京春日と呼ばれる藤原氏が勧請した春日の神 大原野神社へ
8月25日(金)は少し早い敬老のお祝いで食事を予定してますが、その前にまだ未訪でした大原野神社に行くことにしました。
車で行きましたが、ナビは不要でした。しかし途中の道が狭くて・・・出会う度にバックしたり・・・それ以外は別に問題なく、8時過ぎに大原野神社の駐車場に着きました。
駐車場は無人でしたが、゜初穂料"400円とあり、缶の中に入れるシステムのようです。私は正直に入れました。
境内には一の鳥居から入りました。その右隣には「官幣中社 大原野神社」と書かれた社号標が立ってる中、くぐってみると少しばかり階段を登ります。
登り切ると、明神鳥居である二の鳥居がありました。そこからは長い参道が続きますが、モミジの木立を進んで行きます。
ここから長い参道が続きますが、歩きながら「秋は綺麗やろなぁ・・・」と思いました。私自身、大原野神社のことを詳しく知らなかったこともありますが、燈籠に刻まれた鹿の絵も気になって・・・。
朝早く来ましたが、この日も猛烈に暑いです。少し歩いただけで・・・もう汗だく・・・そしたら右手に池が見えて来て・・・ここに少しばかり睡蓮が咲いてるようです。
この池は、鯉池と呼ばれてるようで、案内板もありました。ただ、ここは帰りに寄ることにして先を急ぎます。
左大臣藤原冬嗣を送付にもつ第55代文徳天皇は、壮麗な社殿と共に鯉沢の池も造りました。池は名泉「瀬和井」と水系を一つにして、杜若や睡蓮を咲かせて親しまれています。(案内板より)
そしてほぼ向かいには、案内板にあった名泉「瀬和井(せがい)」がありました。ここでも少しばかり足を止めて案内板を読みます。
名水の一つで、第56代清和天皇の産湯の清水に使われたとか。「伊勢物語」「古今和歌集」など数々の和歌に詠まれました。
「大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことをかたらなん」(左大臣)、「大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の陰見ん」(紀貫之)、「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」(大伴家持)、「夜を寒みせがいの水は氷るとも 庭燎は春のこころこそすれ」(大江匡房)(案内板より)
この先を急ごうと少し進むと、次ぎに大原野神社では有名な桜「千眼桜(せんがんざくら)」・・・「ここにあったんだぁ・・・」と。
花の開花と言うより、寿命が2日から3日と短いので、"幻の桜"だと言われている桜なんです。運が良かったら見られるかも・・・この日初めてきたので、もちろん見てません。
千眼桜は1本の枝に"ぼんぼり"のように花が咲き、眼がたくさんあるように見えるところから、「千眼桜」と呼ばれるようになりました。満開時には豪華な姿を見せるとか。
そして、いよいよ本殿が見える所までやって来ました。その手前・・・左側に手水舎があって、これがまた変わっているんです。
水守として神鹿像(しんろくぞう)がおり、その加えている巻物から水が出ています。まさに鹿づくし・・・これは気になりました。
朱塗りの三の鳥居をくぐると、正面に本殿が見えました。この時、8時15分頃・・・社務所を見ると・・・人が居るような・・・それは後程。
現在の本殿は、後水尾上皇の勅命により、慶安年間(1648~1652)に造営されたもので、4殿が板塀で連結されてるのが覗き見えます。
第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣大神(ひめのおおみかみ)が祀られています。
本殿に向かって右側に、雄の神鹿象が、左に雌の神鹿像が安置されていました。狛犬や狛狐と呼ばれていますが狛鹿とは言わないのでしょうか。
ここで気になる社務所に行きました。まだ時間が早いので、朱印は次ぎに行く寺院の後に寄っていくことにしてましたが、どうも神職さんが居るようで・・・。
恐る恐る"朱印"を聞いて見ると、快く書いていただきました。そこで「ここは鹿が多でですよね」と尋ねると、ここの由緒なんかを話していただきました。
784年(延暦3年)藤原氏の出身で桓武天皇の后・藤原乙牟濾(ふじわらのおとむろ)が氏神の春日神を祀ったのが始まり。本殿が4棟が並列する春日造は、勧請元の春日大社を模したものです。桓武天皇は、平城京から長岡京、そして平安京へ遷都され在任中に、この大原野には、鷹狩りに26回も来られました。奈良の春日"野"、京都市の大原"野"は昔も今も変わらぬ姿を今に伝えています。
御朱印をいただいて、少しばかり世間話をしたあと、本殿の左側を散策です。奥に神輿庫と末社が並んでいます。調べると・・・。
右から「八坂社」(御祭神が、素戔嗚尊)、中央が「稲荷社」(御祭神が、倉稲魂大神)、「八幡社」で相殿に白鬚大神と藤森大神が祀られています。
