NHK大河ドラマ「真田丸」で紹介された新日吉神宮へ

豊国廟を出て、元来た道に戻りますが、ここは京都女子大学や京都女子高校があるので、市バスの色も赤色の特別仕様です。そのバスが、次から次へと入って来ては出ていくので、邪魔で仕方ないです。バスとバスが擦れ違う度に待たされるので、距離は目と鼻の先ですが、少し時間が掛かりました。その次の目的地は、新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。

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新日吉神宮とかいて“いまひえじんぐう”とは読めないでしょう。この入口にある大鳥居の右側に回り込めば、数台しか止められませんが、駐車場がありました。

この石殿を少しだけ登って鳥居をくぐると、そこは月極駐車場です。境内には鳥居の右側の参道を進みます。

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参道を進もうとすると、ここの朱印が看板になってました。5つもあるみたいですが、そんなには要らないでしょう。ここにも石鳥居があって、両側には狛犬が鎮座、その奥に楼門が見えています。

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2007年(平成19年)に修復工事をされた楼門の両側には、この神社を警護している随身が鎮座しています。向かって右が口の開いた阿形(あぎょう)、左が、閉じている吽形(うんぎょう)です。

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楼門を入ると正面に、拝殿。その奥が本殿。そして左手には手水舎がありました。見た所、境内には誰も居ません。先程の豊国廟には数名居たのにね・・・

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参道を本殿に向かって歩いて行くと、先ずは拝殿に突き当たります。右手には社務所があって、人が居るのが分かったので、帰りに寄ることにして・・・。

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本殿は、一番高い所にあり、階段を少しだけ上がります。先程の豊国廟階段が、相当足にきてますが、これぐらなら大丈夫です。それより、階段の両側に鎮座している、狛猿が気になりました。進行方向に向かって、右手に口が開いた阿形(あぎょう)、左が、閉じている吽形(うんぎょう)となっています。

本殿を守護する御神猿は、厄除けや開運招福に御利益があると名高い。太古に滋賀を開発された日吉大神は、千年の都の鬼門を守護する霊神でした。ここの狛猿は日吉大神の使者で、信者の災禍を去るという不思議な働きをされると言われています。

そして正面の本殿に向かい参拝しました。手前が拝所で、奥に本殿がありますが、直接見ることはできません。

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御祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)、大山咋命荒魂(おおやまくいのみことのあらみたま)、大己貴命(おおなむちのみこと)、賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)、賀茂玉依比売命荒魂(かもたまよりひめのみことのあらみたま)、、田心比売命(たごりひめのみこと)、菊理比売命(くくりひめのみこと)、後白河天皇。相殿に素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大年神(おおとしのかみ)が祀られています。

1160年(永暦元年)後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、現在より南に創建されたと伝わります。皇居の守護神として、比叡山を守護する日吉社(現在の日吉大社)を勧請して「新しい日吉神社」としたところから、この新日吉神宮と名付けられました。

この本殿には向拝柱(ごはいはしら)に神猿像がありますが、どこに居るか分かりません。そのためか、柱にボタンがあって押すと、ランプが付きます・・・そこを探すと・・・。

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白いランプの所に神猿像・・・肉眼では遠くて分かりません。カメラを望遠で撮ってみると、やっと分かりました

ここで、本殿前の石段を降ります。境内社がありますが、それは後程。ここに上がると時に気になった、社号標があったから降りて見た次第です。

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「府社 新日吉神宮」と書かれています。本殿から見て右側にありました。そこの階段を登って、今度は境内社を巡ります。

今日、来た目的はここからです。昨年放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」の第31回放送で紹介されたのが、ここからなんです。

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本殿の左奥に鳥居が二つ並んでいます。今日の主役は、左の社殿です。早速、左側の鳥居をくぐってみます。

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鳥居には「豊国神社」の扁額が架かっていますが、ここは樹下社(このもとのやしろ)と呼ばれていました。御祭神は、豊臣秀吉が祀られています。樹下(このもと)・・・“きのした”と読めますね・・・秀吉の元の姓は“木下”でした。

阿弥陀ヶ峰の西にある、新日吉神宮の境内社「豊国神社」は、江戸時代には樹下社(このもとのやしろ)と呼ばれていました。この小さな社に、秀吉を慕う人々が参拝に訪れたと言います。その訳は、社の名が、秀吉のかつての苗字、木下と同じであったためとも言われています。表だって秀吉を参拝するのに憚れていた時代背景を偲ぶことができます。庶民に愛されたのでしょう豊臣秀吉は・・・。

次ぎに、右隣の鳥居に移動です。ここに「秋葉神社 愛宕神社」の扁額が架かっています。

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御祭神は、秋葉神社が、迦具土神(かぐつちのかみ)。愛宕神社が、火雷神(ほのいかずちのかみ)です。

この後、本殿の背後に回ります。ここには御神木「スタジイ」(京都指定保存樹)がありました。

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幹廻りが4㍍もあります。樹齢は推定ですが、500年~800年・・・江戸時代から新日吉神宮には現存してました。

次ぎに、本殿の右側に移動します。ここの石鳥居には「天満宮」の扁額と、小さく“飛梅”と書かれています。

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ここは、飛梅天満宮と言って、御祭神は、菅原道真飛梅の霊が祀られています。それより・・・飛梅の霊とは・・・珍しい・・・と言うか、始めて聞きました。

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ここから石段を降りて社務所に行きました。朱印は5種類あるみたいですが、ここでは新日吉神宮のだけいたたぎました。

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境内の北側には、神輿庫でしょうか何も書いてないので分かりませんが・・・そして少しばかり休憩をしたあと、楼門からここを出ました。

楼門を出たら最後の境内社である、山口稲荷神社にお参りしました。ここに来て気が付いたことですが、ここの社殿は全て西に向いてますね、珍しいかと思いました。

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御祭神は、稲荷社ですので宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)でした。お決まりの狛狐も、赤い鳥居の前に鎮座しています。

1160年(永暦元年)後白河法皇が法住寺殿を造営し、近江日吉山王の日吉大神を勧請したのが始まりで、社地は転々としましたが、明治期に現在地になりました。酒造、医薬、縁結びの神として信仰され親しまれています。創建時は、新日吉社でしたが、明治以降は新日吉神社に。1958年(昭和33年)に、後白河天皇を増祀し、翌1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めました。

ここは豊臣秀吉とは、直接は関係ないかも知れませんが、江戸時代に人々が、この小さな社に詣でた息づかいが、ここに来て分かるように思えました。 この日の翌日から3日間は、“足に身が入る”状態でした。特に階段の上り下りがきつかったけど、それでも私はエレベーターには乗りません。今日は、ここから帰りました。

【新日吉神宮 本殿】



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