牛若丸(義経)の足跡が残る鞍馬寺【後編】へ
【前編】の続き。鞍馬山七福神「福寿星神」前で、休憩してたら妻が上がって来たのが見えたので、私は先を急ぎました。
まだまだ石段は続きますが、石垣も見えて来たしゴールが近づいてる事は、薄々分かりました。2分ほど登った所に座れるベンチがあったので、ここでも休憩し、妻の上がりを待ちました。この時、8時48分です。
ここで2分休憩し、8時50分に本殿に向かって、石段を登り始めました。それにしても、中々ゴールが見えないですね、11年前の訪問の事は、すっかり忘れてました。
まだゴールではありませんが、ここには「巽の辨財天」がありました。本殿から見て巽の方向(東南)にあるので、そう呼ばれています。福徳・知恵・財宝を授ける神として信仰されています。
ここから見上げると、やっとゴールが見えました。最後の階段が・・・きつそうです。疲れ切りましたが頑張って登ります。この時、8時53分でした。
そこから少しだけ登ると右手に「転法輪堂・洗心亭」があります。休憩所とありましたが、特に入りませんでした。そのまま写真だけ撮って通過。最後の階段を登ります。
そこから少し登ると右手に手水舎がありました。この時、8時55分になっていたので、ケーブルカーの始発で上がって来られた方も、ここを使われていました。
ここから階段の先を見ると、突き当たりです。ゴールでは無かった・・・けど、近いのは事実のようで、左手には「寝殿」と書かれていますが、どうやら非公開のようです。
8時57分に上まで登りきりました。登り初めて37分で着いた事になります。普段から階段を利用してますが、さすがに疲れ切りました。
本殿金堂(本堂)にさっそく入ります。外観で分かるように鉄筋コンクリート製ですね、度々の火災により1971年(昭和46年)に再建されました。
ここでは朱印の受付は9時からのため、数名が並ばれていました。11年前に朱印はいただいてましたが、久し振りの訪問のため、いただくことにしたので少し待ちました。
堂内には、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を安置。鞍馬寺では三尊は本来一体で宇宙の大生命たる尊天の三つの現れ方だとか。770年(宝亀元年)鑑真和上の高弟・鑑禎上人(思託律師)が毘沙門天を祀り、796年(延暦15年)には藤原伊勢人が堂塔伽藍を整え千手観世音も祀って鞍馬寺が生まれ、それ以降幅広い信仰を集めています。
金堂の前には狛犬ならぬ、「阿吽」の虎が鎮座しています。これは本尊の毘沙門天のお使いである神獣だそうです。
本殿金堂前には、「金剛床」があります。これは宇宙に広がる星曼荼羅を表し、人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。
この板石は、本殿後方より出土したもだそうで、平安時代より鞍馬寺に伝えられました。如法写経会の経巻を埋葬した経塚の墓石となっています。また、眺望は、木々が邪魔でそんなに見えなかったです。
今日は、車で来たので奥の院から貴船に抜けるルートを行く予定にしてません。まだ一度も奥の院に行ってないので、一度は挑戦してみたいので次回まで取って置きます。
ここから「息つぎの水」「屏風坂の地蔵堂」「背比べ石」「木の根道」「大杉権現社」「不動堂」「義経堂」そして最後に「魔王殿」と周り、西門に出る健脚コースに一度は挑戦してみます。私は前回“義経の背比べ石”まで行きました。
本殿金堂の西側には本坊があって、その前には「庭園」もありました。案内板には、ここの岩は、海底の堆積して出来た石灰岩の石だそうです。
また、その西側には「光明心殿」がありました。 護法魔王尊が安置されてそうです。(中は覗いていません)
最後に東側に移動します。そこには「閼伽井護法善神社」があり、お参りしました。ここでは、水の神が祀られているそうです。
千年ほど前のこと、修行中の峯延上人(ぶえんしょうにん)は大蛇に襲われたが、念力で退治しました。その後現れた雌の大蛇は、香水を永遠に絶やさないことで命を助けられ2匹の大蛇は閼伽井護法善神として祀られました。
奥の院に行けなかったことは心残りですが、天気も良かったし納得し、下に降りることにしました。帰りはケーブルカーを利用します。
9時18分に本殿金堂を出ました。帰りは前途の通りケーブルカーのを利用しますが、別に楽したいからじゃありません。ケーブルカーの乗り場には多宝塔があるからです。
ケーブルカーの乗り場がある「多宝塔駅(山上駅)」まで、結構距離はあります。約10分ほど余裕を見て出発したんですが、その前に「弥勒堂」がありました。
人類を救済するために現れた「弥勒菩薩」と、鞍馬山七福神の「弥勒布袋尊」が祀られています。
ケーブルカーの時刻は覚えてませんが、9時30分頃だと想像して、足早で歩くと9時22分に多宝塔前に着きました。
元は本殿の東隣にありましたが1814年(文化11年)に焼失しました。1960年(昭和35年)に鞍馬山開創1200年事業の一環で、この地に再建されました。
このあと、先にケーブルカーの時刻を見に行った妻が、「もうすぐ出るって」と言いに戻ってきたので、慌ててケーブルに乗り込みました。この模様は続きます。
