顕本法華宗の総本山 妙満寺へ
鞍馬をの駐車場9時40分に出て、岩倉方面に向かいます。せっかく鞍馬まで来たので、帰りは岩倉の未訪問寺院に行くことを決めてました。それが妙塔山 妙満寺です。
山門の前は「つつじ園」と呼ばれる庭園となっています。今年のGWに行く予定にしていましたが、まだ“6分咲き”との情報で、次の週にと思ってたら・・・行けなくなりました。
妙満寺は、顕本法華宗の総本山で、1389年(康応元年)日什大正師(にちじゅうだいしょうし)により、京都六条坊門室町坊門(現在の、烏丸五条あたり)に創建されました。日什大正師は、もと天台宗の僧侶でしたが、66歳の時に日蓮大聖人の御書を拝読して改宗、帝都弘通を志し、妙満寺を建てて根本道場としました。日什大正師の入滅後、応仁の乱をはじめ、度々の兵火にあい市内各地を移転。1583年(天正11年)には寺町二条に移され「寺町二条の妙満寺」として約400年親しまれましたが、街中の喧噪から離れるため、1968年(昭和43年)に岩倉の地に移転し今日に至っています。本坊の枯山水庭園「雪の庭」は、松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つに数えられています。
躑躅が満開の時に是非再訪したいと思えるほど、多くの躑躅が植わってました。そして山門を入ると、正面に雄大な本堂が見えています。
山門を入って右手に手水舎がありました。この時間、2組ほど多分・・・墓参でしょうか、来られていました。
また、反対の左側には鐘楼がありました。山門前にあった案内によると、寺町二条から移転されたと・・・こちらも持って来られたのでしょうか
山門の正面が本堂です。そのまま進むと右手に本坊の玄関である寺務所があるので、そこから中に入ります。今日は「雪の庭」を見に来た訳です。
玄関を入ると左手に寺務所があって、そこで拝観料500円と朱印代300円を納めます。すると僧侶の方から拝観についての案内がありました。
「先ずは、左手に行き本堂に入ってお参りしてください。そして受付に戻り、書院から「雪の庭」を眺めてください。そして最後に展示室にて、寺宝を見てください。なお、「雪の庭」以外は、撮影は禁止です」と。
堂内の写真はありません。入ると、ここは顕本法華宗の総本山と最初に案内があったとおり、法華宗寺院の特徴が顕著でした。それより「本堂より振り向いてください、比叡山が正面に見えます」との案内が・・・帰りに見てみます。
再び受付に戻って、今度は書院にあります。今日の目的であった「雪の庭」をここで眺めます。なお、拝観者は私らだけでした。
室内は、赤い絨毯が敷かれてて、そこから庭をゆっくり眺めることにしました。それより受付で「庭を見て、俳句を詠んでみて、そして投稿してください」と言われたんですけど・・・。
MBS「毎日放送」で「プレバト!!俳句の才能査定ランキング」を見てて、“季語”は覚えましたが・・・まったく浮かばないですね、多分じゃなくて、確実に・・・“才能無し”です。
案内によると、比叡山を借景にと書いてありましたが、正面からは木々が邪魔で見えないです、“雪の庭”と呼ばれているので、冬にゆきを被った庭も良いでしょうね。
「雪の庭」と書かれた石碑もありました。なお、庭は散策できません。下に降りることはできないので、室内から観賞します。
俳句の祖といわれる松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つ。に数えられています。妙満寺の塔頭・成就院の住職であった日如上人は貞徳の門人である、その縁からこの「雪の庭」を造営、清水寺本坊の「月の庭」(一説には祇園)、北野の「花の庭」(現存せず)とともに成就院にあった「雪・月・花の三名園」名並び称されています。寺町二条から、この岩倉に移転された時、石組みをそのままに移築されました。
この庭の奥にある大書院の手前には「宝物展示室」があります。当然、内部は撮影禁止で、温度や湿度を厳重に管理されてる中、娘道成寺で有名な安珍清姫ゆかりの鐘などの寺宝を見学させてもらいました。
もう一度「雪の庭」に戻って、俳句をひねりましたが、出ないです。寺務所に戻って「朱印帳」を受取、先程内部に入って本堂に行きました。
