桓武天皇が都の四方に守護神とした西賀茂 大将軍神社へ
久我神社から当初の予定(京都府立植物園の後で訪問)では、子供の頃に一度来ている「大宮交通公園」のコインパーキングに車を入れ、そこから10分ぐらい歩いて向かうことにしてました。しかしまだ7時前だし、直接向かうことにして西賀茂 大将軍神社の前までやって来ました。
西側の鳥居前に車を止めて境内に入りました。周りは住宅街ですが、ここから先は鬱蒼とした木々の中に入って行きます。
朝早いし、誰も来られてないので虫が多いです。多分・・・蚊も多いだろうし、長居は無用、目散に退散したい気分ですが、ここで南側の鳥居まで戻ってみると・・・。
こちらが正面なんでしょうね、ここから入って石段を少しだけ上がった先に拝殿が見えています。
正面の鳥居を上がる参道の左手・・・もう陽が出ているのに、鬱蒼とした木立の中に「朱の玉垣」に囲われた所が三箇所もあって・・・蚊が恐くて覗きに行けませんでしたが・・・。
案内板によると「世代受け継ぎの木」と呼ばれるもので、三箇所の玉垣に囲まれた場所は、この社に数百年繁茂した大木が倒れた後、その根元には木の種が落ち自然に成長した"実生の木"を表したものだそうです。
あまりに暗かったので、自動でフラッシュが作動しました。表の由緒書きにも書いてなかったので詳細はわかりませんが・・・石段を登り切ると右手に手水舎がありました。
ここは水道か地下水か知りませんが、栓をひねるみたいですね・・・使ってないので分かりませんが・・・また社務所も奥にありましたが、間違い無く留守でしょう。
案内によると、この拝殿を割拝殿と呼ばれてるみたいです・・・私は初めて聞くことでしたが・・・建物の中央に通路が設けられたことをいうそうです・・・。
境内は小さいです。先に訪れた東三条 大将軍神社に比べられた全然小さいですが、かつて、この辺りは深い森だったかでしょう。そんな感じがしました。前途した拝殿の奥に、屋根の付いた社殿に覆われ直接本殿は見えません。
御祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)と他4柱が祀られてるそうですが、表の由緒書きには名前が・・・ありません。
本殿前の立砂・・・少し崩れていますが、上賀茂神社の細殿前にもあるので、やっぱりここが上賀茂神社とゆかりが深いのが分かります。
大将軍神社は、西賀茂の産土神で、主祭神磐長姫命(いわながひめのみこと)他4柱を祀る。創建・由緒については、はっきりしませんが平安時代には、官衙(かんが)の瓦を焼いた西賀茂瓦屋がこの近くにあり、大将軍神社は、その鎮守の社であったともいわれいます。現在の本殿は、1591年(天正19年)に造営された上賀茂神社摂社片岡神社本殿を、1628年(寛永5年)から1636年(寛永13年)の間に移築したものです。また釣燈籠の一つに「賀茂片岡御金燈籠 天正拾九年六月」の刻銘がみられ、この釣燈籠も片岡神社から譲り受けたことがわかります。本殿は、大型の一間社流造で、装飾的要素が殆どなく、賀茂社系統の特色をよく残しいます。更に、一部に後補材がみられるのも、上賀茂・下賀茂社関係の社殿の中で最古のものと考えられる貴重な遺構であり、1984年(昭和59年)6月1日に京都市指定文化財に指定されました。また、境内には本殿をはじめ珍しい形式の割拝殿や摂社・末社が建ち、そのまわりを樹木がとり囲んで鎮守の森としての景観をよくとどめています。ここの境内は、1985年(昭和60年)6月1陽に京都市文化財環境保全地区に指定されました。
本殿でお参りを済ませたら、次ぎに東側(右手)から末社を見て行きました。先ずは「角ノ社神社」の社殿があって、御祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)。大将軍神社ではお馴染みですよね。そして3社が並んでて・・・。
