水を司る貴船の神 貴船神社 本宮へ

9月23日(土・祝)に平等院ライトアップに行きましたが、その日から26日(火)まで夏休みでした。4日間しかありませんが以前から行きたかった貴船神社に25日(月)早朝から行くことにしました。

貴船神社に行ったことがある会社の同僚に取材し、貴船神社の本宮までは、そこそこ車が離合できるけど、それ以降は狭いと聞きました。それに貴船神社のHPにも、“道が狭いので公共交通機関で”と書いてありますが、叡山電鉄「貴船口」から歩いて2㎞はあります。京都バスもありますが、混雑するでしょうし、それなら車でと・・・自宅を早朝の6時過ぎに出発しました。

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鞍馬方面と貴船方面の分岐点に、貴船神社の一の鳥居がたっています。6時38分に着いたので、車を路肩に止めて写真を撮りました。

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また、そこには梶取社があって、御祭神が宇賀魂命(うがのみたまのみこと)と駒札には書いてありました。

貴船川が鞍馬川と合流する貴船口に鎮座。玉依姫命が水源を求め、黄船に乗って淀川、鴨川を遡り貴船の奥宮の地に上陸されたといわれ、その時上手に梶を操った神様をお祀りしたのが「梶取社」だと言われています。

分岐点から直ぐに、絵山電鉄「貴船口駅」があります。京都バスの始発は、9時過ぎのため、まだまだありません。貴船神社を目指しますが、その「貴船口駅」から直ぐの所に「蛍岩」がありました。

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車で貴船神社に向かう途中で見つけたので、帰りに寄って写真を撮りました。この辺りは“ホタルの名所”だそうです。6月中頃から“ホタルの乱舞”が見られるかも・・・です。

平安時代の女流歌人・和泉式部が貴船神社に参詣し「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」と蛍の歌を詠みました。

そこから車で直ぐの所に小さな祠が見えました。行きは急いでいたので、ここも帰りに寄って写真を撮りました。貴船神社末社「梅宮社」です。

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近くに石碑がありましたが読めません。御祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)でした。

貴船口から約2㌔、早朝のため殆ど車も走ってないのでスムーズに目的地までやって来ました。6時45分に貴船神社の駐車場に到着。ここで5台ぐらい止められるスペースはありますが、直ぐに満車になりそうな・・・かんじです

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駐車場からも境内にあがる階段はありますが、私は戻りました。そして1989年(平成元年)に再建された朱塗りの春日鳥居である「二の鳥居」をくぐります。

この二の鳥居の右手には樹齢600年の大欅が、左には樹齢700年の大杉が聳えています。その大欅の下には、貴船神社の末社「白鬚社」がありました。

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御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)で、天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、道案内をしたことで知られていますは。御利益が“延命長寿”と書いてありました。

この二の鳥居をくぐると、目の前に参道が見えています。貴船神社を紹介される時、必ず紹介される風景で、あまりにも有名です。

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石段は84段。両側に春日燈籠が71基連立し、今は緑のアーチに取り囲まれています。この石段の風景をどうしても写真に納めたかったから早くきたようなものです。

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誰も居ない風景を撮れました。 この石段を上がっていくと南門があります。この門の開門は朝の6時だそうで、この時間では既に開いてました。

ここから境内に入ります。本殿からは神職さんでしょうか、本殿前で祝詞を唱えられる声が聞こえてくる中、先ずは手水舎に寄ります。

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早朝の境内は、薄手のジャンパーを着なかったら寒いぐらいの空気でした。山深い貴船ですから、この水は山水でしょうか

この手水舎の奥には「神馬像」がありました。駒札には“絵馬発祥の社”と書いてあります。それは・・・

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古来より貴船神社では、降雨を祈る時には「黒馬」を、長雨を止むよう祈る時には「白馬」を献上していました。後に馬の絵を献じるようになり、それが絵馬へと発展していきました。

境内には誰も居ないので、安心して見て回れます。いよいよ本殿に向かい石段を上がります。そして振り向き、先程の南門の近くには、御神木の「」を撮りました。

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樹齢400年、高さが30㍍もあります。太い幹から何本も枝が伸びています。運気発祥の御利益があるとか。これだけ下がっても全部が撮れない・・・よ~

ここで早朝のすがすがしい空気の中、本殿にて参拝しました。手前が拝殿で奥に本殿ですが、本殿の全景は見えません。

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拝殿は、入母屋造り切妻向拝付き。元は奥宮にあったものを2005年(平成17年)に本殿とともに造営されました。本殿は、流造。ここでは水の惠に感謝し参拝しましょう。