こちらは本殿の右側に聳える、樹齢450年の御神木の「樅の木」です。樹高は21㍍もあります。
そんなに広い境内ではありませんが、時間があるので・・・結構ゆっくりしてから、三の鳥居から出て行きました。先程、朱印を書いていただいた神職さんは本殿前で神事を・・・。
長い参道を時間があるので、ゆっくり戻ると、今度は左手に句碑を見つけました。向かって右から・・・。
「まさかりを過ぎしもみじ葉ためいろのくれなゐ霧らし夕日かがよふ」五島 茂(1900~2003)現在の天皇陛下の和歌を指導された方だそうです。また、左は「目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて」五島美代子(1898~1977)皇后陛下の和歌を指導されたとか。
こちらは右手にあって、旧御神木の切り株でしょうか案内が書いて無いので、分かりませんが・・・。
そして、行きにスルーした鯉沢池の廻りを散策です・・・と言いたいけど・・・蚊が多そう・・・で、少し恐いけど・・・行きます。
奈良の猿沢池を模して造られた池には、睡蓮が咲いています。また、中島には「地主社(じぬししゃ)」があって同地の地主神を祀るため鎮座していました。
この地主社から池越しに、摂社の「若宮社」が見えています。池を回り込んで、そこまで・・・行きます。
御祭神は、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)が祀られて、古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁の守護神として親しまれています。
池には前途のとおり睡蓮が咲いています。朝早く来たので充分見られました。ここでは杜若も咲くそうですが、やっぱり写真を見ると紅葉が綺麗そうです。
こちらは土俵です。残念ながら近づくことは叶いませんが、御田刈祭(みたかりさい)には神相撲が奉納されるようです。表に看板が出ていてそれによると・・・。
9月10日(日)「御田刈祭」本年神相撲300年とありました。
最後に、駐車場の横にあった社号標です。ここからでも境内に入れましたが、正面に回ってから境内に入った訳です。
富岡百錬(とみおかひゃくれん・富岡鉄斎)揮毫の社号標で、かつて付近の街道沿いにあったようです。
秋の紅葉や春の桜が見所のようですが、この日のように・・・境内に誰も居ない・・・何てことはありえないでしょうね。また再訪したくなりました。ただ、一部の道が狭いのを除けば・・・です。
【大原野神社】
車で行きましたが、ナビは不要でした。しかし途中の道が狭くて・・・出会う度にバックしたり・・・それ以外は別に問題なく、8時過ぎに大原野神社の駐車場に着きました。
駐車場は無人でしたが、゜初穂料"400円とあり、缶の中に入れるシステムのようです。私は正直に入れました。
境内には一の鳥居から入りました。その右隣には「官幣中社 大原野神社」と書かれた社号標が立ってる中、くぐってみると少しばかり階段を登ります。
登り切ると、明神鳥居である二の鳥居がありました。そこからは長い参道が続きますが、モミジの木立を進んで行きます。
ここから長い参道が続きますが、歩きながら「秋は綺麗やろなぁ・・・」と思いました。私自身、大原野神社のことを詳しく知らなかったこともありますが、燈籠に刻まれた鹿の絵も気になって・・・。
朝早く来ましたが、この日も猛烈に暑いです。少し歩いただけで・・・もう汗だく・・・そしたら右手に池が見えて来て・・・ここに少しばかり睡蓮が咲いてるようです。
この池は、鯉池と呼ばれてるようで、案内板もありました。ただ、ここは帰りに寄ることにして先を急ぎます。
左大臣藤原冬嗣を送付にもつ第55代文徳天皇は、壮麗な社殿と共に鯉沢の池も造りました。池は名泉「瀬和井」と水系を一つにして、杜若や睡蓮を咲かせて親しまれています。(案内板より)
そしてほぼ向かいには、案内板にあった名泉「瀬和井(せがい)」がありました。ここでも少しばかり足を止めて案内板を読みます。
名水の一つで、第56代清和天皇の産湯の清水に使われたとか。「伊勢物語」「古今和歌集」など数々の和歌に詠まれました。
「大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことをかたらなん」(左大臣)、「大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の陰見ん」(紀貫之)、「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」(大伴家持)、「夜を寒みせがいの水は氷るとも 庭燎は春のこころこそすれ」(大江匡房)(案内板より)
この先を急ごうと少し進むと、次ぎに大原野神社では有名な桜「千眼桜(せんがんざくら)」・・・「ここにあったんだぁ・・・」と。