先程、堂内に入った本堂です。外観を近くで見るため行って見ました。1968年(昭和43年)・・・今から約50年前に再建・・・移築されたのかなぁ・・・と思いながら振り向くと・・・。
先程、堂内の張り紙・・・「正面に比叡山が・・・」その通り、綺麗に比叡山が見えてます。我が家で見る比叡山とは形が違い、こんなに近いですよね、岩倉では。
最後に、仏舎利を納めたインドブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔が聳えているので、行ってみました。
1973年(昭和48年)檀信徒の寄進により建立されました。塔の最上階には古くから伝わる仏舎利が納められています。
塔内に入れるようですが、外からだけにしました。また建立33周年にあたる2006年(平成18年)からは、檀信徒の寄進により外壁にお釈迦さまの仏像486体が安置されました。
塔の周りには、「仏足石」(釈迦の足跡)や「金剛宝座(こんごうほうざ)」(お釈迦様が悟りを開かれた場所)がありました。
「豊田章一郎・豊田章男 植樹」と書かれた石碑・・・あのトヨタ自動車の社長さんの名前ですね、豊田家は檀信徒さんなのでしょう。
この時、10時30分は少し周りってました。お昼は行ってみたいと思っている所がありますが、11時からです。そろそろ出て行こうとすると・・・。
「中川の井」と書いてありました。京の七名水の一つといわれ、元は寺町二条の旧妙満寺境内にありました。妙満寺が岩倉に移転したのに伴って「中川の井」の石碑もこの地に移されました。
車は「第一駐車場」に止めました。寺町二条は街中でしたが、ここで何台でも止められそうです。私の車の他は、墓参に来られた檀家さんが数台止まってるだけでした。
妙満寺の駐車場を10時34分に出て行きました。予定より少し遅れてきたので、予定している(生きたかった)レストランに直行することにしました。岩倉から深泥が池の前を通って、京都府立植物園の前・・・北山通りに出てレストランの駐車場には10時53分に着きました。まだ開店前のため、少し閃いて、前から行ってみようと思ってた所に走ってむかうことに。
【妙満寺】
山門の前は「つつじ園」と呼ばれる庭園となっています。今年のGWに行く予定にしていましたが、まだ“6分咲き”との情報で、次の週にと思ってたら・・・行けなくなりました。
妙満寺は、顕本法華宗の総本山で、1389年(康応元年)日什大正師(にちじゅうだいしょうし)により、京都六条坊門室町坊門(現在の、烏丸五条あたり)に創建されました。日什大正師は、もと天台宗の僧侶でしたが、66歳の時に日蓮大聖人の御書を拝読して改宗、帝都弘通を志し、妙満寺を建てて根本道場としました。日什大正師の入滅後、応仁の乱をはじめ、度々の兵火にあい市内各地を移転。1583年(天正11年)には寺町二条に移され「寺町二条の妙満寺」として約400年親しまれましたが、街中の喧噪から離れるため、1968年(昭和43年)に岩倉の地に移転し今日に至っています。本坊の枯山水庭園「雪の庭」は、松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つに数えられています。
躑躅が満開の時に是非再訪したいと思えるほど、多くの躑躅が植わってました。そして山門を入ると、正面に雄大な本堂が見えています。
山門を入って右手に手水舎がありました。この時間、2組ほど多分・・・墓参でしょうか、来られていました。
また、反対の左側には鐘楼がありました。山門前にあった案内によると、寺町二条から移転されたと・・・こちらも持って来られたのでしょうか
山門の正面が本堂です。そのまま進むと右手に本坊の玄関である寺務所があるので、そこから中に入ります。今日は「雪の庭」を見に来た訳です。
玄関を入ると左手に寺務所があって、そこで拝観料500円と朱印代300円を納めます。すると僧侶の方から拝観についての案内がありました。
「先ずは、左手に行き本堂に入ってお参りしてください。そして受付に戻り、書院から「雪の庭」を眺めてください。そして最後に展示室にて、寺宝を見てください。なお、「雪の庭」以外は、撮影は禁止です」と。
