老杉が立ち並ぶ幽玄の社 貴船神社 奥宮へ
貴船神社の三の鳥居を7時2分に出て、奥宮に歩いて向かいます。貴船川沿いの道は、少し登っていますが、川沿いには有名な川床が出ています。
歩き始めて約3分で、「春夏料理 貴船 右源太」の川床がありました。せっかく、ここまで来たので川床の写真でも撮って行こうと思いきや・・・撮影禁止・・・と書いてありました。
料理を食べてる時に、外から写真を撮られたら・・・そりゃ分かるような気がします。そして、7時9分頃に貴船神社 結社に着きました。
参拝順序は、本宮から奥宮、そして結社(中宮)の順ですが、ここまで来たので、やっぱり石段を上がって寄って行きました。
約2分、ここでは写真だけ撮りました。ここも誰も居ません・・・しかし、ここに来るまでに一組と初めて出会いました。多分、ここから出て来られたと思いますが・・・7時14分に「相生の杉(御神木)」に着きました。
同じ根から生えた二本の杉で、樹齢は約1000年、相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味があります。あまりにも背が高いので、相当引いても全景は撮れなかったです。
この“相生の杉”のずっと奥に、小さな社殿が見えました。見つけたので、やっぱり奥に行って見ます。
向かって右が貴船神社の末社である「私市社(きさいちしゃ)」で、御祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)。左が「林田社」で、御祭神が少彦名命(すくなひこのみこと)。両社を併せ称し「二ツ社」といい、貴船神社の荒御魂を祀っています。
元に戻ると、奥宮に向かう参道に朱塗りの鳥居が立っています。その先には朱塗りの橋が欄干には「おもひかは橋」とあって、下には「思ひ川」が流れてて・・・。
和泉式部の時代には、現在の奥宮が本宮でした。参拝者は、この谷川で手を洗い口を濯ぎ身を清めたそうです。和泉式部も、ここで身を清め恋の成就を祈ったことでしょう。
ここから奥宮まで、長い長い参道を歩いて行きます。すると左手に貴船名石「つつみケ岩」がありました。高さ4㍍、重さ43㌧、胴回り9㍍もあります。
7時19分にやっと貴船神社 奥宮に着きました。入口にある「神門」・・・ここが開いてるかどうかは心配でした。HPにも何も書いて無かったので・・・しかし・・・そんなの心配いらないですね、ここは何処からでも入れます。
ここが奥宮の全景です。ここで8月9日(水)NHKBSプレミアム『京都異界中継』で、ここ奥宮がメイン会場でした。武内 陶子アナウンサーが司会で、平 祐奈さん、篠原 ともえさん、山崎 樹範さん、夢枕獏さん、小松 和彦さんが出演されてました。
テレビで見た光景より、実際に行ってみると境内は、狭い感じを受けました。ただ放送は生中継だったので、夜の奥宮は、恐いでしょうね。
余談ですが、ここで初めてお一人参拝に来られました(写真を撮りに来られたのが正解かも)。まだ7時過ぎですが・・・しかし、直ぐに出て行かれましたけど。
さほど広くない境内の奥には、本殿がありますが、その手前には本殿を守護するように、狛犬が鎮座しています。その奥に拝殿がありました。
こちらは奥宮本殿です。御祭神が本宮と同一の高龗神(たかおかみのかみ)が祀られていますが、一説には暗龗神(くらおかみのかみ)とも言われています。
豊かな緑と水に囲まれた奥宮は、7世紀半ば頃には社殿を造り替えた記録が残る古社です。本宮が現在地に遷移した後も、「奥のこ本社」と称されています。
玉依姫命が黄船(きぶね)で川を遡上して、霊泉の湧き出る奥宮の地を選び建立したと伝わります。平安時代の洪水により本宮が現在値に遷移されました。
奥宮本殿の右隣には「権地(ごんち)」があります。ここは、本殿が修理の間に一時的に遷る場所がここです。
奥宮本殿の左には「船形石(ふながたいし)」がありました。案内によると、この“船形”の石積みには玉依姫御料の黄船を、人目を忌みて小石で覆ってと伝わります。
次ぎに貴船神社の末社を巡ります。この奥宮にも数社ありました。最初は、拝殿の左横にあった「鈴市社(すずいちしゃ)」から。
御祭神に初代天皇である神武天皇の皇后である、媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいまずひめのみこと)を祀っています。
こちらは貴船神社の末社「吸葛社(すいかずらしゃ)」は、祭神に味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っていますが、百太夫ともいう。御祭神に“鋤”という名のとおり、農耕の神として信仰が篤いともいわれています。
最後に貴船神社の末社である「日吉社」です。御祭神は大物主命(おおものぬしのみこと・古伝では大山咋神)山の神として貴船山を守護。例祭は7月15日。
その日吉の後方には、8月9日(水)NHKBSプレミアム『京都異界中継』でも紹介された「連理(れんり)の杉」(御神木)がありました。
ここでは杉と楓がが和合した珍しい古木。1924年(大正13年)に、貞明皇后がご参拝の際賞賛されました。このとき7時30分頃になってて、陽が高く登り始め、下は薄暗く上は明るいので、写真写りが難しい状況になってきました。
奥宮には7時19分に着いて、7時29分に再び、神門から出て行きました。前途したとおり、この神門が閉まっていたら、ここに入れなかったので心配でしたが、ここではいくらでも隙間があるので、心配は無用でしたね。