花の開花と言うより、寿命が2日から3日と短いので、"幻の桜"だと言われている桜なんです。運が良かったら見られるかも・・・この日初めてきたので、もちろん見てません。
千眼桜は1本の枝に"ぼんぼり"のように花が咲き、眼がたくさんあるように見えるところから、「千眼桜」と呼ばれるようになりました。満開時には豪華な姿を見せるとか。
そして、いよいよ本殿が見える所までやって来ました。その手前・・・左側に手水舎があって、これがまた変わっているんです。
水守として神鹿像(しんろくぞう)がおり、その加えている巻物から水が出ています。まさに鹿づくし・・・これは気になりました。
朱塗りの三の鳥居をくぐると、正面に本殿が見えました。この時、8時15分頃・・・社務所を見ると・・・人が居るような・・・それは後程。
現在の本殿は、後水尾上皇の勅命により、慶安年間(1648~1652)に造営されたもので、4殿が板塀で連結されてるのが覗き見えます。
第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣大神(ひめのおおみかみ)が祀られています。
本殿に向かって右側に、雄の神鹿象が、左に雌の神鹿像が安置されていました。狛犬や狛狐と呼ばれていますが狛鹿とは言わないのでしょうか。
ここで気になる社務所に行きました。まだ時間が早いので、朱印は次ぎに行く寺院の後に寄っていくことにしてましたが、どうも神職さんが居るようで・・・。
恐る恐る"朱印"を聞いて見ると、快く書いていただきました。そこで「ここは鹿が多でですよね」と尋ねると、ここの由緒なんかを話していただきました。
784年(延暦3年)藤原氏の出身で桓武天皇の后・藤原乙牟濾(ふじわらのおとむろ)が氏神の春日神を祀ったのが始まり。本殿が4棟が並列する春日造は、勧請元の春日大社を模したものです。桓武天皇は、平城京から長岡京、そして平安京へ遷都され在任中に、この大原野には、鷹狩りに26回も来られました。奈良の春日"野"、京都市の大原"野"は昔も今も変わらぬ姿を今に伝えています。
御朱印をいただいて、少しばかり世間話をしたあと、本殿の左側を散策です。奥に神輿庫と末社が並んでいます。調べると・・・。
右から「八坂社」(御祭神が、素戔嗚尊)、中央が「稲荷社」(御祭神が、倉稲魂大神)、「八幡社」で相殿に白鬚大神と藤森大神が祀られています。
こちらは本殿の右側に聳える、樹齢450年の御神木の「樅の木」です。樹高は21㍍もあります。
そんなに広い境内ではありませんが、時間があるので・・・結構ゆっくりしてから、三の鳥居から出て行きました。先程、朱印を書いていただいた神職さんは本殿前で神事を・・・。
長い参道を時間があるので、ゆっくり戻ると、今度は左手に句碑を見つけました。向かって右から・・・。
「まさかりを過ぎしもみじ葉ためいろのくれなゐ霧らし夕日かがよふ」五島 茂(1900~2003)現在の天皇陛下の和歌を指導された方だそうです。また、左は「目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて」五島美代子(1898~1977)皇后陛下の和歌を指導されたとか。
こちらは右手にあって、旧御神木の切り株でしょうか案内が書いて無いので、分かりませんが・・・。
そして、行きにスルーした鯉沢池の廻りを散策です・・・と言いたいけど・・・蚊が多そう・・・で、少し恐いけど・・・行きます。
奈良の猿沢池を模して造られた池には、睡蓮が咲いています。また、中島には「地主社(じぬししゃ)」があって同地の地主神を祀るため鎮座していました。
この地主社から池越しに、摂社の「若宮社」が見えています。池を回り込んで、そこまで・・・行きます。
御祭神は、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)が祀られて、古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁の守護神として親しまれています。
池には前途のとおり睡蓮が咲いています。朝早く来たので充分見られました。ここでは杜若も咲くそうですが、やっぱり写真を見ると紅葉が綺麗そうです。
こちらは土俵です。残念ながら近づくことは叶いませんが、御田刈祭(みたかりさい)には神相撲が奉納されるようです。表に看板が出ていてそれによると・・・。
9月10日(日)「御田刈祭」本年神相撲300年とありました。
最後に、駐車場の横にあった社号標です。ここからでも境内に入れましたが、正面に回ってから境内に入った訳です。
富岡百錬(とみおかひゃくれん・富岡鉄斎)揮毫の社号標で、かつて付近の街道沿いにあったようです。
秋の紅葉や春の桜が見所のようですが、この日のように・・・境内に誰も居ない・・・何てことはありえないでしょうね。また再訪したくなりました。ただ、一部の道が狭いのを除けば・・・です。
【大原野神社】