早朝の八坂神社を散策
8月5日(土)は当初の予定通り、祖父母の墓参りに大谷祖廟に行きますが、今年は来るまで行って京都市円山駐車場に止めました。今年の尋常じゃないほど暑い日中を避けて早朝に行ってしまう作戦をたて、駐車場には6時過ぎに入れました。
地下駐車場に車を入れて地上に出てくるとそこは八坂神社の境内で、まだ殆ど人が見かけない境内を散策することにしました。先ずは北門から入ります。
そこには大きな石鳥居があり、このとき6時10分でした。早朝でも熱帯でしたので暑いです。こんなに朝早く来たのに、境内には数名の方が参拝や散歩に来られてました。
入ると右手に入母屋造りの大きな社殿があり、絵馬堂といいます。まだ朝が早いので見て行くと・・・。
池大雅や海北友松、長谷川宗也などの著名な絵師が奉納したとか・・・新しい絵馬と入替もあるらしい・・・。
ここから八坂神社を紹介される時に必ず使われスポット・・・西総門まで来て見ました。表まで行かなかったので裏側だけですが・・・。
表の写真は2015年(平成27年)訪問時を使いました。この西楼門は、四条通り市電開業に伴う拡張工事により、四条通りの正面に向けるため、少しだけ移動されてます。
西楼門を入って左手には手水舎があります。ここもこんなに空いてることは稀です。やっぱり早起きは三文の得でしょうか。
今日は境内にある摂社・末社巡りを考えてやって来ました。(目的はあくまで墓参ですが)
お正月なら、この参道の両側に露店が建ち並ぶので、このようにスッキリとした風景を見られるのはこの時期だけかも知れません。先ずは、西楼門から入ると最初にみる摂社からです。
最初は、祇園祭でお馴染みの疫神社で、別名蘇民将来社とも言います。
御祭神は、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)。疫病除けの神様として信仰を集めてて、1月19日の例祭と7月31日の夏越祭では茅の輪が掛けられ、輪をくぐると穢れが祓われるいいます。
次は右隣に移動します。鳥居には扁額が架かっていて「太田神社」「白鬚神社」と書かれていますが・・・太田社のようです。
御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、先般訪れた"道祖神社"と同じですよね。"導きの神"と"芸能の神"と書いてありました。
このあと何も無い参道を奥に進むと右手に"祇園のえべっさん"と呼ばれる、重要文化財に指定されてる蛭子社(えびすしゃ)です。
社殿は1646年(正保3年)の建造で、神社では珍しい北向きです。御祭神は、事代主神(ことしろぬしのかみ)で、商売繁盛の神様として信仰を集めています。
その向かい・・・社務所の向かいにあるのが末社の大国主社で、大国様で知られていますね、社殿の前には石像もありました。
御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の三柱が祀られてて、縁結びに御利益があるとか。
次ぎに本殿の西側に回ります。納札所を通り過ぎて最初に見る小さな社殿は、大年社(おおとしゃ)です。
御祭神が、大年神(おおとしのかみ)と巷社神(ちまたやしろのかみ)。大年神が農耕の神であり、例祭日が節分のため、"節分の神"とも呼ばれています。
次が横長の社殿が特徴の十社です。十社祭が10月12日、諏訪社祭が7月2日で、写真右から多賀社で始まり、阿蘇社までありますが詳しくは・・・。
多賀社(伊耶那岐命・いざなぎのみこと)、熊野社(伊耶那美命・いざなみのみこと)、白山社(白山比咩神・しらやまひめのかみ)、愛宕社(伊耶那美命・いざなみのみこと。火産霊命・ほむすびのみこと)、金峯社(金山彦命・かなやまひこのみこと。磐長姫命・いわながひめのみこと)、春日社(天児屋根命・あめのこやねのみこと。建甕槌神・たけみかづちのかみ。齋主神・いわいぬしのかみ。比売神・ひめがみ)、香取社(経津主神・ふつぬしのかみ)、諏訪社(建御名方神・たけみなかたのかみ)、松尾社(大山咋神・おおやまくいのかみ)、阿蘇社(健磐龍神・たけいわたつのかみ。阿蘇都比咩命・あそつひめのみこと。速甕玉命・はやみかたまのみこと)
次ぎに本殿の裏側・・・境内の北側に移動すると、神馬舎がありました。
案内板を読むと、1875年(明治8年)まで境内で実際に神馬を飼われてたようですが、現在は木製神馬が二頭が奉安され現在に至っています。
この裏には御神木の切り株でしょうか何も書いて無いのでわかりませんが・・・。
ここから境内の北東角もやって来ました。ここにも鳥居がありますが、ここからは滅多に出入りしないので、とても新鮮です。そこに社殿があって・・・。
日吉社で、御祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬのしかみ)。4月の初申の日に、日吉社祭が行われます。