堂内の写真はありません。入ると、ここは顕本法華宗の総本山と最初に案内があったとおり、法華宗寺院の特徴が顕著でした。それより「本堂より振り向いてください、比叡山が正面に見えます」との案内が・・・帰りに見てみます。
再び受付に戻って、今度は書院にあります。今日の目的であった「雪の庭」をここで眺めます。なお、拝観者は私らだけでした。
室内は、赤い絨毯が敷かれてて、そこから庭をゆっくり眺めることにしました。それより受付で「庭を見て、俳句を詠んでみて、そして投稿してください」と言われたんですけど・・・。
MBS「毎日放送」で「プレバト!!俳句の才能査定ランキング」を見てて、“季語”は覚えましたが・・・まったく浮かばないですね、多分じゃなくて、確実に・・・“才能無し”です。
案内によると、比叡山を借景にと書いてありましたが、正面からは木々が邪魔で見えないです、“雪の庭”と呼ばれているので、冬にゆきを被った庭も良いでしょうね。
「雪の庭」と書かれた石碑もありました。なお、庭は散策できません。下に降りることはできないので、室内から観賞します。
俳句の祖といわれる松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つ。に数えられています。妙満寺の塔頭・成就院の住職であった日如上人は貞徳の門人である、その縁からこの「雪の庭」を造営、清水寺本坊の「月の庭」(一説には祇園)、北野の「花の庭」(現存せず)とともに成就院にあった「雪・月・花の三名園」名並び称されています。寺町二条から、この岩倉に移転された時、石組みをそのままに移築されました。
この庭の奥にある大書院の手前には「宝物展示室」があります。当然、内部は撮影禁止で、温度や湿度を厳重に管理されてる中、娘道成寺で有名な安珍清姫ゆかりの鐘などの寺宝を見学させてもらいました。
もう一度「雪の庭」に戻って、俳句をひねりましたが、出ないです。寺務所に戻って「朱印帳」を受取、先程内部に入って本堂に行きました。
先程、堂内に入った本堂です。外観を近くで見るため行って見ました。1968年(昭和43年)・・・今から約50年前に再建・・・移築されたのかなぁ・・・と思いながら振り向くと・・・。
先程、堂内の張り紙・・・「正面に比叡山が・・・」その通り、綺麗に比叡山が見えてます。我が家で見る比叡山とは形が違い、こんなに近いですよね、岩倉では。
最後に、仏舎利を納めたインドブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔が聳えているので、行ってみました。
1973年(昭和48年)檀信徒の寄進により建立されました。塔の最上階には古くから伝わる仏舎利が納められています。
塔内に入れるようですが、外からだけにしました。また建立33周年にあたる2006年(平成18年)からは、檀信徒の寄進により外壁にお釈迦さまの仏像486体が安置されました。
塔の周りには、「仏足石」(釈迦の足跡)や「金剛宝座(こんごうほうざ)」(お釈迦様が悟りを開かれた場所)がありました。
「豊田章一郎・豊田章男 植樹」と書かれた石碑・・・あのトヨタ自動車の社長さんの名前ですね、豊田家は檀信徒さんなのでしょう。
この時、10時30分は少し周りってました。お昼は行ってみたいと思っている所がありますが、11時からです。そろそろ出て行こうとすると・・・。
「中川の井」と書いてありました。京の七名水の一つといわれ、元は寺町二条の旧妙満寺境内にありました。妙満寺が岩倉に移転したのに伴って「中川の井」の石碑もこの地に移されました。
車は「第一駐車場」に止めました。寺町二条は街中でしたが、ここで何台でも止められそうです。私の車の他は、墓参に来られた檀家さんが数台止まってるだけでした。
妙満寺の駐車場を10時34分に出て行きました。予定より少し遅れてきたので、予定している(生きたかった)レストランに直行することにしました。岩倉から深泥が池の前を通って、京都府立植物園の前・・・北山通りに出てレストランの駐車場には10時53分に着きました。まだ開店前のため、少し閃いて、前から行ってみようと思ってた所に走ってむかうことに。
【妙満寺】