鞍馬の火祭の舞台 由岐神社へ

鞍馬寺に向かう途中に鎮座しているのが由岐神社です。ここは鞍馬のケーブルに乗ってしまうとスルーしてしまいます。仁王門から歩いて5分ぐらいですが、急な坂道を登って行くことになります。

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8時20分頃に登り初めて、ここには8時26分に着きました。この日の目的は貴船神社、鞍馬寺、そして由岐神社でした。

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石造りの鳥居の前に手水舎があって、そのあと鳥居をくぐります。山の傾斜にそって社殿が建てられているので、くぐると同時に階段を上がります。

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鳥居をくぐると拝殿ですが、中央に吹き抜けを設ける割拝殿という安土桃山時代を代表する建築様式で建てられています。

この割拝殿と後程、お参りする本殿は、ともに1607年(慶長12年)豊臣秀頼によって再建されたものです。

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ここから本殿に向かって急な石段を上がります。ここで前方に若い女性が参拝されてましたが、鞍馬寺の本殿金堂までまったく追いつけないほど早かったです。

余談はさておき、石段の下に、こんな歌碑を見つけました。「鞍馬火祭り節」と書いてあります。

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「京は京でも座敷が違う 鞍馬男の晴れ舞台 かざす松明 炎の祭り 秋の夜空が 真っ赤に染まりゃ 牛若丸や弁慶に きかせたいよな 祭礼最良 祭り節」ちなみに歌は知りません

ここから急な石段を上がると、その両側に社殿がありました。階段が急過ぎて、写真を撮るのも恐かったけど、やっぱり寄って行きます。

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最初は右から「岩上社」で、御祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)、大山祇神(おおやまつみのみこと)。古くから鞍馬岩上の森に祀られてした社だそうです。

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次は左の「冠者社(かんじゃしゃ)」で、御祭神は素戔嗚尊(すさのうのみこと)。古くから鞍馬冠者町に祀られてした社。御利益は、商売繁昌・家運隆昌だそうです。

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そこから振り向くと、上から割拝殿を見ることができました。急な石段で、振り向くのも恐いけど・・・落ちたらシャレにならないので、一枚だけ撮りました

また、少し上がって右手に移動します。「大杉社」と書かれていましたが、文字通り御神木の大杉の元に祠があります。

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樹齢800年、樹高53㍍、京都市天然記念物に指定。古くより『大杉さん』と呼ばれ、一心に願えば願い事が叶うとされています。

次ぎに、また左に移動です。「白長辨財天社」と石造り鳥居の扁額には書かれていました。

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古くよりこの地に霊験あらたかな神様として祀られていました。御利益は、商売繁盛と健康長寿とされています。

階段を登り切ると、正面に本殿が見えました。御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなびこなのみこと)を合わせて由岐大明神として祀られています。

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毎年10月22日に、京都市内では「時代祭」が行われますが、鞍馬では「鞍馬の火祭」が行われます。この由岐神社の遷宮の儀式が元になっています。それは・・・。

由岐大明神は、もともと宮中に祀られていましたが、938年(天慶元年)の大地震、その翌年の「平将門の乱」など世情不安により、朱雀天皇の命により鞍馬の地に遷宮されました。この遷宮では、鴨川の葦で松明を作り、御所から鞍馬までの道中に篝火を焚き、約1㎞の行列により勧請されたと言われています。その模様を「鞍馬の火祭」は後世に、鞍馬の人々により伝えられています。

この本殿には珍しいものがあって、国の重要文化財に指定されてる狛犬です。

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子供を抱いている非常に珍しいものだそうで、しかし下から見ると子供を抱いているのか非常にわかりずらいです。子孫繁栄子授・安産の神様として古くより信仰されています。

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本殿の左後方には「三宝荒神社」があって、古くからこの地に火の神様、竈の神様として祀られていました。御祭神は、三宝荒神大神です。

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境内にあった石碑です。苔生して書かれてる文字が・・・読めません。何でしょうね・・・分かりません。

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この由岐神社には、8時26分に入って、8時33分に出て行きました。本当は、ここの朱印が欲しかったんですけど、ご覧のように社務所は開いてません。

ここから鞍馬寺の本殿金堂に向かった訳です。帰りはケーブルカーで降りて来たので、再び5分ほど登って由岐神社を再訪できましたが、もう気力も体力も残っていませんでした。貴船神社と同様、再訪します

【由岐神社 本殿】



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