サツキが見頃になった等持院へ
最近、等持院を紹介する時「しばらく見納め・・・」と書きましたが、6月3日(土)に訪問した時に、庭園だけは公開されることが分かりました。
5月下旬に和尚さんに電話して、サツキの見頃を聞きました。3日に訪問するので聞いてみましたが、「綺麗に咲いています」と。等持院には8時50分頃に着きましたが、2組3名の方が並ばれていました。そして看板には・・・・
6月7日から「本堂」「霊光殿」「茶室 清漣亭」が修復工事のため、庭園のみの拝観となります。○参拝料 300円 ○参拝時間 9時~16時30分
と書いてありました。和尚さんからは門を閉めるか、庭園だけ拝観するか検討中とは聞いてましたが、庭園は開放されるようですね。
9時少し前に開門したので、順番に入って行きます。いつものように庫裏で靴を脱いで上がり、左手にある拝観受付で和尚さんが在宅かどうか尋ねると・・・不在でしたが、そのまま中に入ります。
先行された皆さんの目的はサツキでしょう。当然、拝観コースと逆に書院から芙蓉池(西庭)を見られる庭園に降りて写真を撮りますが・・・。
芙蓉池(西庭)越しの茶室「清漣亭」とサツキはやっぱり良いですね。まもまく茶室が工事されますが、3年ぐらかかるように聞きました。
ここで遅れて入ってきた母と女房と合流して、庭園を巡ります。母もリハビリを兼ねて広い庭園をゆっくりゆっくり巡りました。
この石橋の向こうには、いつものように行けません。池に嵌まると危ないからでしょうけど、母は行きたそうにしてました。
いつもの等持院に比べたら参拝者は多いように思いましたし、皆さん夢中でサツキを撮られています。次ぎに芙蓉池(西庭)から心字池(東庭)に向かいます。
その前に歴史の勉強です。室町幕府初代将軍・足利尊氏のお墓を紹介しました。等持院は足利家の菩提寺で、尊氏の法名から等持院となったことを説明したんですけど・・・。
ここは観光バスが入って来られないので、団体さんが来られる心配は少ないのを差し引いても、この心字池(東庭)には誰も来られません。
心字池に突き出た蓬莱島には妙音閣跡がありますが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。その島に渡ることは出来ますが母は無理でした。
その蓬莱島に渡る石橋の前には、足利家15代の供養塔という十三重塔があります。この塔は室町時代の作と伝わり、下部に基礎石がその上に一重の笠石。さらに12枚の笠石がのり、最上部に相輪が乗る構造となっています。
ここから方丈に戻ろうしたら、茶室「清漣亭」に「頑張って登って見る」と言いだし、一段づつゆっくり上がって登れました。
まもなく解体修理される茶室を見てました。母は“茶道”経験者でもあるので見たかったんでしょう。それに上から見る芙蓉池(西庭)もよく見られた物だと感心です。
今度は下りですが、登りより危ないです。今度転倒したら二度と起き上がれないのは分かっているので、慎重に降りてもらい書院内に上がって和尚さんを待ちます。
受付まで和尚さんを呼びに行き、ここで暫く歓談。解体修理の事も聞きましたが、最初本堂、茶室、霊光殿の順で3年ぐらいかかりそうだと。それまでは本堂には行けず、直接庭園に降りるコースに変わるみたいです。
しばし談笑のあとは、「霊光殿に行きたい」と言うので、方丈を通って行きました。今度は方丈から見た芙蓉池(西庭)です。上から見るとまた違って見えるものです。
霊光殿の中は撮影禁止です。和尚さんから理由も聞いているので納得ですし、ここでは足利将軍の木像を一つづつゆっくり解説しながら見て貰いました。ただど忘れした将軍名もあったので、下記におさらいです。
室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院)、第2代将軍・足利義詮(寶篋院)、第3代将軍・足利義満(鹿苑院)、第4代将軍・足利義持(勝定院)、第5代将軍・足利義量(よしかず)(長得院)第6代将軍・足利義教(普広院)、第7代将軍・足利義勝(慶雲院)、第8代将軍:足利義政(慈照院)、第9代将軍・足利義尚(常徳院)、第10代将軍・足利義稙(よしたね)(恵林院)、第11代将軍・足利義澄(法住院)、第12代将軍・足利義晴(萬松院)、第13代将軍・足利義輝(光源院)、第14代・足利義栄(よしひで)(光徳院)、第15代将軍・足利義昭(霊陽院)
で、5代義量と14代義栄はありません。私が読めなかったのは、10代義稙でした。少々悔しいですね。
この日はテレビ局かどうか分かりませんが、霊光殿内部や方丈内部を撮影されてましたし、和尚さんも正装に着替えて来られ対応されてましたから。
ここには10時過ぎに出て行きました。約1時間居たことになります。帰りは前途したとおり、和尚さんには挨拶できませんでしたが、また今度は工事中の模様を見に来たいと思います。
最後に、境外にある鐘楼を撮りました。いつも素通りしてたので、今回は撮りましたが・・・梵鐘に“等持院”の文字が読み取れました。
