銀閣寺や浄土院の北にひっそりと佇む八神社へ
吉田神社の駐車場を出て、今出川通に出ると東に向かいます。そして銀閣寺近くにあるコインパーキングに車を止めました。8月16日(水)と同じ所に止めましたが、前回は7時前に止めたこともあって、100円で済みましたが、今日は違ってました。
それは後程にして、タクシーの運転手に連れられた修学旅行生の塊が次から次へと、世界文化遺産の銀閣寺に向かわれます。さすがにこの時間には外国人観光客の姿は見当たりません。しかし私は銀閣寺に入らずに、護摩木の奉納で訪れた浄土院の奥にある八神社に向かいました。
8月16日(水)には、まだ7時前でしたが、この神社の前にも多くの人が屯してました。それで、この神社に行くのを諦めたんですが、この日は一組だけでしたね、参拝に来られて人は・・・。
鳥居を入って右手に手水舎がありました。先に行かれた方と同様、ここで手と口を清めます。
この時、8時40分・・・ここに朱印があるかどうか確認は取れませんでしたが、まだ早いてすよね。先に行かれた方が本殿に行かれたので、先に末社の方に行くことに・・・。
手水舎の奥に、社殿が見えたので行ってみると、そこには雨之社がありました。
扁額には「雨社」とありました。案内板によると、創立年代は不明で、山林と水を司る神様の、高龗神(たかおかみのかみ)を祀っているそうです。
次ぎに、二の鳥居をくぐります。すると石段があるので、それを登ると正面に稲荷社がありました。
扁額には「樹下稲荷大明神」と書かれており、案内板によると、創建年代は不明。御祭神は、五穀豊穣の神様である倉稲魂大神(すかのみたまのかみ)が祀られているそうです。
ここで先に参拝に来られた方が降りて来られたので、ここから少しだけ階段を登って境内に入ります。
右手に本殿でしょうか、見えている・・・と言うより、清掃されてるのでしょう、箒で掃かれている音が聞こえています。
階段を上がると、思ってたより境内は狭いです。9時前でも暗くて・・・右手に本殿、中央に拝殿、奥には分かりませんが神輿庫のようでしたが・・・多分、違うかも
。
ここは薄暗くて、何より蚊が恐いです。そんなに長居はできそうにもないので本殿でお参りです。
手前が拝所で、木立の中・・・昼間でも暗い中、本殿がありました。そこで清掃されてた方に「朱印は
」と尋ねると「はぁ、はぁ、朱印、ここは朱印無いで」と。聞く人を間違えました
。
これでもソフトに書きましたが、そんな口の聞き方でいいのかと、すごく気分を害しましたが、ここには調べると"朱印"ありそうなので、神職さんが居るときに再訪したいです
。御祭神は、拝所の前の石に刻まれてました。それによると・・・。
高御産日神(たかみむすびのかみ)、神産日神(かみむすびのかみ)、生産日神(いくむすびのかみ)、足産日神(たるむすびのかみ)、玉積産日神(たまつめむすびのかみ)、大宮売神(おおみやのめのかみ)、御食津神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、相殿に十禅師大明神を祀られているようです。
先程も言いましたが、蚊が多そうなので早々に下に降りてきました。戻ってからは誰にも出会わなかったですね、銀閣寺は賑わってるようですが
。
社務所は、当然不在です。朱印じゃく、記念スタンプはありましたが、これは朱印帳には押せません
。由緒書きは置いてなかったので、案内板を参照しました。
1853年(喜永6年)の浄土寺村一帯の火災により、八神社の古文書等が焼失してしまい、創建年代など由緒は分からなくなったようです。 ただ大同年間(806~810)とも延喜年間(901~923)とも伝えられています。創建当初は浄土寺や銀閣寺の鎮守社であったようで、この地域一帯の産土神として広く崇敬を集めていました。
ここには8時36分に入って、8時46分に出て行きました。そして、銀閣寺向かう人並みを見ながら、駐車場には戻らず、朱印を貰い損ねた北白川天神宮に9時頃着きましたが、ベルを何度も押しましたが出て来られず。扉は開いていたので、非常に残念ですが、やむなく駐車場に戻り次へと向かいました。歩いて10分弱、早足で歩いたので、それほど時間はかかっていませんが、帰りはやっぱり疲れが出ました
。
【八神社】

