丹波路を行く 京都府福知山市 天寧寺へ
福知山市大江町の大江山8合目から、山を下って再び福山市に入ります・・・と言っても、JR「福知山駅」からは10㌔は離れていますが・・・
。
約30分かけて到着したのが、臨済宗妙心寺派 天寧寺(てんねいじ)で10時55分に着きました。
府道から急な細い登り坂を上がった所にに駐車場があって、そこから境内に入ります。ここはOさんが毎月「座禅会」に参加されてたので名前を知りましたし、是非行ってみたいと・・・思ったからです。
調べるとJR「福知山駅」からは10㌔以上離れているし、最寄り駅から歩いて40分ぐらいかかるみたいです。それに電車の本数が・・・少なすぎます。駐車場から直ぐに納経所があったので御朱印と由緒書き(カラー版)をもらいました
。
ここでOさんが、是非見せたいと言ってた山門を見に行きます。この山門が境内の南側に建っています。
この山門に架かる扁額が室町幕府第4代将軍・足利義持の筆によるものと教えてくれたからです。
ここまで急な坂道を車で上がってきましたが、歩いて来たらこの急な階段を上がるみたいです。見た所・・・しんどそう・・・です
。
天寧寺は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、1365年(貞治4年)地頭大中臣宗泰が自らの氏寺に愚中周及び開山として招いたことに始まります。天寧寺は、室町幕府4代将軍・足利義持の帰依を得て大いに隆盛を誇りました。この寺院に伝わる絹本箸色十六羅漢像・即休契了像は国の重要文化財に指定され、薬師堂・開山堂・古文書絹本著色大中臣(おおなかとみ)持実(もちざね)像・大中臣元実像・愚中周及び関係者遺品は府の文化財として指定されいます。(案内板より)
山門を入って、左に研修道場(禅堂)があって、Oさんはここで毎月「座禅会」に参加されてました。そして中央が薬師堂で、その右が開山堂となっています。
境内の東側にあるのが方丈(本堂)です。いずれも内部にははいれませんでしたので、Oさんは入ったことがあるので、内部の模様は聞きました。
本堂は1777年(安永6年)火災に遭い再建、1961年(昭和36年)落雷により焼失し、1963年(昭和38年)に再々建されたものです。
余談ですが、20177年4月29日に新住職の晋山式があり、Oさんも行かれてました。何日か前から準備もあったらしく大変忙しかったようです。その時は全て開扉されたようですが・・・。
こちらが研修道場(禅堂)ですが、内部は閉まってて窺い知ることはできません。何十年つづけられた座禅ですが、住職さんが変わられたので「座禅会」が無くなったようですね。
境内の中央にある薬師堂です。天井には原在中の「雲龍図」がありますが、どうしても全景は見えません。それで「由緒書き」から切り取りしました。そして本尊の釈迦如来坐像が須弥壇に祀られていますが、それは確認できました。
薬師堂は、1794年(寛政6年)に建立され、方三間もこし付という禅宗仏殿の正規の形式をもち、京都府北部の代表的建築として京都府の文化財に指定されています。
こちらが開山堂です。内部は見られませんが、木造愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)像、木造即休契了(そっきゅうけいりょう)像が祀られてるそうです。
開山堂は、1793年(寛政5年)の建立で、六角円堂で土蔵造りという珍しい形式をもっています。
再び研修道場(禅堂)に戻ってその南側にあったのが地蔵堂です。中央に大きな地蔵が祀られてて、その背後に小さなお地蔵さんが・・・千体地蔵でしょうか
。
境内は綺麗な芝生に覆われており、こんどは西側を見ると鐘楼がありました。ここに来てから誰も出会いませんね。
鐘楼の前には「茶筅塚(ちゃせんづか)」と書かれた石碑もありました。茶筅って、点茶の際、茶を振って泡を発するために用いる具ですよね
。
最後に、薬師堂から山門を見てみました。一直線にあるのがお分かりかと思います。
内部に入れないので拝観料も無料です。外観だけざっと見て車に戻りました。その前に方丈(本堂)の前を再びとおります。
前庭と言えるかどうか知りませんが、小さな枯山水
の庭園がそこにはありました
。
この時は6月23日で、蓮は咲いてませんでしたが、これがアップされる頃には満開になっているでしょう。そんな蓮池が駐車場の前にありました。
福知山でも北部に位置するので、Oさんに連れてきて貰えなかったら来られなかったでしょう。交通の便も悪いので何よりでした。この日、私が行きたい所を何カ所かリクエストしてましたが、あと一つは綾部市にあるので、この日に行けるかどうか微妙です
。車は11時5分に次ぎに向け出発しました。
【天寧寺】


