黒住教の教祖黒住宗忠を祀る宗忠神社へ
吉田神社の末社・竹中稲荷社を出て元に戻ることにしましたが、右手に「黒住教 宗忠神社」の看板を目にしました。調べると2010年1月に寄ってましたが、この時は忘れてて・・・宗忠神社の勅使門から境内に入りました。
創建当初の正参道だそうで、1865年(慶応元年)の勅願所に選定された事により、御所よりの勅使がこの道を通っていたことから、勅使門と呼ばれたようです。
吉田神社が初めて来たので、この門は初めてです。前回は真如堂を訪れた時、東鳥居から入って境内を少しだけ見て、直ぐに出て行ったから殆ど覚えていませんでした。
勅使門を入ると石造鳥居があります。それより"黒住教"って・・・何だろう
・・・と・・・見た所・・・神社のようですが
。
全然、覚えて無いので初めて来たようなものです。参道を進んで行くと左手に手水舎ではなく、井戸です。神井戸らしく、ここより先は立入れません。
赤木忠春(宗忠の高弟)の発案により掘られた井戸。一夜に真清水が湧き出たと伝わる霊験あらたかな井戸だそうです。
そのまま進めば、右手に小さな階段があり、その先には拝殿が見えますが、これが大きくて本殿が全く見えないです。
入母屋造・銅葺で、奥行きが9㍍、長さが18㍍もあり、この拝殿で奥にある本殿が参拝できます。どうやら本殿前に行けないみたいです。
(写真上)拝殿の左側が、本殿で教祖の黒住宗忠が祀られています。また(写真下)拝殿の右側が、神明宮本殿で御祭神の天照大御神が祀られています。
ここで神職さんがお供えで本殿を左から右へと移動されたので、先ずは左の社殿から。赤木忠春霊社と言い、先程"神井戸"で取り上げられた赤木忠春が祀られています。
八年間の盲目に悩まされてた赤木忠春は、宗忠の説教を一時拝聴したら、即座に開眼したそうです。それに感謝し宗忠神社の創建に尽力されました。
そして次ぎに、大きい拝殿を横切り右側に移動すると、そこには白山社がありました。
御祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと・白山比咩大神(しらやまひめのかみ))、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・・・石川県の白山比咩神社の御祭神が祀られています。
拝殿から石段を降りると手水舎がありました。順序は逆ですが近づくと・・・。
「近づくと水が出ます・・・」云々と書いてありましたが、本当に近づくと水がチョロチョロ出て来ました。ここだけ現代でしたね
。
ここで東側の石段を降りてみることにしました。ここは真如堂の桜を見に来た時にも寄りましたが、桜が大変綺麗なんです。
今は、ここが入るのがメインなんでしょう。前途のとおり桜が大変綺麗なんですけど、随分前のため写真が見当たらない・・・のは残念です。
本当は、この石段を降りたく無かったのが本音です。吉田神社で、何度も登り降りしてて、足は大丈夫ですが、もう暑さが・・・限界でした。朝早く来ても、この湿気と高温ではね
。
境内に入ると手前にある石鳥居を宗忠鳥居と呼ぶらしい。1982年(昭和57年)に「宗忠神社御鎮座百二十年記念祝祭」の記念事業の一つとして、再建された鳥居です。
ここから帰るつもりで社務所を覗くと朱印がありました。ちょうど犬の散歩から帰られたばかり、そっそくお願いすることにしました。
新興宗教のようですが、私には違いがわかりません。朱印はいただきましたが、次ぎにはもう一度、桜の時期に再訪したいです。
黒住教の教祖黒住宗忠を祀る神社。1780年(安永9年)備前国の今村宮の神主の家に生まれ、1814年(文化11年)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始した。以後布教を重ね、1850年(嘉永3年)2月25日没した。1856年(安永3年)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられ、1862年(文久2年)門人の赤木忠春が当地にこの大明神を勧請し、建立したものである。幕末の頃には朝廷の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも厚い崇敬を受けた。現在の本殿は流造で、1912年(明治45年)に改築されたものであり、また拝殿も1937年(昭和12年)に改築されたものである。本殿と並ぶ神明宮は、二条家より還したものといわれ、天照大神を祀る。 例祭は、本殿は4月、神明宮は10月に毎年とり行われる。(駒札より)
ここから吉田神社に戻り、そこの社務所で朱印をいただき帰路に着いた次第です。
【宗忠神社 拝殿】