この日は、「母の日」・・・少し遅れましたが、その食事会で奥嵯峨の店を予約してました。まだ10時過ぎですが、その奥嵯峨に向かいます。
【等持院 鐘楼】
5月下旬に和尚さんに電話して、サツキの見頃を聞きました。3日に訪問するので聞いてみましたが、「綺麗に咲いています」と。等持院には8時50分頃に着きましたが、2組3名の方が並ばれていました。そして看板には・・・・
6月7日から「本堂」「霊光殿」「茶室 清漣亭」が修復工事のため、庭園のみの拝観となります。○参拝料 300円 ○参拝時間 9時~16時30分
と書いてありました。和尚さんからは門を閉めるか、庭園だけ拝観するか検討中とは聞いてましたが、庭園は開放されるようですね。
9時少し前に開門したので、順番に入って行きます。いつものように庫裏で靴を脱いで上がり、左手にある拝観受付で和尚さんが在宅かどうか尋ねると・・・不在でしたが、そのまま中に入ります。
先行された皆さんの目的はサツキでしょう。当然、拝観コースと逆に書院から芙蓉池(西庭)を見られる庭園に降りて写真を撮りますが・・・。
芙蓉池(西庭)越しの茶室「清漣亭」とサツキはやっぱり良いですね。まもまく茶室が工事されますが、3年ぐらかかるように聞きました。
ここで遅れて入ってきた母と女房と合流して、庭園を巡ります。母もリハビリを兼ねて広い庭園をゆっくりゆっくり巡りました。
この石橋の向こうには、いつものように行けません。池に嵌まると危ないからでしょうけど、母は行きたそうにしてました。
いつもの等持院に比べたら参拝者は多いように思いましたし、皆さん夢中でサツキを撮られています。次ぎに芙蓉池(西庭)から心字池(東庭)に向かいます。
その前に歴史の勉強です。室町幕府初代将軍・足利尊氏のお墓を紹介しました。等持院は足利家の菩提寺で、尊氏の法名から等持院となったことを説明したんですけど・・・。
ここは観光バスが入って来られないので、団体さんが来られる心配は少ないのを差し引いても、この心字池(東庭)には誰も来られません。
心字池に突き出た蓬莱島には妙音閣跡がありますが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。その島に渡ることは出来ますが母は無理でした。
その蓬莱島に渡る石橋の前には、足利家15代の供養塔という十三重塔があります。この塔は室町時代の作と伝わり、下部に基礎石がその上に一重の笠石。さらに12枚の笠石がのり、最上部に相輪が乗る構造となっています。
ここから方丈に戻ろうしたら、茶室「清漣亭」に「頑張って登って見る」と言いだし、一段づつゆっくり上がって登れました。
まもなく解体修理される茶室を見てました。母は“茶道”経験者でもあるので見たかったんでしょう。それに上から見る芙蓉池(西庭)もよく見られた物だと感心です。
今度は下りですが、登りより危ないです。今度転倒したら二度と起き上がれないのは分かっているので、慎重に降りてもらい書院内に上がって和尚さんを待ちます。
受付まで和尚さんを呼びに行き、ここで暫く歓談。解体修理の事も聞きましたが、最初本堂、茶室、霊光殿の順で3年ぐらいかかりそうだと。それまでは本堂には行けず、直接庭園に降りるコースに変わるみたいです。
しばし談笑のあとは、「霊光殿に行きたい」と言うので、方丈を通って行きました。今度は方丈から見た芙蓉池(西庭)です。上から見るとまた違って見えるものです。
霊光殿の中は撮影禁止です。和尚さんから理由も聞いているので納得ですし、ここでは足利将軍の木像を一つづつゆっくり解説しながら見て貰いました。ただど忘れした将軍名もあったので、下記におさらいです。
室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院)、第2代将軍・足利義詮(寶篋院)、第3代将軍・足利義満(鹿苑院)、第4代将軍・足利義持(勝定院)、第5代将軍・足利義量(よしかず)(長得院)第6代将軍・足利義教(普広院)、第7代将軍・足利義勝(慶雲院)、第8代将軍:足利義政(慈照院)、第9代将軍・足利義尚(常徳院)、第10代将軍・足利義稙(よしたね)(恵林院)、第11代将軍・足利義澄(法住院)、第12代将軍・足利義晴(萬松院)、第13代将軍・足利義輝(光源院)、第14代・足利義栄(よしひで)(光徳院)、第15代将軍・足利義昭(霊陽院)
で、5代義量と14代義栄はありません。私が読めなかったのは、10代義稙でした。少々悔しいですね。
この日はテレビ局かどうか分かりませんが、霊光殿内部や方丈内部を撮影されてましたし、和尚さんも正装に着替えて来られ対応されてましたから。
ここには10時過ぎに出て行きました。約1時間居たことになります。帰りは前途したとおり、和尚さんには挨拶できませんでしたが、また今度は工事中の模様を見に来たいと思います。
最後に、境外にある鐘楼を撮りました。いつも素通りしてたので、今回は撮りましたが・・・梵鐘に“等持院”の文字が読み取れました。
この日は、「母の日」・・・少し遅れましたが、その食事会で奥嵯峨の店を予約してました。まだ10時過ぎですが、その奥嵯峨に向かいます。
【等持院 鐘楼】