本当は、神馬舎から日吉社の間にも社殿があるのに・・・行けないですよね・・・工事中のため立入禁止です。
この先には、五社と刃物神社と嚴島社があるのに・・・行けないとは・・・次回に訪問します。
気を取り直して境内の東に並んでる末社を参拝です・・・と書きましたが、ここから実際に参拝されてて・・・早朝にもかかわらず少し待ちました。先ずは美御前社から、ここは2013年(平成25年)の助成文化財特別鑑賞で詳しく聞きました。
御祭神が宗像三女神(市杵島比売命・多岐理比売命・多岐都比売命)を祀られており、古くから美容の神様として親しまれており、祇園の芸子・舞妓さんらの崇敬を受けています。
その右隣には、悪王子社(あくこうじしゃ)てす。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおみこと)の荒魂(あらみたま)。かつて東洞院四条下ル悪王子町にあったものを1877年(明治10年)に八坂神社境内に移転されたそうです。
さらに右隣に移動する末社の大神宮社がありました。見た所真新しい社殿で、最近修復工事でもされたのでしょう。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおみこと)の姉神である内宮に天照大神(あまてらすおおみかみ)を外宮に豊受大神(とようけのおおみかみ)が祀られています。
その前にあるのが忠盛灯籠です。2012年(平成24年)に放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」でも紹介されたので覚えていました。
白河上皇が平忠盛をお供に五月雨の中を移動中、「鬼」の様な物が見えたので平忠盛に討てと命じました。忠盛はその正体を見定めてからとして生け捕りにしたところ、それは燈籠に燈明をあげようとした祇園の社僧だった。社僧が身に着けていた雨具の蓑が燈明の光で銀の針のように見えたらしい。この忠盛の思慮深い行動に人々は感嘆したという。燈籠はその時のものといわれています。
その側にあったのが御神水ですけど、飲料水としては使えないようですが、湧き水には違いありません。。聞くと本殿下から湧いてくる霊水を汲み上げてるようです。
この話は、前途した助成文化財特別鑑賞で聞いた話です。苔生してますが、歴史は浅いかも知れません。
境内の東南鳥居までやってくると、ここを出ると円山公園に行けますし、大谷祖廟もこちらから行きますが、まだまだ行きません。
そこには玉光稲荷社があって、御祭神が素戔嗚尊の子で五穀豊穣の神様、稲荷神(宇迦之御魂神・うかのみたまのかみ)が祀られています。
この東南鳥居を出て右手にあるのが、清々館(せいせいかん)です。
ここで毎月3日と15日に「月釜」をここでされています。八坂神社は"茶の湯"でも有名です。
再び鳥居をくぐって境内の南にある能舞台を見ました。もちろん今は何もされてませんが・・・。
1月の初能奉納では金剛流、観世流の各家元による「翁」と「仕舞」の奉納がここでされます。また、新春恒例の「かるた始め式」もここでされるのでテレビで見たことがあります。
ここから八坂神社の正門である南楼門を出て石鳥居まで出てみました。西楼門がどうしても四条通りに面しているので知られていますが、こちらが正門なんですけど・・・。
この石鳥居は、1646年(正保3年)に建立された明神鳥居で、1662年(寛文2年)の地震で倒壊しましたが、1666年(寛文6年)に補修再建されました。また、楼門は1866年(慶応2)に消失。1879年(明治12年)に再建されました。
南楼門を入って左手には手水舎です。ここにもありました・・・というより、こちらが正門ですから当然ですよね。ここで口と手を清めます。
こちらが舞殿(ぶでん)です。いろんな行事がここでされますが、結婚式もここでされるようですね。
ここの提灯は花街の置屋や料亭から奉納されたものが吊されています。祇園甲部や祇園東、先斗町、それに宮川町に近いですからね、雰囲気何とも良いです。
最後の最後に本殿前で参拝です。朝早かったらこんなにも少ないです。ガラガラではありませんが、この時間では外国人観光客はみかけません。
ここには前途した助成文化財特別鑑賞で正式参拝しました。この本殿内に入りましたが、外から見るのと全然分からないことが入ると見えるんです。
本殿中央に、素戔嗚尊、東に櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、西に八柱御子神が祀れ、1654年(承応3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱により再建。かつて二棟に別れていた本殿と拝殿を一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、『祇園造』とよばれています。
