京の風流きつねは、お琴の上手な お辰の白きつね 御辰稲荷神社へ

銀閣寺門前のコインパーキングを出て、鹿ヶ谷通りを南下します。この辺りは有名な"哲学の道"があって法然院や安楽寺、霊鑑寺なんかあるので歩いて散策するには最適なんですけど、今日は車のためスルーです。そして丸太町通りの先には北行きの一方通行になっているので、右折し丸太町通りに入り今度は西に向かいます。

岡崎道の交差点を右折し、向かった先は聖護院の向かいにある「リパーク聖護院円頓美町駐車場」そこに車を止めました。そこから歩いて向かったのが、丸太町通りに面して建っている御辰稲荷神社(おたついなりじんじゃ)です。

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ここには8時過ぎに着きました。境内には東側の鳥居から入りましたが、前途の通り丸太町通りに面しているので、以前から気になっていたので今日は良い機会でした

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平日でも"お盆休"のためでしょうか丸太町通りも人が少ないので、歩道に出て南側の鳥居を撮りました。神職さんは表を清掃されてましたが・・・。

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鳥居の足元には小さな水盤があって、水道水か地下水か分かりませんが手と口を清めることができます。

境内は小さくて狭いので、入ると直ぐに南向きに本殿が建ってさっそくお参りしました。

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御祭神は、右神に猿田彦神(さるたひこのかみ)、正中に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、左神に天宇受賣命(あまのうずめのかみ)でした。また本殿前に由緒が貼ってあって、それによると・・・。

1705年(宝永2年)、第113代東山天皇の典侍、新崇賢門院( しんすうけんもんいん)が白きつねの霊夢を見たことから東山天皇の勅許を受け創建されたと伝わります。祀られた社が禁裏御所の辰(東南)の方角にある"聖護院の森"であったことから、御辰稲荷(おたついなり)と呼ばれました。御辰稲荷は、「辰」の字が達成の「達」につながるとされ、芸事の神様として信仰され、「京の風流キツネは碁の好きな宗旦キツネと琴の上手な御辰キツネ」とうたわれ、昔から芸事をする人たちの参拝が絶えなかったといいます。

ここで社務所に行くこと・・・と言うのも、南鳥居に入ってすぐに社務所があって、こんな朝早いのに神職さんが座っています。ここに朱印があるかどうかは知りませんが、とりあえず聞いてみとる・・・ありました。それと由緒書きも

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ここは絵馬舎か拝殿か何か分かりませんが、芸能上達を願った、かつての芸妓らの信仰を偲ばせる提灯なんでしょうね。

最初に東側の鳥居から入ったので、その時から気になってた境内社があったので、朱印をいただいたあと寄ってみることに。

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最初は、一番奥にある祠は亀石大明神です。古くから不老長寿の守護神として信仰されてるそうです。手前にあるのが亀石でしょうね。

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あと東側に二社あって、おくから「初辰大明神(はつたつだいみょうじん)」で、辰年生まれの守護神と書いてありました。また、南側には「福石大明神(ふくいしだいみょうじん)」で、京の秘石"真黒秘石"だそうで、願い事が叶う・・・

ここには10分弱で出て行きました。お盆の期間中で朝早いこともあって、誰も入ってこられませんでした。ちなみにここの向かいは平安神宮になります。かつて、ここは聖護院の森に包まれていたとありましたが、今では住宅街に囲まれひっそりと佇んでいました。

【御辰稲荷神社】



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