右から「稲荷神社」で御祭神が宇気母智神(うけもちのかみ)。「貴船神社」で御祭神が高龗神(たかおかみのかみ)。「片岡神社」で御祭神が事代主神(ことしろぬしのかみ)。そして北側には立砂がありました。
次ぎに、西側に移動し右側(北より)から。こちらは5社が並んでいます。
「愛宕神社」で御祭神が火之迦具神(ほのかぐつちのかみ)。「松尾神社」 御祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)。「八幡神社」で御祭神が応神天皇(おうじんてんのう)。「春日神社」御祭神が天児屋根命(あめのこやねのみこと)。「山王神社」御祭神が大山咋命(おおやまくいみこと)。
この大将軍神社の背後には瓦屋の窯跡があったそうで、朝廷木工寮に属した瓦屋の所在地で、瓦屋の鎮守神であったとも言われているので、この窯跡から見つかったものだそうです。
こちらは南側の鳥居前にあった由緒書きです。社務所に人が居ないので「朱印」の有無がわかりません。上賀茂神社でいただけるのかなぁ・・・と、ふと思いましたが・・・。
ここを出たのが7時過ぎ。京都府立植物園の開園時間になっていました。ただ、門の前で15分も待つのは時間が勿体ないので、先に行って正解でした。これで桓武天皇が都に守護神として祀られた大将軍神社を全て廻れました。やっぱりここが、交通の便を考えると、もっとも不便でしたし、行けて良かったです。
桓武天皇が794年(延暦13年)の平安京造営に際して、大内裏鎮護のため都の四隅に守護神として祀られたのが大将軍神社で、東に東天王 岡崎神社や東三条大将軍神社(東山区)、西に大将軍八神社(上京区)、北に西賀茂大将軍神社(北区)や今宮神社境内の紫野大将軍、南に藤森神社境内、大将軍社(伏見区)です。
最後に境内を出て、住宅街の中を北東に歩きます。すると角に「大将軍社」と書かれた大きな石標があり、由緒書きが書かれた駒札もありました。
桓武天皇ゆかりの大将軍神社を全て訪問することが出来ました。ここから京都府立植物園には10分ぐらいで行き、「朝顔展」を見に行った訳です。
【西賀茂 大将軍神社】
西側の鳥居前に車を止めて境内に入りました。周りは住宅街ですが、ここから先は鬱蒼とした木々の中に入って行きます。
朝早いし、誰も来られてないので虫が多いです。多分・・・蚊も多いだろうし、長居は無用、目散に退散したい気分ですが、ここで南側の鳥居まで戻ってみると・・・。
こちらが正面なんでしょうね、ここから入って石段を少しだけ上がった先に拝殿が見えています。
正面の鳥居を上がる参道の左手・・・もう陽が出ているのに、鬱蒼とした木立の中に「朱の玉垣」に囲われた所が三箇所もあって・・・蚊が恐くて覗きに行けませんでしたが・・・。
案内板によると「世代受け継ぎの木」と呼ばれるもので、三箇所の玉垣に囲まれた場所は、この社に数百年繁茂した大木が倒れた後、その根元には木の種が落ち自然に成長した"実生の木"を表したものだそうです。
あまりに暗かったので、自動でフラッシュが作動しました。表の由緒書きにも書いてなかったので詳細はわかりませんが・・・石段を登り切ると右手に手水舎がありました。
ここは水道か地下水か知りませんが、栓をひねるみたいですね・・・使ってないので分かりませんが・・・また社務所も奥にありましたが、間違い無く留守でしょう。
案内によると、この拝殿を割拝殿と呼ばれてるみたいです・・・私は初めて聞くことでしたが・・・建物の中央に通路が設けられたことをいうそうです・・・。
境内は小さいです。先に訪れた東三条 大将軍神社に比べられた全然小さいですが、かつて、この辺りは深い森だったかでしょう。そんな感じがしました。前途した拝殿の奥に、屋根の付いた社殿に覆われ直接本殿は見えません。
御祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)と他4柱が祀られてるそうですが、表の由緒書きには名前が・・・ありません。
