宮本武蔵の逸話が残る八大神社へ
曼殊院門跡の駐車場を9時15分頃に出て、カーナビを詩仙堂に合わせて出発。そのナビがとんでもない細い道を案内してくれたおかげで、何度も冷や汗をかく事になりました。特に駐車場は考えてませんでしたが、八大神社まで行くと、向かい駐車場に空きがあったので駐車することができました・・・ちなみに500円でした。
ここには9時25分頃に着いたので、10分もかかってしまったと言うか、どっと疲れがでました。止めたら向かいから人が出て来られ500円を払います。そしたら「今日は混んでいるので、何処行くの」と聞かれたので、本当は圓光寺と言いたい所、咄嗟に“圓光寺”出て来なかったので、適当に“金福寺”と応えると、道を教えてくれました。「遠い金福寺から先に行ってや、それと2時間以内に戻ってきて」と言われましたが、私は気にせず先に八大神社に行きました。
私が中学生か高校生のとき、夢中で「吉川英治の宮本武蔵」を寝る暇も惜しんで読みました。その宮本武蔵ゆかりの神社と知ったのは最近で・・・今日の目的の一つがここでした。
二の鳥居をくぐり参道を奥に進むと、奥に多くの人の声が聞こえて、何だかざわついています。社務所の前に来たら原因が分かりました・・・お祭りだったんですよね、30名ぐらいの人が祀りの準備をされてました。
その参道の途中の左手には、末社があって「山ノ神社(やまのかみしゃ)」「牛宮社(うしみやしゃ)」と書いてありました。
参道は少し登りになってて、社務所の前は人が一杯です。その社務所の前にあったのが手水舎でした。
心配していた本殿前は人が居ないようです。この日は5月3日(水・祝)でしたが、翌日の4日に「斎宮祭」5日に「氏子祭(神幸祭)」が行われるようです。
その祭りのポスターが貼ってあって、社務所の横にある神輿庫が開いていたので、5日に氏子地域を巡行される貴重な伝統ある八角形の神輿を見せてもらいました。
これから本殿の前に出るため石段を上がりますが、石段上は静かです。下の喧噪が嘘みたいで、静かにお参りできました。
御祭神は、宮本武蔵・・・じゃありません。素盞嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)でした。
本殿の左側には「宮本武蔵像」がありました。吉岡一門との決闘を思い浮かべました、良いですね。
その奥には、吉岡一門との決闘で有名な「一乗寺下り松」の古木がガラス越しにありました。これだけ見られただけでも来た値打ちがありました。
さほど広くない本殿前でしたが、右側を見ると末社の社殿が並んでいます。右から読みにくい墨字を読み解くと・・・。
「加茂大神・柊大神社」「赤山大神・貴布祢大神社」「春日大神・新宮大神社」「諏訪大神・竈大神社」「賢防大神社」「八幡大神社」「日吉大神社」が並んでいましたが、御祭神は・・・調べてません。
右から左へと見ていった先、本殿の右隣には「皇大神宮社(こうたいじんぐうしゃ)」があり、御祭神は天照大神でしょう。
再び右端に戻って、少し離れた所に「鷺森大神社・大将軍社」があり、御祭神は共に素戔嗚尊でしょう。
この「鷺森大神社・大将軍社」の裏に石段をあって上がって行こうかどうか迷いましたが、せっかく来たので行くことにしました。
その先にはあったのが鳥居の扁額で「常磐稲荷社」だと分かりました。御祭神は、稲荷大神 (宇迦之御魂大神ほか4柱の総称)でしょうか。
宮本武蔵が「吉岡一門との決闘」に望む前に、この八大神社に行き「勝たせたまえ。今日こそ武蔵の一生の大事。」と祈ろうとして社殿の鰐口まで手を触れたが、鈴を鳴らさず、また、祈りもせず決戦の地へ向かったと言います。「我れ神仏を尊んで神仏を恃まず」武蔵は、ふと閃いた信念・・・悟道だったと・・・吉川英治は書いています。
最近は、老眼が進んで・・・本を読まなくなりましたが、また読んでみよう・・・かなぁ・・・と。ここには人が多かったこともあって、10分ぐらいで出て行きました。
