「小野篁・紫式部」の墓

北大路通り堀川の交差点を南に少しだけ下がった西側に、平安時代の紫式部と小野篁のものとされる墳墓があります。

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堀川通沿いに面していて、その入口の右側には「紫式部の墓所」、左に「小野篁卿墓」と書いてあります。

交通量の非常に多い堀川通沿いにひっそりと奥に入って行くと・・・西側に「紫式部の墓」がありました。

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墳丘に紫式部は眠っているのでしょうか真意は分かりませんが、近くには"紫式部顕著碑"が1989年(平成元年)に建てられたものがありました。

また、右横には平安時代前期の公卿で"冥土へ往来したとか冥官(地獄の閻魔王の庁の役人)になったといった類の逸話"で有名な「小野篁の墓」があります。

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六道珍皇寺にある『篁冥土通いの井戸』から冥界へ行き来していた小野篁と紫式部の墓が隣り合わせとは・・・その手前には「参議小野公塋域碑」があって、こちらは1869年(明治2年)に建てられたようです。

源氏物語の注釈本で、室町時代の公家・学者・歌人であった四辻善成(よつつじよしなり)が著した『河海抄(かかいしょう)』の「式部の墓所は白亳院(びゃくごういん)の南、小野篁の墓の西なり」と書かれています。そのことからこの地に定められたように思われます。文中にある白亳院は雲林院の末寺とされ、東南部に位置していましたが、応仁の乱で荒廃し、天正年間に引接寺(いんじょうじ)(千本焔魔堂)に移されました。現在、同寺にある十三重塔の紫式部供養塔は、その際に白亳院から移されたと伝わります。

真意はともかく、以前から場所は知っていましたが、中々行けなくて・・・西賀茂大将軍神社へ行った帰りに寄ってみました。

【小野篁・紫式部の墓】



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