藤原氏が春日の神を勧請して創建された吉田神社へ【後編】

前編の続きです。吉田神社の奥に入ると、「吉田神社案内図」があるので確認できます。もっとも遠い稲荷社まで行く予定ですが・・・。

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ここで分岐点に出会います・・・と言っても分岐ではありませんが、右に行けば「斎場所 大元宮」があり、この日は公開されてませんが、どうしても見てみたいと思っていたので後周りし・・・左に行くことにします

左の鳥居の手前には「菓祖神社」と書かれた石標(社号)がたっており、この先の石段を、またまた登ります。

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お菓子の神様を祀るレ神社で、1957年(昭和32年)に京都の菓子業界の奉賛によって創建されました。余談ですが、ここの階段は、それほどでも・・・です

果物の祖と言われる橘(たちばな)を日本に持ち帰ったとされる田道間守命(たぢまもりのみこと)と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命(はやしじょういんのみこと)の二柱を祀った神社。

それで元に戻って緩い緩い石段を下り元の分岐点に戻ると、今度は右手の鳥居をくぐります。そしたら長い参道を歩いていくと・・・。

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この先の右手に小さな鳥居が見えていますが、次の目的地である「斎場所 大元宮」では・・・ないようで、あまりにも・・・小さそう・・・。

そうこうしてたら山蔭(やまがけ)神社に着きました。この神社は飲食関係者の尊敬が篤いとか・・・。

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1959年(昭和34年)に全国料理関係者により創建され、多くの料理店や業界の方々の信仰を集めています。

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社号標の裏には、それを物語る「全国料理業組合・・・」と、まちその横には、1963年(昭和38年)建立と書かれています。

御祭神は、吉田神社の創建を勧請した藤原山蔭(ふじわらやまかげ)と、相殿に恵比須神が祀られています。山蔭は日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけたといわれ、古来より包丁の神・料理飲食の祖神として親しまれています。

この参道沿いには句碑歌碑が点在しています。順序はパラパラですが・・・

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『枝うつり ほがらに呼ばふ 小鳥らと 詣でに来つれ 神います丘』(歌人・平井乙麿(ひらいおとまろ))

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上の写真は『神丘に 啼く鶯の 﨟たけて 野風呂』(鈴鹿野風呂(すずかのぶろ))。下の写真は・・・不明です

山陰神社の次ぎに、「斎場所 大元宮」に向かいます。緩やに登っている参道をゆっくり歩いていくと、手前に大きな手水舎が・・・。

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日の日は内院に入れないのは知っていました。ここには正月3日間と節分祭、並びに毎月1日に限り、内院に入って参拝できるので、次の1日が休みに重なるのは・・・

ここで、大元宮の本殿を覗いてみました。重要文化財に指定されてる特殊な八角形の建物を見ることができます。

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1980年(昭和55年)に改修された本殿は、吉田神道の教義により宇宙軸を現すとか。この奥にある東神明社と西神明社は、いくら頑張っても見えません。また東西諸神社には、3132座も祀っており、居ながら全国の神社の御利益を受けられるみたいです。

御祭神が、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)。吉田兼倶が1484年(文明16年)に創建され、東神明社で皇祖神の天照大御神を、西神明社で食物の神である豊宇氣比売神を祀る。社殿は、卜部(吉田)邸にあった社を移築したものです。

次ぎに内院を再訪しようと思いつつ、次へと向かいました。次の末社は、三社社といいますが、そのまま向かいましたが、そこの階段下の入口には鳥居があります。

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もう・・・階段を登り降りする気力は無いので(暑さに負けました)以前、重森三玲美術館を訪れた時の写真を使いました。

大元宮から真っ直ぐ、下の鳥居からは少し登った所にあるのが末社の三社社がありました。

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御祭神は、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、狭依毘売命(さよりひめのみこと)、多岐津毘売命(たきつひめのみこと)、金山毘古命(かなやまひこのみこと)、金山毘売命(かなやまひめのみこと)、菅原神(すがわらのかみ)で、それぞれ"海の神""山の神""知識の神"として御利益を受けられるとか。

初め吉田家の邸内に鎮祭してあったのを、1844年(弘化元年)現在の地に遷座されました。1872年(明治5年)吉田神社の末社に定められました。

次が最後の竹中稲荷社で、その入口に「竹中稲荷大神」の扁額が架かっています。

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ここから少し歩きます。約1分ぐらいですが、暑さで疲れた体には堪えました。ただこのと時、8時30分を少し回ったぐらいなんですけど。

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稲荷社らしく狛狐が両側に鎮座している中、朱塗りの鳥居が並ぶ中、奥へ奥へと進みます。朝から暑いので、玉のような汗をかきながら・・・。

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鳥居をくぐり終えると拝殿があって、そこにも「竹中稲荷大神」の扁額が架かっています。

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御祭神が、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)と書いてありました。

由緒の詳細は不明。天長年間(824~834年)には既に社殿の在った事が書かれています。現在の地には1840年(天保11年)信徒の寄付金で造営されました。1872年(明治5年)吉田神社の末社に指定されました。

次が最後の末社で、天満宮社です。社殿の左隣ですが、元に戻って・・・鳥居から撮り直ししました

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御祭神は、菅原道真公で、神牛像も安置されてました。天神さんと親しまれ、学業成就の御利益があるとか。

地福院に奉祀されてあったのを、1852年(嘉永5年)現地に遷座。1872年(明治5年)吉田神社の末社に指定されました。

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この奥にも古い社殿などが散在してましたが、吉田神社の末社ではないようです。どこの神社かわかりませんが、ここでお一人と初めて出会いました。

ここには、8時15分が着いて、9時30分頃に出て行きました。全身汗だくになってしまい・・・ここから、もう少し何カ所か回ろうと思っていましたが、あまりにも体が濡れたので、ここで帰ろうとしたら、ある看板が目に入ったので寄って行くことにしました。

【吉田神社 山陰神社】



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