宮本武蔵と吉岡一門との決闘の地 一乗寺下り松へ
私が中学生の頃、吉川英治「宮本武蔵」を寝る間を惜しんで読みました。同級生も読んでて、二人して「一乗寺下り松」を壬生の地から、ここまで自転車で・・・当時は、スマホも携帯も無い時代で、地図も見ずに来た覚えがありますが、どの道を通った来たのか・・・全く記憶がありません。
一乗寺 中谷の店の人に聞くと「直ぐそこ」と聞き、来て見たら1分ぐらいでした。妻も後から来ましたが、「こんなに近かったの」と言ってました。
天気が良すぎて、強烈な朝日を浴びて、猛烈な逆光です。そして、松が植わっていますが・・・私が見たのはもっと大きかったので、調べると4代目でしたね、私が子供の頃に見たのが3代目だったのでしょう。
一乗寺下り松は、平安時代の昔から、近江から京に通じる交通の要衝にあり、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目である。平安時代中期から南北朝時代頃までこの地にあった一乗寺にちなんで名付けられている。江戸時代初期、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説でも有名で、1964年(昭和39年)の映画「宮本武蔵 一乗寺の決斗」の舞台でもある。宮本武蔵が決闘に向かう途中立ち寄った八大神社は250㍍先にある。現地には松及び『宮本 吉岡 決闘之地』碑があり、隣接して『大楠公戦陣蹟』碑(足利尊氏と戦った楠木正成の陣所跡)が建てられている。((Wikipediaより)
久し振りに「一乗寺下り松」来て見ました。中学の時もそう思いましたが、今は住宅街に囲まれて、決闘当時の面影はありません。それでも、ここで武蔵が躍動したと思えば、遠く壬生からやって来て良かったと思いました。ここからまた、自転車が帰って行ったんでしょうけど・・・全く記憶がありません。
【一乗寺下り松】
一乗寺 中谷の店の人に聞くと「直ぐそこ」と聞き、来て見たら1分ぐらいでした。妻も後から来ましたが、「こんなに近かったの」と言ってました。
天気が良すぎて、強烈な朝日を浴びて、猛烈な逆光です。そして、松が植わっていますが・・・私が見たのはもっと大きかったので、調べると4代目でしたね、私が子供の頃に見たのが3代目だったのでしょう。
一乗寺下り松は、平安時代の昔から、近江から京に通じる交通の要衝にあり、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目である。平安時代中期から南北朝時代頃までこの地にあった一乗寺にちなんで名付けられている。江戸時代初期、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説でも有名で、1964年(昭和39年)の映画「宮本武蔵 一乗寺の決斗」の舞台でもある。宮本武蔵が決闘に向かう途中立ち寄った八大神社は250㍍先にある。現地には松及び『宮本 吉岡 決闘之地』碑があり、隣接して『大楠公戦陣蹟』碑(足利尊氏と戦った楠木正成の陣所跡)が建てられている。((Wikipediaより)
久し振りに「一乗寺下り松」来て見ました。中学の時もそう思いましたが、今は住宅街に囲まれて、決闘当時の面影はありません。それでも、ここで武蔵が躍動したと思えば、遠く壬生からやって来て良かったと思いました。ここからまた、自転車が帰って行ったんでしょうけど・・・全く記憶がありません。
【一乗寺下り松】