ここで暫く散策したあと大谷祖廟に行くと、「暁天講座」をされてました。朝早くから多くの人が参加されてて、私も講話のさわりだけ聞きました。
【八坂神社 南総門前石鳥居】
地下駐車場に車を入れて地上に出てくるとそこは八坂神社の境内で、まだ殆ど人が見かけない境内を散策することにしました。先ずは北門から入ります。
そこには大きな石鳥居があり、このとき6時10分でした。早朝でも熱帯でしたので暑いです。こんなに朝早く来たのに、境内には数名の方が参拝や散歩に来られてました。
入ると右手に入母屋造りの大きな社殿があり、絵馬堂といいます。まだ朝が早いので見て行くと・・・。
池大雅や海北友松、長谷川宗也などの著名な絵師が奉納したとか・・・新しい絵馬と入替もあるらしい・・・。
ここから八坂神社を紹介される時に必ず使われスポット・・・西総門まで来て見ました。表まで行かなかったので裏側だけですが・・・。
表の写真は2015年(平成27年)訪問時を使いました。この西楼門は、四条通り市電開業に伴う拡張工事により、四条通りの正面に向けるため、少しだけ移動されてます。
西楼門を入って左手には手水舎があります。ここもこんなに空いてることは稀です。やっぱり早起きは三文の得でしょうか。
今日は境内にある摂社・末社巡りを考えてやって来ました。(目的はあくまで墓参ですが)
お正月なら、この参道の両側に露店が建ち並ぶので、このようにスッキリとした風景を見られるのはこの時期だけかも知れません。先ずは、西楼門から入ると最初にみる摂社からです。
最初は、祇園祭でお馴染みの疫神社で、別名蘇民将来社とも言います。
御祭神は、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)。疫病除けの神様として信仰を集めてて、1月19日の例祭と7月31日の夏越祭では茅の輪が掛けられ、輪をくぐると穢れが祓われるいいます。
次は右隣に移動します。鳥居には扁額が架かっていて「太田神社」「白鬚神社」と書かれていますが・・・太田社のようです。
御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、先般訪れた"道祖神社"と同じですよね。"導きの神"と"芸能の神"と書いてありました。
このあと何も無い参道を奥に進むと右手に"祇園のえべっさん"と呼ばれる、重要文化財に指定されてる蛭子社(えびすしゃ)です。
社殿は1646年(正保3年)の建造で、神社では珍しい北向きです。御祭神は、事代主神(ことしろぬしのかみ)で、商売繁盛の神様として信仰を集めています。
その向かい・・・社務所の向かいにあるのが末社の大国主社で、大国様で知られていますね、社殿の前には石像もありました。
御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の三柱が祀られてて、縁結びに御利益があるとか。
次ぎに本殿の西側に回ります。納札所を通り過ぎて最初に見る小さな社殿は、大年社(おおとしゃ)です。
御祭神が、大年神(おおとしのかみ)と巷社神(ちまたやしろのかみ)。大年神が農耕の神であり、例祭日が節分のため、"節分の神"とも呼ばれています。
次が横長の社殿が特徴の十社です。十社祭が10月12日、諏訪社祭が7月2日で、写真右から多賀社で始まり、阿蘇社までありますが詳しくは・・・。
多賀社(伊耶那岐命・いざなぎのみこと)、熊野社(伊耶那美命・いざなみのみこと)、白山社(白山比咩神・しらやまひめのかみ)、愛宕社(伊耶那美命・いざなみのみこと。火産霊命・ほむすびのみこと)、金峯社(金山彦命・かなやまひこのみこと。磐長姫命・いわながひめのみこと)、春日社(天児屋根命・あめのこやねのみこと。建甕槌神・たけみかづちのかみ。齋主神・いわいぬしのかみ。比売神・ひめがみ)、香取社(経津主神・ふつぬしのかみ)、諏訪社(建御名方神・たけみなかたのかみ)、松尾社(大山咋神・おおやまくいのかみ)、阿蘇社(健磐龍神・たけいわたつのかみ。阿蘇都比咩命・あそつひめのみこと。速甕玉命・はやみかたまのみこと)
次ぎに本殿の裏側・・・境内の北側に移動すると、神馬舎がありました。
案内板を読むと、1875年(明治8年)まで境内で実際に神馬を飼われてたようですが、現在は木製神馬が二頭が奉安され現在に至っています。
この裏には御神木の切り株でしょうか何も書いて無いのでわかりませんが・・・。
ここから境内の北東角もやって来ました。ここにも鳥居がありますが、ここからは滅多に出入りしないので、とても新鮮です。そこに社殿があって・・・。
日吉社で、御祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬのしかみ)。4月の初申の日に、日吉社祭が行われます。
本当は、神馬舎から日吉社の間にも社殿があるのに・・・行けないですよね・・・工事中のため立入禁止です。