【鞍馬寺 本殿金堂】
まだまだ石段は続きますが、石垣も見えて来たしゴールが近づいてる事は、薄々分かりました。2分ほど登った所に座れるベンチがあったので、ここでも休憩し、妻の上がりを待ちました。この時、8時48分です。
ここで2分休憩し、8時50分に本殿に向かって、石段を登り始めました。それにしても、中々ゴールが見えないですね、11年前の訪問の事は、すっかり忘れてました。
まだゴールではありませんが、ここには「巽の辨財天」がありました。本殿から見て巽の方向(東南)にあるので、そう呼ばれています。福徳・知恵・財宝を授ける神として信仰されています。
ここから見上げると、やっとゴールが見えました。最後の階段が・・・きつそうです。疲れ切りましたが頑張って登ります。この時、8時53分でした。
そこから少しだけ登ると右手に「転法輪堂・洗心亭」があります。休憩所とありましたが、特に入りませんでした。そのまま写真だけ撮って通過。最後の階段を登ります。
そこから少し登ると右手に手水舎がありました。この時、8時55分になっていたので、ケーブルカーの始発で上がって来られた方も、ここを使われていました。
ここから階段の先を見ると、突き当たりです。ゴールでは無かった・・・けど、近いのは事実のようで、左手には「寝殿」と書かれていますが、どうやら非公開のようです。
8時57分に上まで登りきりました。登り初めて37分で着いた事になります。普段から階段を利用してますが、さすがに疲れ切りました。
本殿金堂(本堂)にさっそく入ります。外観で分かるように鉄筋コンクリート製ですね、度々の火災により1971年(昭和46年)に再建されました。
ここでは朱印の受付は9時からのため、数名が並ばれていました。11年前に朱印はいただいてましたが、久し振りの訪問のため、いただくことにしたので少し待ちました。
堂内には、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を安置。鞍馬寺では三尊は本来一体で宇宙の大生命たる尊天の三つの現れ方だとか。770年(宝亀元年)鑑真和上の高弟・鑑禎上人(思託律師)が毘沙門天を祀り、796年(延暦15年)には藤原伊勢人が堂塔伽藍を整え千手観世音も祀って鞍馬寺が生まれ、それ以降幅広い信仰を集めています。
金堂の前には狛犬ならぬ、「阿吽」の虎が鎮座しています。これは本尊の毘沙門天のお使いである神獣だそうです。
本殿金堂前には、「金剛床」があります。これは宇宙に広がる星曼荼羅を表し、人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。
この板石は、本殿後方より出土したもだそうで、平安時代より鞍馬寺に伝えられました。如法写経会の経巻を埋葬した経塚の墓石となっています。また、眺望は、木々が邪魔でそんなに見えなかったです。
今日は、車で来たので奥の院から貴船に抜けるルートを行く予定にしてません。まだ一度も奥の院に行ってないので、一度は挑戦してみたいので次回まで取って置きます。
ここから「息つぎの水」「屏風坂の地蔵堂」「背比べ石」「木の根道」「大杉権現社」「不動堂」「義経堂」そして最後に「魔王殿」と周り、西門に出る健脚コースに一度は挑戦してみます。私は前回“義経の背比べ石”まで行きました。
本殿金堂の西側には本坊があって、その前には「庭園」もありました。案内板には、ここの岩は、海底の堆積して出来た石灰岩の石だそうです。
また、その西側には「光明心殿」がありました。 護法魔王尊が安置されてそうです。(中は覗いていません)
最後に東側に移動します。そこには「閼伽井護法善神社」があり、お参りしました。ここでは、水の神が祀られているそうです。
千年ほど前のこと、修行中の峯延上人(ぶえんしょうにん)は大蛇に襲われたが、念力で退治しました。その後現れた雌の大蛇は、香水を永遠に絶やさないことで命を助けられ2匹の大蛇は閼伽井護法善神として祀られました。
奥の院に行けなかったことは心残りですが、天気も良かったし納得し、下に降りることにしました。帰りはケーブルカーを利用します。
9時18分に本殿金堂を出ました。帰りは前途の通りケーブルカーのを利用しますが、別に楽したいからじゃありません。ケーブルカーの乗り場には多宝塔があるからです。
ケーブルカーの乗り場がある「多宝塔駅(山上駅)」まで、結構距離はあります。約10分ほど余裕を見て出発したんですが、その前に「弥勒堂」がありました。
人類を救済するために現れた「弥勒菩薩」と、鞍馬山七福神の「弥勒布袋尊」が祀られています。
ケーブルカーの時刻は覚えてませんが、9時30分頃だと想像して、足早で歩くと9時22分に多宝塔前に着きました。
元は本殿の東隣にありましたが1814年(文化11年)に焼失しました。1960年(昭和35年)に鞍馬山開創1200年事業の一環で、この地に再建されました。
このあと、先にケーブルカーの時刻を見に行った妻が、「もうすぐ出るって」と言いに戻ってきたので、慌ててケーブルに乗り込みました。この模様は続きます。
【鞍馬寺 本殿金堂】