【貴船神社 奥宮】
歩き始めて約3分で、「春夏料理 貴船 右源太」の川床がありました。せっかく、ここまで来たので川床の写真でも撮って行こうと思いきや・・・撮影禁止・・・と書いてありました。
料理を食べてる時に、外から写真を撮られたら・・・そりゃ分かるような気がします。そして、7時9分頃に貴船神社 結社に着きました。
参拝順序は、本宮から奥宮、そして結社(中宮)の順ですが、ここまで来たので、やっぱり石段を上がって寄って行きました。
約2分、ここでは写真だけ撮りました。ここも誰も居ません・・・しかし、ここに来るまでに一組と初めて出会いました。多分、ここから出て来られたと思いますが・・・7時14分に「相生の杉(御神木)」に着きました。
同じ根から生えた二本の杉で、樹齢は約1000年、相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味があります。あまりにも背が高いので、相当引いても全景は撮れなかったです。
この“相生の杉”のずっと奥に、小さな社殿が見えました。見つけたので、やっぱり奥に行って見ます。
向かって右が貴船神社の末社である「私市社(きさいちしゃ)」で、御祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)。左が「林田社」で、御祭神が少彦名命(すくなひこのみこと)。両社を併せ称し「二ツ社」といい、貴船神社の荒御魂を祀っています。
元に戻ると、奥宮に向かう参道に朱塗りの鳥居が立っています。その先には朱塗りの橋が欄干には「おもひかは橋」とあって、下には「思ひ川」が流れてて・・・。
和泉式部の時代には、現在の奥宮が本宮でした。参拝者は、この谷川で手を洗い口を濯ぎ身を清めたそうです。和泉式部も、ここで身を清め恋の成就を祈ったことでしょう。
ここから奥宮まで、長い長い参道を歩いて行きます。すると左手に貴船名石「つつみケ岩」がありました。高さ4㍍、重さ43㌧、胴回り9㍍もあります。
7時19分にやっと貴船神社 奥宮に着きました。入口にある「神門」・・・ここが開いてるかどうかは心配でした。HPにも何も書いて無かったので・・・しかし・・・そんなの心配いらないですね、ここは何処からでも入れます。
ここが奥宮の全景です。ここで8月9日(水)NHKBSプレミアム『京都異界中継』で、ここ奥宮がメイン会場でした。武内 陶子アナウンサーが司会で、平 祐奈さん、篠原 ともえさん、山崎 樹範さん、夢枕獏さん、小松 和彦さんが出演されてました。
テレビで見た光景より、実際に行ってみると境内は、狭い感じを受けました。ただ放送は生中継だったので、夜の奥宮は、恐いでしょうね。
余談ですが、ここで初めてお一人参拝に来られました(写真を撮りに来られたのが正解かも)。まだ7時過ぎですが・・・しかし、直ぐに出て行かれましたけど。
さほど広くない境内の奥には、本殿がありますが、その手前には本殿を守護するように、狛犬が鎮座しています。その奥に拝殿がありました。
こちらは奥宮本殿です。御祭神が本宮と同一の高龗神(たかおかみのかみ)が祀られていますが、一説には暗龗神(くらおかみのかみ)とも言われています。
豊かな緑と水に囲まれた奥宮は、7世紀半ば頃には社殿を造り替えた記録が残る古社です。本宮が現在地に遷移した後も、「奥のこ本社」と称されています。
玉依姫命が黄船(きぶね)で川を遡上して、霊泉の湧き出る奥宮の地を選び建立したと伝わります。平安時代の洪水により本宮が現在値に遷移されました。
奥宮本殿の右隣には「権地(ごんち)」があります。ここは、本殿が修理の間に一時的に遷る場所がここです。
奥宮本殿の左には「船形石(ふながたいし)」がありました。案内によると、この“船形”の石積みには玉依姫御料の黄船を、人目を忌みて小石で覆ってと伝わります。
次ぎに貴船神社の末社を巡ります。この奥宮にも数社ありました。最初は、拝殿の左横にあった「鈴市社(すずいちしゃ)」から。
御祭神に初代天皇である神武天皇の皇后である、媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたたらいまずひめのみこと)を祀っています。
こちらは貴船神社の末社「吸葛社(すいかずらしゃ)」は、祭神に味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っていますが、百太夫ともいう。御祭神に“鋤”という名のとおり、農耕の神として信仰が篤いともいわれています。
最後に貴船神社の末社である「日吉社」です。御祭神は大物主命(おおものぬしのみこと・古伝では大山咋神)山の神として貴船山を守護。例祭は7月15日。
その日吉の後方には、8月9日(水)NHKBSプレミアム『京都異界中継』でも紹介された「連理(れんり)の杉」(御神木)がありました。
ここでは杉と楓がが和合した珍しい古木。1924年(大正13年)に、貞明皇后がご参拝の際賞賛されました。このとき7時30分頃になってて、陽が高く登り始め、下は薄暗く上は明るいので、写真写りが難しい状況になってきました。
奥宮には7時19分に着いて、7時29分に再び、神門から出て行きました。前途したとおり、この神門が閉まっていたら、ここに入れなかったので心配でしたが、ここではいくらでも隙間があるので、心配は無用でしたね。
【貴船神社 奥宮】