印をいただけなかったのは残念でした。余談ですが、ここが目的地ではありませんでした。しかし、次の酒造会社を見つけることができなくて・・・次へと向かうことになりました。(帰ってから地図を見ると、直ぐ近くだったので、次の週に再訪した訳です)
【稗田野神社 舞殿】
この石造の鳥居を入って左が駐車場でした。鳥居をくぐると境内・・・では無く、ここは道路です。正面の鳥居は別にあって・・・。
東に向いている、こちらの鳥居が正面にあたります。この近くにある酒造会社から撮りました。(一週間後に訪問した酒造会社です)
こちらが正面だと気が付かなかったので無理して撮りに行かなかったんですが・・・この稗田野神社には、結果・・・12日(金)と20日(土)の2回訪問しました。理由は後程・・・。
境内南側にある駐車場から境内に入ると手水舎があり、そこには参拝の順路が書かれたA4用紙が置いてあります。ちなみに手水舎は①でした。
手水舎で手と口を清めたら②に移ります。そこには大きな石の環があって、くぐるようです。手順書では「○○を御守りください」と祈るそうです。
③は、石の環をくぐった先にあります。「京式八角石燈籠」で伝源義経奉納で、鎌倉時代の石造美術品で、格子の隙間から見学します。
④で、いよいよ「本殿」前に出て参拝となります。ご丁寧に絵で正式参拝の方法が描いてありました。
御祭神が、保食命 (うけもちのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、野椎命 (のづちのみこと)で、三柱の御祭神中二柱が女神。一柱の男神です。御利益が五穀豊穣、商売繁盛、無病息災、延命長寿、癌封治など。
⑤は社殿の右端に移動します。その格子の隙間から見ると、摂社「春日神社」があるので、外から参拝します。
⑥が「本殿礎石」を見学します。鎌倉時代の本殿礎石だそうです。これが鎌倉時代と言われても・・・私には分かりません。
⑦「健康の庭・長寿の瀧」です。サブタイトルが“世界一短い瀧”だそうですが・・・庭と言っても・・・雑木林ですね。
⑧「気力石」を見学です。見学じゃないですね・・・拝観です。石に手をを当てて祈願すると“やる気”を戴けるそうですが・・・。
次ぎに境内の東側に移動すると、大きな池があります。その池が⑨「和銅禊の池」と言い池の廻りを一周できますし、“二間宮金次郎像”が。懐かしいですよね、私が通ってた小学校にもありました。
池の廻りには綺麗に花が咲いています。創建当時は、この池で禊ぎをし“五穀豊穣”を祈願したそうですが、今は手を浸すだけだそうです。
この池の最も奥に行くと、社があります。それが⑩「稗田阿禮社(ひえだのあれいしゃ)」といい、2009年(平成21年)11月1日に創建されました。
幼少時から青年期にかけてこの地に住んでいたと伝説のある「稗田阿禮」が祀られていて。御利益は、学問・文学・芸能・縁結びです。
池を一周して元に戻ります。12日(金)の境内は、ガラガラでしたが、20日(土)は、結構な人が参拝に来られてました。
⑪は摂社「ゑびす神社」で、商売繁盛・家内安全が御利益です。11月20日には「ゑびす祭」があるみたいですけど・・・。
ゑびす神社の右手には、⑫は「幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)の魂石」と言い、神様の奇しきご加護を戴けるように撫でるみたいです。
次の⑬には、境内の東から西に移動します。その南西隅には「癌封治瘤の木」があって、小さな社殿もありました。
この“瘤の木”・・・皆さんが摩るのでツルツルです。“悪病退散”“癌封じ”を念じてきました。(両日ともです)
⑭は摂社「稲荷神社」です。⑬の“癌封治瘤の木”の横にあるんですけど、外の鳥居から撮り直ししました。
参拝は⑭まで、⑮は「授与所」です。ここで御守りや御朱印をいたたけますが、12日(金)と20日(土)とも不在でした。
20日は、この近くで食事したので、食前・食後と行きましたが、不在・・・不在の場合の連絡先にも電話しましたが、不出でした・・・残念。
参拝の順路は①から⑮までですが、番号の無い「舞殿」を最後にお送りします。
正面に鳥居があって、その前に“舞殿”そして“本殿”と並んでいます。
稗田野神社は709年(和銅2年)丹波国主(たんばのこくしゅ)大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそんこままろ)が聖旨を体し五穀守護神として、また丹波佐伯郷の産土神として創祀したのが始まり。
2日で3回訪問しても、御朱印をいただけなかったのは残念でした。余談ですが、ここが目的地ではありませんでした。しかし、次の酒造会社を見つけることができなくて・・・次へと向かうことになりました。(帰ってから地図を見ると、直ぐ近くだったので、次の週に再訪した訳です)
【稗田野神社 舞殿】