浄住寺~洛西の黄檗建築と紅葉のトンネル~ へ

世界文化遺産の苔寺(西芳寺)や、超人気スポットである鈴虫寺、そして地蔵院「竹の寺」に程近くに、葉室山 浄住寺があります。隠れ紅葉の名所でしたが、今年から初めて堂内が初公開(京都市観光協会主催)されることになったので11月21日(火)に行ってきました。

拝観開始は9時でしたが、紅葉の写真を撮ろうと車で8時30分頃に着きました。しかし・・・寺の駐車場がロープで閉鎖・・・止められない。それで上桂のコインパーキングまで戻って車を止めに戻る羽目になったのは想定外・・・浄住寺までの道が狭いので、ここも頭に入れて置いて良かったです

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上桂のコインパーキングから少し登った細い道を急いで歩き、8時40分に着きました。期待していたより少し紅葉は遅れているようで、5分程度・・・そんな感じです。

それよりテレビ中継のため(これは後から聞いたので分かった話です)、多くの人が来られています。正直、大誤算でした。

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本堂まで石段を上がりたかったんですが、京都市観光協会の人に押し戻されることに・・・。「まだ時間前ですので門の前まで戻ってください」と。

“紅葉のトンネル”を期待してましたが、出来が今一つ。撮影クルーが邪魔。来る日を間違えました・・・が、休みのため仕方ない・・・です。

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9時まで撮影風景を見ていました。門の前では数名が並ぶことになりましたが、それより「何の撮影ですか」と受付で聞いてみると・・・。

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読売テレビ夕方の情報番組「かんさい情報ネット ten」の中で、“蓬莱さんの天気予報”で使われるとか。帰ってから見ましたが確かに放送されました

9時少し前になって受付から「一般の人入れますよ」と。それで拝観料600円納めて、やっと中に入れました。ちなみに、今日はロケをされていたで入れましたが、特別拝観中は8時30分に閉門され9時00分に開門されるようです。ですから檀家さんは8時には出て行かなくてはいけないようですね。

受付のある門から石段を上がると突き当たりに本堂(禅堂)があって、先ずはそこに入るように案内されます。

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入ると「皆さんが揃う9時5分まで待ってください」と言われたので堂内をウロウロ。残念ながら撮影禁止のため写真はありません。大変寒い中、床机に座ってガイドさんから案内を聞きました。

810年(弘仁元年)に、嵯峨天皇の勅願寺として開創された古刹で、開山は滋覚大師円仁(えんじん)で天台宗の寺院で“常住寺”と称しました。伝承では、インドにて釈迦がお亡くなりになった時、お釈迦様の歯を一本“捷疾鬼(しようしつき)”が盗みます。それを足の速い“韋駄天”が奪い返し、更に律宗の祖である中国の道宣律師(どうせんりっし)に渡り日本へ運ばれ嵯峨天皇に献上され、その歯を納めるため、ここ上桂に“常住寺”を建てられました。その後、衰退し1261年(弘長元年)公家の葉室定嗣により中興され“浄住寺”と改められす。その中興開山の興正菩薩叡尊(えいそん)が諸堂を完成させ律宗の有力寺院となりますが、再度火災により衰退。そして江戸時代の1687年(貞享4年)に、葉室定嗣の子孫である葉室頼孝が、黄檗宗の鉄牛道機(てつぎゅうどうき)禅師を開山に招いて再興し現在に至ります。

本堂の中央に祀られているのが本尊・釈迦牟尼佛坐仏像で、衣と帯を締めた中国式となっています。本堂の左には達磨禅師像が、これも帯を締めています。本堂の奥には位牌堂、開山堂、寿塔(じゅとう)があって、隠元禅師像や寿塔には鉄牛禅師の遺骨並びに、釈迦の歯が石窟の中に納められ、その上に巨石が置かれています。

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案内が終わったら堂内を自由に見て回りますが、私は案内が始まる前に前途のとおりウロウロしてたので、早々と方丈へ移動しました。

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早々と方丈に入りましたが、先客が居ました。テレビクルーです。今日は徹底的に邪魔されて・・・そんな中、ここでもガイドさんが案内してくれました。

この方丈は、江戸時代の武家屋敷が元で、仙台藩4代藩主・伊達綱村が幼少期を過ごした屋敷(現在の東京日比谷公園辺りにあった)を解体し移築したものと伝わります。

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こちらは、「上段の間」です。部屋の右端には“武者隠し”があるのが、いかにも武家屋敷らしい造りです。普段は掛け軸で隠されてるそうですが、特別公開のため取り外され見えるようにされてます。

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こちらは「茶室」で、内部には入れません。中はに“白衣観音”と“木根観念”が祀られていました。

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床の間に飾ってあって掛け軸は、明治時代の浄住寺住職、半雨禅師の「山水画」です。殆ど方はスルーでした

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方丈の南側には、池泉式の庭園が広がっています。池の石の上に“釈迦の歯”に似せた石が乗せられています。また、鉄牛禅師が座禅された石もあるとか。ここも紅葉が綺麗でした。

写真は撮れませんでしたが、「雲龍図」桃山時代から続く京狩野家9代目狩野永岳が描いたもので、これだけが撮影禁止・・・残念です。また、廊下は“ウグイス張り”面白そうなので、実際踏んでみたらキュキュと・・・でした。

庭園から見ると、本堂からの奥、位牌堂、開山堂、寿塔(じゅとう)と、それぞれ高くなかって連なった造りになっているのが分かります。この方丈内で、書き置きの朱印をいたたぎ、また“鶴屋吉信”のお店が出ていたので、少しばかりお土産を買って、ここを出ました。

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帰りに寄るつもりが寄るのを忘れて写真だけ。本堂の左手にあった観音堂(上)で、右から薬師如来像、聖観音像、大日如来像と書かれています。下の小さな祠は、“八幡大菩薩”他・・・でした。

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本堂から見た参道・・・“紅葉のトンネル”です。テレビ撮影をされてた足元から撮りました。この風景を、翌日の“BS日テレニュース24”で使われてました。

ここから降りずに方丈前から降りるように案内が出ています。そのため上記のお堂を見るのを忘れたのが事実です

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降りると、石碑があったので正面に回り込んで読んでみると・・・鉄牛禅師遺偈(ゆいげ)「明々歴々(めいめいれきれき)」「歴々明々(れきれきめいめい)」「此是何物(これはこれなにものぞ)」「廻脱死生(はるかにししょうをだっす)」

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先程、テレビ撮影で邪魔された本堂を綺麗に撮れました。贅沢を言うなら、紅葉が5分程度が残念でしたが・・・。

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時計の針は9時35分になっていました。受付まで戻ると次から次へと拝観者が来られます。この模様がテレビで放送されました

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今年は紅葉の色付きが一週間程度早くて、それでもここは12月上旬でしょうね、見頃は。でも入口付近の紅葉は綺麗でした。

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本当は、看板の写真のように、こんなに綺麗じゃないかも知れませんが、また訪問しなくては・・・と思っています。ただ今年は・・・どうなかぁ・・・

ここには前途のとおり8時40分に来て、9時37分に出て行きました。この近くには地蔵院(竹の寺)や鈴虫寺、そして西芳寺(苔寺)があります。またゆっくり散策したものです。

【浄住寺】



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