桓武天皇が都の四方に守護神とした東三条 大将軍神社へ
京都祇園天ぷら八坂圓堂から次ぎに地下鉄「三条駅」と「東山駅」の間にある大将軍神社に行きました。熱中症に注意するため、この時期必ずポカリスエットは必須です。概ね15分程度で着きました。
大将軍神社の西側の鳥居から境内に入りました。左には「大将軍神社」と書かれた石標と、手前には由緒が書かれてた駒札があって、それによると・・・。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、相殿に摂政・関白・太政大臣を歴任した藤原兼家(ふじわらのかねいえ)を祀る。794年(延暦13年)に第50代桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護 のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、 東南隅の一つである。特に平安京東のこの地は、京に入る七口の一つ「三条口」の要地にあたり 邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁 の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を 留めている。又。樹齢800年と伝える銀杏の 大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源 頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。 (駒札より)
鳥居をくぐると両側に狛犬が鎮座。境内に入って左には手水舎(手洗所)がありました。境内は暑いので誰も居ません。
今日は、朱印帳は持参してませんでした。ここに行くのも急に思い立ったこともありますが、先ずは社務所があるれかどうか確認すると・・・。
中に人が居る気配が無いのは分かりましたが、以外にも"朱印"はあるようで、表に見本が貼ってありました。"書き置き"が置いて無いか探しましたが・・・無かったです。
お祭りの時には社務所が空いてるかも知れませんが再訪は・・・。境内の中央には拝殿が、南向きに本殿があるようです。
本殿には、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、相殿に関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が祀られています。
桓武天皇が794年(延暦13年)の平安京造営に際して、大内裏鎮護のため都の四隅に守護神として祀られたのが大将軍神社で、東に東天王 岡崎神社や東三条大将軍神社(東山区)、西に大将軍八神社(上京区)、北に西賀茂大将軍神社(北区)や今宮神社境内の紫野大将軍、南に藤森神社境内、大将軍社(伏見区)があります。未訪は、北区にある西賀茂大将軍神社だけとなりました。
ここは、平安時代に藤原氏による摂関政治を確立した藤原兼家の東三条院跡があったとされています。その名残はまっくありませんが、境内にひっそりと石碑が建っていました。
境内の東南隅にあった「東三條社」の社号碑と、天満宮です。残念ながら、応仁の乱で藤原兼家邸は、跡形も無くなりましたが・・・。
天満宮の南、境内の南東角にあったのが白龍弁財天です。ここまで暑いのにやって来たので境内を一周します。
こちらが東側の鳥居です。ここには東と西と入口がありました。三条通から少し奥まった所にあるのでわかりずらいかも知れません。ここにも墨書きの由緒が書かれてました。(掠れて読みにくい・・・です)
東側の鳥居を入って南に天満宮と白龍弁財天があるわけで、北に絵馬堂や神馬像がありました。さらに北に行くと・・・。
境内の北東角には、隼社(はやぶさしゃ)がありました。次は、本殿を挟んで西側に移動します。するとそこには・・・。
左のもっとも北西角にあるのは倉庫で、多分・・・神輿でも入っているのかなぁその右手が神馬舎で、中には白馬(神馬)が居ました・・・もちろん模型ですが。
最後が、西南の西の鳥居まで戻ってきました。入口にあった手水舎の横には荒熊稲荷神社がありました・・・と最初に手水舎に寄ってたので分かっていましたが・・・。
ここでは稲荷神社でよく見かける、お決まりの狛狐が居て、何か咥えています。巻物と玉(宝珠)だと思いますが、これもお決まりのようです。
ここには13時過ぎに着いて10分程度で出ました。その間に誰も居ません・・・無理もないでしょうね、この暑さでは・・・。ここから地下鉄「三条駅」まで歩きましたが、帰って地図を見ると、「東山駅」の方が近かったかも・・・どちらにしても10分もかかりません。ここから暑いので無理せず帰路に着きました。
【東三条大将軍神社】
大将軍神社の西側の鳥居から境内に入りました。左には「大将軍神社」と書かれた石標と、手前には由緒が書かれてた駒札があって、それによると・・・。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、相殿に摂政・関白・太政大臣を歴任した藤原兼家(ふじわらのかねいえ)を祀る。794年(延暦13年)に第50代桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護 のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、 東南隅の一つである。特に平安京東のこの地は、京に入る七口の一つ「三条口」の要地にあたり 邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁 の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を 留めている。又。樹齢800年と伝える銀杏の 大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源 頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。 (駒札より)
鳥居をくぐると両側に狛犬が鎮座。境内に入って左には手水舎(手洗所)がありました。境内は暑いので誰も居ません。
今日は、朱印帳は持参してませんでした。ここに行くのも急に思い立ったこともありますが、先ずは社務所があるれかどうか確認すると・・・。
中に人が居る気配が無いのは分かりましたが、以外にも"朱印"はあるようで、表に見本が貼ってありました。"書き置き"が置いて無いか探しましたが・・・無かったです。
お祭りの時には社務所が空いてるかも知れませんが再訪は・・・。境内の中央には拝殿が、南向きに本殿があるようです。
本殿には、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、相殿に関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が祀られています。
桓武天皇が794年(延暦13年)の平安京造営に際して、大内裏鎮護のため都の四隅に守護神として祀られたのが大将軍神社で、東に東天王 岡崎神社や東三条大将軍神社(東山区)、西に大将軍八神社(上京区)、北に西賀茂大将軍神社(北区)や今宮神社境内の紫野大将軍、南に藤森神社境内、大将軍社(伏見区)があります。未訪は、北区にある西賀茂大将軍神社だけとなりました。
ここは、平安時代に藤原氏による摂関政治を確立した藤原兼家の東三条院跡があったとされています。その名残はまっくありませんが、境内にひっそりと石碑が建っていました。
境内の東南隅にあった「東三條社」の社号碑と、天満宮です。残念ながら、応仁の乱で藤原兼家邸は、跡形も無くなりましたが・・・。
天満宮の南、境内の南東角にあったのが白龍弁財天です。ここまで暑いのにやって来たので境内を一周します。
こちらが東側の鳥居です。ここには東と西と入口がありました。三条通から少し奥まった所にあるのでわかりずらいかも知れません。ここにも墨書きの由緒が書かれてました。(掠れて読みにくい・・・です)
東側の鳥居を入って南に天満宮と白龍弁財天があるわけで、北に絵馬堂や神馬像がありました。さらに北に行くと・・・。
境内の北東角には、隼社(はやぶさしゃ)がありました。次は、本殿を挟んで西側に移動します。するとそこには・・・。
左のもっとも北西角にあるのは倉庫で、多分・・・神輿でも入っているのかなぁその右手が神馬舎で、中には白馬(神馬)が居ました・・・もちろん模型ですが。
最後が、西南の西の鳥居まで戻ってきました。入口にあった手水舎の横には荒熊稲荷神社がありました・・・と最初に手水舎に寄ってたので分かっていましたが・・・。
ここでは稲荷神社でよく見かける、お決まりの狛狐が居て、何か咥えています。巻物と玉(宝珠)だと思いますが、これもお決まりのようです。
ここには13時過ぎに着いて10分程度で出ました。その間に誰も居ません・・・無理もないでしょうね、この暑さでは・・・。ここから地下鉄「三条駅」まで歩きましたが、帰って地図を見ると、「東山駅」の方が近かったかも・・・どちらにしても10分もかかりません。ここから暑いので無理せず帰路に着きました。
【東三条大将軍神社】