京都浄土宗寺院 特別大公開 喜運寺へ

10時30分清水五条のコインパーキングを出て五条通りに出て、直ぐに右折します。東大路通りを南下しますが、最初に信号を左折すると渋谷通りに出ます。そこを東に山科の方向に車は登っていきますが、ほどなくして「小松谷正林寺」の駐車場に着きました。

10時35分頃に着きましたが、目的地は正林寺ではなく、京都浄土宗寺院 特別大公開された喜運寺(きうんじ)なんです。でも、正林寺の駐車場に止めても大丈夫です。そのカラクリは後程

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駐車場から正林寺の境内に入ります。その前にある門には「喜運寺はこの奥です」と、張り紙が貼ってあります。

そうなんです。喜運寺に行くには正林寺の境内を通る必要があるんです。また、正林寺は「小松谷保育園」を経営されてるため、保育園の出入口である門があります。

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ここにも「喜運寺はこの奥です」と、張り紙が貼ってあります。それがないと、入りにくいですよね、遠慮なく扉を開けて入って行くと・・・。

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今日は、土曜日のため園児の姿はありません。正林寺の境内を入って行くと、右手に「喜運寺」の表門が見えて来ました。

ここも、この日しか公開されないので雨でもやって来た訳です。表門に入る前に、駒札を読んで入りると、左手に本堂がありますが、入口が・・・

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本堂を回り込むように反対側に玄関がありましたが、本堂は直接上がれるようになってました。上がると右手に受付があって、ご住職に“朱印”をお願いすると、書いていただけました。

先に、お一人の方が訪問されててご住職さんとお話されてました。堂内の写真を尋ねると「良いです」と。それなら撮らせてもらいました

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ご本尊は、浄土宗ですので阿弥陀如来立像です。「木魚をたたいて念仏を称えてください」と書かれた張り紙がありますが、そこまでは・・・

堂内には、1.「等活地獄」 2.「無間地獄」 3.「六道図」 4.「浄土の十楽」 の絵図が架かってて、丁寧に一つづつ、住職さんが説明していただきました。

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右から「等活地獄(とうかつじごく)」まな板の上で身体を切り刻まれる。生き物を殺した者などが行く。左は「無間地獄(むげんじごく)」つねに猛火で焼かれる苦しみを受ける。親を殺した者などが行く。

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こちらは左から「六道図」地獄・餓鬼・畜生・修羅・人(人間)・天(神)の世界。生まれ替わる。右の「浄土の十楽」源信の『往生要集』には、浄土の十種の楽しみが挙げられます。

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ご覧のように、狭い堂内で、そんなに長居はできません。それでも案内を聞いてので、長いこと居たほうです。でもご住職さんに、何度も「お菓子とお茶飲んで行って」と言ってもらったので、休憩してくことに。

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本堂前の椅子に座って、しばし休憩していると、お一人来られてました。少しばかりのお菓子もいただいて・・・それより拝観料は不要でした。

最後に、普段は閉まっている「弁天堂」にお参りです。住職さんからも「是非寄って行って」と言われてたので

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“朱印”も弁財天と書かれているので、ここは是非行ってみようと・・・でも言われなくても、お堂があるのは入る前から分かっていたので、行ったでしょうけど

「元五条坂 延命大弁財天」は、1945年(昭和20年)3月まで五条坂の弁財天とし2て、長く宮川町で人々に親しまれてきました。毎月2日と15日の縁日には夜店が出て賑わったと伝えられています。ただ戦争による建物疎開により、当地にに移転し、仮堂に安置されてきましたが、2003年(平成15年)3月に、58年振りに新たに弁財天堂が再建された訳です。この弁財天は、比叡山無動谷の弁財天を本社とあおぐ江戸時代前期に造られ、一面八臂の宋様の坐像です。音楽・弁財・財福・知恵を授かる霊験あらたかな白蛇弁才天と伝えられています。

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弁財天にお参りし、お菓子やお茶もいただいたので10時58分に表門から出て行きました。

10時36分に表門をくぐったので、22分も居たことになります。狭いお堂でしたが随分長居をしました。この表門を出たら正林寺の境内です。らっかく来たので正林寺にも寄っていくことにしまたが、一旦保育園の門は出て行きます。

【喜運寺】



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