この先には、五社と刃物神社と嚴島社があるのに・・・行けないとは・・・次回に訪問します。
気を取り直して境内の東に並んでる末社を参拝です・・・と書きましたが、ここから実際に参拝されてて・・・早朝にもかかわらず少し待ちました。先ずは美御前社から、ここは2013年(平成25年)の助成文化財特別鑑賞で詳しく聞きました。
御祭神が宗像三女神(市杵島比売命・多岐理比売命・多岐都比売命)を祀られており、古くから美容の神様として親しまれており、祇園の芸子・舞妓さんらの崇敬を受けています。
その右隣には、悪王子社(あくこうじしゃ)てす。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおみこと)の荒魂(あらみたま)。かつて東洞院四条下ル悪王子町にあったものを1877年(明治10年)に八坂神社境内に移転されたそうです。
さらに右隣に移動する末社の大神宮社がありました。見た所真新しい社殿で、最近修復工事でもされたのでしょう。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおみこと)の姉神である内宮に天照大神(あまてらすおおみかみ)を外宮に豊受大神(とようけのおおみかみ)が祀られています。
その前にあるのが忠盛灯籠です。2012年(平成24年)に放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」でも紹介されたので覚えていました。
白河上皇が平忠盛をお供に五月雨の中を移動中、「鬼」の様な物が見えたので平忠盛に討てと命じました。忠盛はその正体を見定めてからとして生け捕りにしたところ、それは燈籠に燈明をあげようとした祇園の社僧だった。社僧が身に着けていた雨具の蓑が燈明の光で銀の針のように見えたらしい。この忠盛の思慮深い行動に人々は感嘆したという。燈籠はその時のものといわれています。
その側にあったのが御神水ですけど、飲料水としては使えないようですが、湧き水には違いありません。。聞くと本殿下から湧いてくる霊水を汲み上げてるようです。
この話は、前途した助成文化財特別鑑賞で聞いた話です。苔生してますが、歴史は浅いかも知れません。
境内の東南鳥居までやってくると、ここを出ると円山公園に行けますし、大谷祖廟もこちらから行きますが、まだまだ行きません。
そこには玉光稲荷社があって、御祭神が素戔嗚尊の子で五穀豊穣の神様、稲荷神(宇迦之御魂神・うかのみたまのかみ)が祀られています。
この東南鳥居を出て右手にあるのが、清々館(せいせいかん)です。
ここで毎月3日と15日に「月釜」をここでされています。八坂神社は"茶の湯"でも有名です。
再び鳥居をくぐって境内の南にある能舞台を見ました。もちろん今は何もされてませんが・・・。
1月の初能奉納では金剛流、観世流の各家元による「翁」と「仕舞」の奉納がここでされます。また、新春恒例の「かるた始め式」もここでされるのでテレビで見たことがあります。
ここから八坂神社の正門である南楼門を出て石鳥居まで出てみました。西楼門がどうしても四条通りに面しているので知られていますが、こちらが正門なんですけど・・・。
この石鳥居は、1646年(正保3年)に建立された明神鳥居で、1662年(寛文2年)の地震で倒壊しましたが、1666年(寛文6年)に補修再建されました。また、楼門は1866年(慶応2)に消失。1879年(明治12年)に再建されました。
南楼門を入って左手には手水舎です。ここにもありました・・・というより、こちらが正門ですから当然ですよね。ここで口と手を清めます。
こちらが舞殿(ぶでん)です。いろんな行事がここでされますが、結婚式もここでされるようですね。
ここの提灯は花街の置屋や料亭から奉納されたものが吊されています。祇園甲部や祇園東、先斗町、それに宮川町に近いですからね、雰囲気何とも良いです。
最後の最後に本殿前で参拝です。朝早かったらこんなにも少ないです。ガラガラではありませんが、この時間では外国人観光客はみかけません。
ここには前途した助成文化財特別鑑賞で正式参拝しました。この本殿内に入りましたが、外から見るのと全然分からないことが入ると見えるんです。
本殿中央に、素戔嗚尊、東に櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、西に八柱御子神が祀れ、1654年(承応3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱により再建。かつて二棟に別れていた本殿と拝殿を一つの屋根で覆ったもので、他に類例のない建築様式であることから、『祇園造』とよばれています。
ここで暫く散策したあと大谷祖廟に行くと、「暁天講座」をされてました。朝早くから多くの人が参加されてて、私も講話のさわりだけ聞きました。
【八坂神社 南総門前石鳥居】