全国に約500社ある貴船神社の総本宮で、御祭神が水を司る神の高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。創建年代は不詳ですが、第18代反正天皇(はんぜいてんのう)の御世に奥宮の水が湧き出る所に社殿を建てたという伝説が残っています。1055年(天喜3年)に奥宮から現在地に遷座されたのが、現在の拝殿と本殿です。2009年(平成21年)に拝殿を、2012年(平成24年)に本宮の大改修を行っていてます。貴船神社では、本宮、奥宮、中宮の順に参拝する「三社詣で」が古くから行われていました。

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こちらが社務所です。この時、6時50分・・・当然ながら誰も居ません。これは事前に調べて、9時からだと知って来たので納得です。でも・・・朱印・・・欲しかったなぁ・・・。

書き置きでもあるかなぁ・・・と淡い期待はしてましたが、無かったです。今日は朱印より、写真を優先したので仕方ないです。そしてこちらが春日燈籠と共に有名な御神水・水占斎庭(みずうらゆにわ)です。

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水占(みずうら)みくじは、ここで行います。よくテレビで紹介されるので知ってました。この霊泉に“おみくじ”を浸すと文字が浮かび上がります・・・これもやって見たかったなぁ・・・。

再び石段を降りて、今度は右手に行きます。そこには石庭「天津磐境(あまついわさか)がありました。

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昭和の名作庭家・重森三玲が、1965年(昭和40年)に古代の人々が神祭りを行った神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作られた石庭です。

石庭から南門には戻りません。ここ貴船神社では、先ずは本宮に参拝します。そして次ぎに奥宮、最後に結社を参拝することが習わしです。私も次は奥宮を目指します。

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石庭から今度は北に進みます。先程、本殿をお参りした石段の下には、「龍泉閣」があって、参拝者はここで休憩できるようになっています。

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私も少しばかり休憩しました・・・と言うより、眼下の風景が見たかった・・・が正解です。有名な川床が見えていますし、いつかは料理・・・いただきたいですよね。

龍泉閣で、少しだけ休憩したあと、北門に向かって歩いていくと、“神馬像”の横に貴船神社の末社である「祖霊社」がありました。

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御祭神は、社人、氏子、崇敬者の祖先の御霊と書いてて、人すべてのその源に立ち返り「初心忘るべからず」という大神の教えによるものとありました。

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この北門から境内を出ようとしました。そしたら左手に末社が見えたので、寄って行くことにしました。まだまだ時間の余裕があるので

最初に見えたのが、貴船神社の末社である「牛一社(ぎゅういちしゃ)」で、御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。

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最初は、貴船大神のお供をしていた牛鬼(仏国童子)を祀っていました。ここの“丑の刻参り”は有名だそうです。

そこから少しだけ石段を登ると、次の末社がありました。「川尾社(かわおしゃ)」といいます。御祭神が、罔象女神(みずはのめのがみ)です。

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本殿の裏手にあります。往古、思い川にあって河水を守護する神でした。そして、いつしか鈴鹿谷の下にある以って川尾社と呼ばれるようになりました。

それで最後の末社でしょう、石段の一番高い所まで登ると、そこには「鈴鹿社」がありました。近くにあの鈴鹿谷の由来にもなった社殿です。

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御祭神は、大比古命(おおひこのみこと)で、本殿裏手の鈴鹿谷の上にあって、元は伊勢大神を祀っていました。

これ以上は行けませんが、その鈴鹿社の上には、「権殿」がありました。(上の写真で写っています)ここから下ります。

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下る時、本殿の裏手が見えました。表の拝殿からは本殿が見えませんからね。そして再び北門に出てそこからの境内の風景を撮りました。まだ境内には誰も居ません。

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北門から境内を出ました。南門と同様に石段を下って行きます。そして街道沿いにある鳥居が三の鳥居といいます。その三の鳥居の直ぐ側にあるのが駐車場です。

本宮の三の鳥居を7時1分に出ました。ここから約1㎞もないですが、車を駐車場に置いてゆっくり歩いて行きます。奥宮にも駐車場はありますが、途中に寄りたい所もあるので、ここからは歩きが最適だと思ったから・・・と、事前に道が狭いと聞いたことも理由の一つです

【貴船神社 本宮 本殿】



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