本殿前の立砂・・・少し崩れていますが、上賀茂神社の細殿前にもあるので、やっぱりここが上賀茂神社とゆかりが深いのが分かります。
大将軍神社は、西賀茂の産土神で、主祭神磐長姫命(いわながひめのみこと)他4柱を祀る。創建・由緒については、はっきりしませんが平安時代には、官衙(かんが)の瓦を焼いた西賀茂瓦屋がこの近くにあり、大将軍神社は、その鎮守の社であったともいわれいます。現在の本殿は、1591年(天正19年)に造営された上賀茂神社摂社片岡神社本殿を、1628年(寛永5年)から1636年(寛永13年)の間に移築したものです。また釣燈籠の一つに「賀茂片岡御金燈籠 天正拾九年六月」の刻銘がみられ、この釣燈籠も片岡神社から譲り受けたことがわかります。本殿は、大型の一間社流造で、装飾的要素が殆どなく、賀茂社系統の特色をよく残しいます。更に、一部に後補材がみられるのも、上賀茂・下賀茂社関係の社殿の中で最古のものと考えられる貴重な遺構であり、1984年(昭和59年)6月1日に京都市指定文化財に指定されました。また、境内には本殿をはじめ珍しい形式の割拝殿や摂社・末社が建ち、そのまわりを樹木がとり囲んで鎮守の森としての景観をよくとどめています。ここの境内は、1985年(昭和60年)6月1陽に京都市文化財環境保全地区に指定されました。
本殿でお参りを済ませたら、次ぎに東側(右手)から末社を見て行きました。先ずは「角ノ社神社」の社殿があって、御祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)。大将軍神社ではお馴染みですよね。そして3社が並んでて・・・。
右から「稲荷神社」で御祭神が宇気母智神(うけもちのかみ)。「貴船神社」で御祭神が高龗神(たかおかみのかみ)。「片岡神社」で御祭神が事代主神(ことしろぬしのかみ)。そして北側には立砂がありました。
次ぎに、西側に移動し右側(北より)から。こちらは5社が並んでいます。
「愛宕神社」で御祭神が火之迦具神(ほのかぐつちのかみ)。「松尾神社」 御祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)。「八幡神社」で御祭神が応神天皇(おうじんてんのう)。「春日神社」御祭神が天児屋根命(あめのこやねのみこと)。「山王神社」御祭神が大山咋命(おおやまくいみこと)。
この大将軍神社の背後には瓦屋の窯跡があったそうで、朝廷木工寮に属した瓦屋の所在地で、瓦屋の鎮守神であったとも言われているので、この窯跡から見つかったものだそうです。
こちらは南側の鳥居前にあった由緒書きです。社務所に人が居ないので「朱印」の有無がわかりません。上賀茂神社でいただけるのかなぁ・・・と、ふと思いましたが・・・。
ここを出たのが7時過ぎ。京都府立植物園の開園時間になっていました。ただ、門の前で15分も待つのは時間が勿体ないので、先に行って正解でした。これで桓武天皇が都に守護神として祀られた大将軍神社を全て廻れました。やっぱりここが、交通の便を考えると、もっとも不便でしたし、行けて良かったです。
桓武天皇が794年(延暦13年)の平安京造営に際して、大内裏鎮護のため都の四隅に守護神として祀られたのが大将軍神社で、東に東天王 岡崎神社や東三条大将軍神社(東山区)、西に大将軍八神社(上京区)、北に西賀茂大将軍神社(北区)や今宮神社境内の紫野大将軍、南に藤森神社境内、大将軍社(伏見区)です。
最後に境内を出て、住宅街の中を北東に歩きます。すると角に「大将軍社」と書かれた大きな石標があり、由緒書きが書かれた駒札もありました。
桓武天皇ゆかりの大将軍神社を全て訪問することが出来ました。ここから京都府立植物園には10分ぐらいで行き、「朝顔展」を見に行った訳です。
【西賀茂 大将軍神社】