そして次ぎに、“金福寺”じゃなく、圓光寺に向かいます。帰りに、中学生の時に家から自転車でやって来た「一乗寺下り松」を見て帰ろうと思いましたが、車を止める所がなく通過・・・また、今度・・・写真を撮りに来ます。
【八大神社 本殿】
ここには9時25分頃に着いたので、10分もかかってしまったと言うか、どっと疲れがでました。止めたら向かいから人が出て来られ500円を払います。そしたら「今日は混んでいるので、何処行くの」と聞かれたので、本当は圓光寺と言いたい所、咄嗟に“圓光寺”出て来なかったので、適当に“金福寺”と応えると、道を教えてくれました。「遠い金福寺から先に行ってや、それと2時間以内に戻ってきて」と言われましたが、私は気にせず先に八大神社に行きました。
私が中学生か高校生のとき、夢中で「吉川英治の宮本武蔵」を寝る暇も惜しんで読みました。その宮本武蔵ゆかりの神社と知ったのは最近で・・・今日の目的の一つがここでした。
二の鳥居をくぐり参道を奥に進むと、奥に多くの人の声が聞こえて、何だかざわついています。社務所の前に来たら原因が分かりました・・・お祭りだったんですよね、30名ぐらいの人が祀りの準備をされてました。
その参道の途中の左手には、末社があって「山ノ神社(やまのかみしゃ)」「牛宮社(うしみやしゃ)」と書いてありました。
参道は少し登りになってて、社務所の前は人が一杯です。その社務所の前にあったのが手水舎でした。
心配していた本殿前は人が居ないようです。この日は5月3日(水・祝)でしたが、翌日の4日に「斎宮祭」5日に「氏子祭(神幸祭)」が行われるようです。
その祭りのポスターが貼ってあって、社務所の横にある神輿庫が開いていたので、5日に氏子地域を巡行される貴重な伝統ある八角形の神輿を見せてもらいました。
これから本殿の前に出るため石段を上がりますが、石段上は静かです。下の喧噪が嘘みたいで、静かにお参りできました。
御祭神は、宮本武蔵・・・じゃありません。素盞嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)でした。
本殿の左側には「宮本武蔵像」がありました。吉岡一門との決闘を思い浮かべました、良いですね。
その奥には、吉岡一門との決闘で有名な「一乗寺下り松」の古木がガラス越しにありました。これだけ見られただけでも来た値打ちがありました。
さほど広くない本殿前でしたが、右側を見ると末社の社殿が並んでいます。右から読みにくい墨字を読み解くと・・・。
「加茂大神・柊大神社」「赤山大神・貴布祢大神社」「春日大神・新宮大神社」「諏訪大神・竈大神社」「賢防大神社」「八幡大神社」「日吉大神社」が並んでいましたが、御祭神は・・・調べてません。
右から左へと見ていった先、本殿の右隣には「皇大神宮社(こうたいじんぐうしゃ)」があり、御祭神は天照大神でしょう。
再び右端に戻って、少し離れた所に「鷺森大神社・大将軍社」があり、御祭神は共に素戔嗚尊でしょう。
この「鷺森大神社・大将軍社」の裏に石段をあって上がって行こうかどうか迷いましたが、せっかく来たので行くことにしました。
その先にはあったのが鳥居の扁額で「常磐稲荷社」だと分かりました。御祭神は、稲荷大神 (宇迦之御魂大神ほか4柱の総称)でしょうか。
宮本武蔵が「吉岡一門との決闘」に望む前に、この八大神社に行き「勝たせたまえ。今日こそ武蔵の一生の大事。」と祈ろうとして社殿の鰐口まで手を触れたが、鈴を鳴らさず、また、祈りもせず決戦の地へ向かったと言います。「我れ神仏を尊んで神仏を恃まず」武蔵は、ふと閃いた信念・・・悟道だったと・・・吉川英治は書いています。
最近は、老眼が進んで・・・本を読まなくなりましたが、また読んでみよう・・・かなぁ・・・と。ここには人が多かったこともあって、10分ぐらいで出て行きました。
そして次ぎに、“金福寺”じゃなく、圓光寺に向かいます。帰りに、中学生の時に家から自転車でやって来た「一乗寺下り松」を見て帰ろうと思いましたが、車を止める所がなく通過・・・また、今度・・・写真を撮りに来ます。
【八大神社 本殿】