約30分かけて到着したのが、臨済宗妙心寺派 天寧寺(てんねいじ)で10時55分に着きました。
府道から急な細い登り坂を上がった所にに駐車場があって、そこから境内に入ります。ここはOさんが毎月「座禅会」に参加されてたので名前を知りましたし、是非行ってみたいと・・・思ったからです。
調べるとJR「福知山駅」からは10㌔以上離れているし、最寄り駅から歩いて40分ぐらいかかるみたいです。それに電車の本数が・・・少なすぎます。駐車場から直ぐに納経所があったので御朱印と由緒書き(カラー版)をもらいました

ここでOさんが、是非見せたいと言ってた山門を見に行きます。この山門が境内の南側に建っています。
この山門に架かる扁額が室町幕府第4代将軍・足利義持の筆によるものと教えてくれたからです。
ここまで急な坂道を車で上がってきましたが、歩いて来たらこの急な階段を上がるみたいです。見た所・・・しんどそう・・・です

天寧寺は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、1365年(貞治4年)地頭大中臣宗泰が自らの氏寺に愚中周及び開山として招いたことに始まります。天寧寺は、室町幕府4代将軍・足利義持の帰依を得て大いに隆盛を誇りました。この寺院に伝わる絹本箸色十六羅漢像・即休契了像は国の重要文化財に指定され、薬師堂・開山堂・古文書絹本著色大中臣(おおなかとみ)持実(もちざね)像・大中臣元実像・愚中周及び関係者遺品は府の文化財として指定されいます。(案内板より)
山門を入って、左に研修道場(禅堂)があって、Oさんはここで毎月「座禅会」に参加されてました。そして中央が薬師堂で、その右が開山堂となっています。
境内の東側にあるのが方丈(本堂)です。いずれも内部にははいれませんでしたので、Oさんは入ったことがあるので、内部の模様は聞きました。
本堂は1777年(安永6年)火災に遭い再建、1961年(昭和36年)落雷により焼失し、1963年(昭和38年)に再々建されたものです。
余談ですが、20177年4月29日に新住職の晋山式があり、Oさんも行かれてました。何日か前から準備もあったらしく大変忙しかったようです。その時は全て開扉されたようですが・・・。
こちらが研修道場(禅堂)ですが、内部は閉まってて窺い知ることはできません。何十年つづけられた座禅ですが、住職さんが変わられたので「座禅会」が無くなったようですね。
境内の中央にある薬師堂です。天井には原在中の「雲龍図」がありますが、どうしても全景は見えません。それで「由緒書き」から切り取りしました。そして本尊の釈迦如来坐像が須弥壇に祀られていますが、それは確認できました。
薬師堂は、1794年(寛政6年)に建立され、方三間もこし付という禅宗仏殿の正規の形式をもち、京都府北部の代表的建築として京都府の文化財に指定されています。
こちらが開山堂です。内部は見られませんが、木造愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)像、木造即休契了(そっきゅうけいりょう)像が祀られてるそうです。
開山堂は、1793年(寛政5年)の建立で、六角円堂で土蔵造りという珍しい形式をもっています。
再び研修道場(禅堂)に戻ってその南側にあったのが地蔵堂です。中央に大きな地蔵が祀られてて、その背後に小さなお地蔵さんが・・・千体地蔵でしょうか

境内は綺麗な芝生に覆われており、こんどは西側を見ると鐘楼がありました。ここに来てから誰も出会いませんね。
鐘楼の前には「茶筅塚(ちゃせんづか)」と書かれた石碑もありました。茶筅って、点茶の際、茶を振って泡を発するために用いる具ですよね

最後に、薬師堂から山門を見てみました。一直線にあるのがお分かりかと思います。
内部に入れないので拝観料も無料です。外観だけざっと見て車に戻りました。その前に方丈(本堂)の前を再びとおります。
前庭と言えるかどうか知りませんが、小さな枯山水


この時は6月23日で、蓮は咲いてませんでしたが、これがアップされる頃には満開になっているでしょう。そんな蓮池が駐車場の前にありました。
福知山でも北部に位置するので、Oさんに連れてきて貰えなかったら来られなかったでしょう。交通の便も悪いので何よりでした。この日、私が行きたい所を何カ所かリクエストしてましたが、あと一つは綾部市にあるので、この日に行けるかどうか微妙です

【天寧寺】