創建当初の正参道だそうで、1865年(慶応元年)の勅願所に選定された事により、御所よりの勅使がこの道を通っていたことから、勅使門と呼ばれたようです。
吉田神社が初めて来たので、この門は初めてです。前回は真如堂を訪れた時、東鳥居から入って境内を少しだけ見て、直ぐに出て行ったから殆ど覚えていませんでした。
勅使門を入ると石造鳥居があります。それより"黒住教"って・・・何だろう


全然、覚えて無いので初めて来たようなものです。参道を進んで行くと左手に手水舎ではなく、井戸です。神井戸らしく、ここより先は立入れません。
赤木忠春(宗忠の高弟)の発案により掘られた井戸。一夜に真清水が湧き出たと伝わる霊験あらたかな井戸だそうです。
そのまま進めば、右手に小さな階段があり、その先には拝殿が見えますが、これが大きくて本殿が全く見えないです。
入母屋造・銅葺で、奥行きが9㍍、長さが18㍍もあり、この拝殿で奥にある本殿が参拝できます。どうやら本殿前に行けないみたいです。
(写真上)拝殿の左側が、本殿で教祖の黒住宗忠が祀られています。また(写真下)拝殿の右側が、神明宮本殿で御祭神の天照大御神が祀られています。
ここで神職さんがお供えで本殿を左から右へと移動されたので、先ずは左の社殿から。赤木忠春霊社と言い、先程"神井戸"で取り上げられた赤木忠春が祀られています。
八年間の盲目に悩まされてた赤木忠春は、宗忠の説教を一時拝聴したら、即座に開眼したそうです。それに感謝し宗忠神社の創建に尽力されました。
そして次ぎに、大きい拝殿を横切り右側に移動すると、そこには白山社がありました。
御祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと・白山比咩大神(しらやまひめのかみ))、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)・・・石川県の白山比咩神社の御祭神が祀られています。
拝殿から石段を降りると手水舎がありました。順序は逆ですが近づくと・・・。
「近づくと水が出ます・・・」云々と書いてありましたが、本当に近づくと水がチョロチョロ出て来ました。ここだけ現代でしたね

ここで東側の石段を降りてみることにしました。ここは真如堂の桜を見に来た時にも寄りましたが、桜が大変綺麗なんです。
今は、ここが入るのがメインなんでしょう。前途のとおり桜が大変綺麗なんですけど、随分前のため写真が見当たらない・・・のは残念です。
本当は、この石段を降りたく無かったのが本音です。吉田神社で、何度も登り降りしてて、足は大丈夫ですが、もう暑さが・・・限界でした。朝早く来ても、この湿気と高温ではね

境内に入ると手前にある石鳥居を宗忠鳥居と呼ぶらしい。1982年(昭和57年)に「宗忠神社御鎮座百二十年記念祝祭」の記念事業の一つとして、再建された鳥居です。
ここから帰るつもりで社務所を覗くと朱印がありました。ちょうど犬の散歩から帰られたばかり、そっそくお願いすることにしました。
新興宗教のようですが、私には違いがわかりません。朱印はいただきましたが、次ぎにはもう一度、桜の時期に再訪したいです。
黒住教の教祖黒住宗忠を祀る神社。1780年(安永9年)備前国の今村宮の神主の家に生まれ、1814年(文化11年)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始した。以後布教を重ね、1850年(嘉永3年)2月25日没した。1856年(安永3年)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられ、1862年(文久2年)門人の赤木忠春が当地にこの大明神を勧請し、建立したものである。幕末の頃には朝廷の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも厚い崇敬を受けた。現在の本殿は流造で、1912年(明治45年)に改築されたものであり、また拝殿も1937年(昭和12年)に改築されたものである。本殿と並ぶ神明宮は、二条家より還したものといわれ、天照大神を祀る。 例祭は、本殿は4月、神明宮は10月に毎年とり行われる。(駒札より)
ここから吉田神社に戻り、そこの社務所で朱印をいただき帰路に着いた次第です。
【宗忠神社 拝殿】