藤原氏が春日の神を勧請して創建された吉田神社へ【前編】

吉田神社は、節分祭で、壬生寺と並び京都では有名です。そんな吉田神社ですが、私はまだ訪問したことがありませんでした。そこで8月16日(水)と17日(木)が連休だったこともあって、朝早くから訪れることにしたんです。

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京都大学の正門には百周年時計台記念館があり有名ですが、その前の通りかが東一条通りです。その通りの東端には吉田神社の一の鳥居が建っています。

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幕末に整備された東一条通りにある一の鳥居をくぐると、長い参道を進みます。この長い参道が駐車場で、8時15分に着きました。まだ参道や社殿は神職さんらが清掃されてる中、奥に進んで行きます。

長い参道を歩いて行く・・・と言いましたが、駐車場に車を止めたので・・・戻っただけです。車を止めた所から直ぐに・・・二の鳥居の手前に手水舎があります。

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先程も言いましたが、この時間では神職さんが境内を清掃されてて、そこで先に手と口を清めることにました。(当たり前のこですが・・・)

本殿前に通じる階段も数名で清掃されているので、先に祖霊社に寄りました。

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本祖霊社は、宗教法人太元講社社員の各霊位を奉祀し各霊の年祭ならびに毎年春秋2回大祭を執行し、霊魂を慰めるため、1883年(明治16年)4月に、現在に霊社を創立されました。(駒札より)

次ぎにお隣の、末社「今宮社」によりました。ここも清掃されてたので、少し待ちました

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御祭神が、大己貴神(おおなむちのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)でした。

吉田で生まれた人々を守護する産土神で、木瓜(こうり)大明神とも呼ばれています。創建年代は不詳ですが、1215年(建保3年)の書物にその名の記載が見られます。1816年(文化13年)に現地に造営されました。

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ここの境内の四隅には「今宮社四神石」なるものがあって、上の写真から西南「白虎石」、西北に「玄武石」、東南に「青龍石」があり、東北の「朱雀石」だけは内陣にあるため見えません。

先ずは本宮に行こうと思い、二の鳥居から石段を上がります。

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清掃されてた神職さんも、8時30分になると一斉に引き上げられます。汗だくで頑張られてましたが、私も汗びっしょりです。まだそんなに歩いてないのに・・・ね。

階段を上がると左手に進むと三の鳥居が見えてて、その手前に巨大な「火炉」を目にします。節分の的、火炉祭で使われるみたいですけど・・・。

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その三の鳥居をくぐります。余談ですが、帰り、ここは通れませんでした。鳥居の前に車が止まってて・・・非常識と言うか・・・一般の方は入れないので・・・神社関係者の車だと思いますが、そんな所に止めるか・・・呆れました

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この時間はくぐれた鳥居の先には舞殿があります。檜皮葺の社殿は、1865年(元治2年)の造営です。

そして南向きに朱塗りの中門。1672年(寛文12年)に修造された、これも檜皮葺の四脚門で、この前で参拝します。その奥に鳥居が見えてて、全景は見えませんが本殿が並んでいるのが、何とか分かります。

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初めて来たので要領は分かりませんが、この先は普段から入れないのでしょう。北から(写真下)第一社殿、第二社殿、第三社殿、第四社殿と並んでてて、1534年(天文3年)に再建された切妻造・妻入の春日造りの社殿となっています。

御祭神は、健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いはいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)です。


この本宮本殿近く社務所授与所があり、この時間ではまだ開いて無かったので、帰りに寄りました。

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ここ吉田神社は大変広いです。くまなく回ると1時間30分ぐらいかかりましたので、帰りに朱印と由緒書き(無料で)はいただけました

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こちらは社務所の対面にある直会殿(なおらいでん)とありましたがろ・・・詳しくは分かりません・・・一見して絵馬舎かなぁ・・・と思ったんですが・・・。

ここから階段を上がります。この吉田神社では何度も階段を上がることになって、足腰を鍛えるには良いかもね。この先には摂社の神楽岡社(かぐらおかしゃ)があります。

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吉田神社本宮創建の859年(貞観元年)には既に鎮座していたと言われ、平安時代中期に編纂された「延喜式」に神 神楽社の記載が見られるお社です。

御祭神が、大雷神(おおいかづちのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)で、神楽岡とは神が集う岡・・・すなわち吉田山を指します。

本当は、次の摂社まで下に降りずに行けますが、清掃されてたので、一旦降ります。そこには1865年(元治2年)に建立された着到殿(ちゃくとうでん)がありました。

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本殿の神事に先立ち、神職がここで御祓いを受ける建物だそうです。神聖な建物のため立入は出来ないようになっていました。

ここで神職さんらが清掃をやめられたので、再び階段を上がります。次は1648年(慶安元年)に社殿が造営された摂社の若宮社です。

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元は本宮の第二殿と第三殿の間に無社殿で祀られていたのを前途のとおり、社殿が造営されたもの。御祭神は、天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)です。

この若宮社の石段下には、国歌「君が代」でお馴染みの「さざれ石」と「神鹿像(しんろくぞう)」があるので見逃しません

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吉田神社のの神の使いである鹿・・・1985年(昭和60年)に昭和天皇即位60周年を記念し設置されたものです。

階段の上り下り3連発の最後・・・末社の神龍社(かみたつしゃ)で、ここの階段は・・・きつい・・・です

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斎場所 大元宮を創建した卜部(吉田)兼倶を祀り、1513年(永正10)に創建、1880年(明治13年)に吉田神社 末社に定められました。御祭神は、従二位 卜部(吉田)兼倶(うらべかねとも)朝臣です。

前編の最後が、龍澤池(たつさわいけ)です。

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秋には、紅葉が綺麗そうな池の畔に小さな社殿がみえましたが、由緒書きにも書いて無いので、分かりません。

859年(貞観元年)中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が平安京の鎮守神として、都城の東北(鬼門)比叡の山とともに王城の鎮護と崇められる地である吉田山に、藤原氏の氏神・春日大社の神を勧請し創建したのが始まり。

先程も言いましたが、吉田神社は広いです。このように階段の登り降りもあって・・・さらに、ここから奥へ奥へと進みますが後編でアップします。

【吉田神社】



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