豊臣秀吉が伏見城の守護神として勧請した満足稲荷神社へ

聖護院前の駐車場で、暑さで飲み干したペットボトルのたお茶を補給して、8時30分に出て行きました。今度は丸太町東大路の交差点を南下し、約5分で京都文教学園前パーキングに着きました。そしてそこから歩いて直ぐの満足稲荷神社に向かった次第です。

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ここには8時37分頃に着きました。境内には南門一の鳥居から入りましたが、ここが開いてるかどうかが心配でした。

この満足稲荷神社には8月5日(土)に大谷祖廟へ墓参りに行く途中に通りました。まだ朝が早かったので、車の中か門が閉まっているのが見えたんです。帰りもそうでした・・・まだ門は閉まってました。ここは9時頃の開門かなぁ・・・と思って来て見た訳です。

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南門から入ると、今度は朱塗りの鳥居があって「満足神社」の扁額が架かっていますが、誰が書かれたは後程頂いた"由緒書き"には書いて無かったです。

開門が8時30分頃だったのかなぁ・・・と思いながら境内に入ると、お一人参拝に来られました。その間に境内南西にある手水舎に寄りました。

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境内の南西角には「神馬像(しんめぞう)」があって目立ちます。神様が御乗馬される神馬の名残だそうです。

それにしても"満足稲荷神社"面白いネーミングに挽かれてやって来ました。境内の中央には舞殿がありました。

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舞殿の前には、稲荷神社につきものの"狛狐"が安置あれてます。この神社には六対、計十二体も狛狐が居るそうですが・・・全て探して・・・みないです

ここで本殿にお参りです。手前に拝所、奥に本殿が見えます。

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御祭神は、倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)で、稲荷大明神とも呼ばれ、古くから農業・商工業の神として広く人々に親しまれています。

豊臣秀吉が伏見城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請し崇敬された神社です。名前の由来は、秀吉が祭神の加護にすこぶる満足感を得たことに由来するといわれています。その後、江戸川幕府5代将軍・徳川綱吉公が1693年(元禄6年)現在地に遷座されました。現在も、人々からは"満足さん"と呼ばれ親しまれています。

次ぎに境内にある末社を巡ります・・・と言っても境内は・・・狭いです。最初は本殿の東側にある「天照大御神」「大国主大神」「猿田彦大神」です。

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右から"猿田彦大神"(交通安全・土地の神様)"大国大神"(縁結びの神様)"天照大御神"(日本の神様の始祖)

次ぎに境内の西側に移動すると、そこには石鳥居があって、前には"岩神さん"書いてありましたが・・・鳥居の中に入っていくと・・・。

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この奥の樹齢400年の大きな"もちの木"があり、御神木です。京都指定保存樹で、1本の幹から八本の幹が分かれ末広がりで縁起が良いとされています。

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この神社で最も古くから元の御本殿を守っていた狛狐の「ツネ吉(右)」「ツネ松(左)」です。この狛狐・・・体中怪我だらけ・・・今も健気に守り続けれています。  

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この磐座が"岩神さん"です。この岩を自分の体に摩って悪いところが治るようにお祈りしました。ほぼ全身摩りましたが・・・御利益があるでしょうか

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境内西側に残る「元御本殿」を示す石標です。東大路通りが整備されたことに伴い、現在の位置に遷移するまで、ここでした

その東大路通りに出てみました。この神社の前にバス停がありますが、お盆休みのためか誰も居ませんでした。

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こちらが二の鳥居です。以前、ここの門が閉まっているのを車の中から見てました。ここは8時前では入れないかと思います。

最後に朱印を探しました。社務所はありましたが、在宅かどうか・・・ただ、ここが開いているので、多分・・・在宅だろうと思ったんですが・・・。

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ただ何度か呼鈴を押してみましたが、全く反応無し。ただ書き置きの"朱印"と由緒書きが置いてあったので、いただきました。料金は賽銭箱に入れましたが・・・それで良かったのでしょう。

ここを出て、再び文教学園前パーキングに戻り清算すると、利用時間が、8時36分~8時51分で、料金が100円で済みました。お盆休みのため道路は空いていますが、ここから自宅の戻りました。

【満足稲荷神社】



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