それは後程にして、タクシーの運転手に連れられた修学旅行生の塊が次から次へと、世界文化遺産の銀閣寺に向かわれます。さすがにこの時間には外国人観光客の姿は見当たりません。しかし私は銀閣寺に入らずに、護摩木の奉納で訪れた浄土院の奥にある八神社に向かいました。
8月16日(水)には、まだ7時前でしたが、この神社の前にも多くの人が屯してました。それで、この神社に行くのを諦めたんですが、この日は一組だけでしたね、参拝に来られて人は・・・。
鳥居を入って右手に手水舎がありました。先に行かれた方と同様、ここで手と口を清めます。
この時、8時40分・・・ここに朱印があるかどうか確認は取れませんでしたが、まだ早いてすよね。先に行かれた方が本殿に行かれたので、先に末社の方に行くことに・・・。
手水舎の奥に、社殿が見えたので行ってみると、そこには雨之社がありました。
扁額には「雨社」とありました。案内板によると、創立年代は不明で、山林と水を司る神様の、高龗神(たかおかみのかみ)を祀っているそうです。
次ぎに、二の鳥居をくぐります。すると石段があるので、それを登ると正面に稲荷社がありました。
扁額には「樹下稲荷大明神」と書かれており、案内板によると、創建年代は不明。御祭神は、五穀豊穣の神様である倉稲魂大神(すかのみたまのかみ)が祀られているそうです。
ここで先に参拝に来られた方が降りて来られたので、ここから少しだけ階段を登って境内に入ります。
右手に本殿でしょうか、見えている・・・と言うより、清掃されてるのでしょう、箒で掃かれている音が聞こえています。
階段を上がると、思ってたより境内は狭いです。9時前でも暗くて・・・右手に本殿、中央に拝殿、奥には分かりませんが神輿庫のようでしたが・・・多分、違うかも

ここは薄暗くて、何より蚊が恐いです。そんなに長居はできそうにもないので本殿でお参りです。
手前が拝所で、木立の中・・・昼間でも暗い中、本殿がありました。そこで清掃されてた方に「朱印は


これでもソフトに書きましたが、そんな口の聞き方でいいのかと、すごく気分を害しましたが、ここには調べると"朱印"ありそうなので、神職さんが居るときに再訪したいです

高御産日神(たかみむすびのかみ)、神産日神(かみむすびのかみ)、生産日神(いくむすびのかみ)、足産日神(たるむすびのかみ)、玉積産日神(たまつめむすびのかみ)、大宮売神(おおみやのめのかみ)、御食津神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、相殿に十禅師大明神を祀られているようです。
先程も言いましたが、蚊が多そうなので早々に下に降りてきました。戻ってからは誰にも出会わなかったですね、銀閣寺は賑わってるようですが

社務所は、当然不在です。朱印じゃく、記念スタンプはありましたが、これは朱印帳には押せません

1853年(喜永6年)の浄土寺村一帯の火災により、八神社の古文書等が焼失してしまい、創建年代など由緒は分からなくなったようです。 ただ大同年間(806~810)とも延喜年間(901~923)とも伝えられています。創建当初は浄土寺や銀閣寺の鎮守社であったようで、この地域一帯の産土神として広く崇敬を集めていました。
ここには8時36分に入って、8時46分に出て行きました。そして、銀閣寺向かう人並みを見ながら、駐車場には戻らず、朱印を貰い損ねた北白川天神宮に9時頃着きましたが、ベルを何度も押しましたが出て来られず。扉は開いていたので、非常に残念ですが、やむなく駐車場に戻り次へと向かいました。歩いて10分弱、早足で歩いたので、それほど時間はかかっていませんが、帰りはやっぱり疲れが出ました

【八神社】