源氏一族などの武家からの信仰が篤かった若宮八幡宮社(陶器神社)へ

五条万寿寺パーキングを出て、五条通りを東に進みます。河原町通りを超え、鴨川を渡り東大路通りの方向に進めます。すると予定していたコインパーキングを通り過ぎてしまい・・・五条坂にあるコインパーキングに車を止める事ができました。

やって来たのは若宮八幡宮社で、陶器神社とも呼ばれています。

画像
画像
五条通りに面して鳥居が立っています。京阪「清水五条」から歩いて清水寺に向かう人が行き交いますが、残念ながら現在、清水寺は改修工事中で、舞台のある本堂はすっぽり工事用のシートに覆われています。

画像
石鳥居前には「清水焼発祥之地 五条坂」と書かれた石碑が立っています。毎年8月7日から10日までの4日間、若宮祭とともに「陶器祭」が行われ、五条坂一帯で盛大に開催される“陶器市”は多くの人で賑わいます。

「若宮八幡宮」と書かれた扁額の鳥居をくぐると、参道は月極駐車場となっています。どの神社でも見かける風景ですよね、そして雨の中、そのまま進むと赤い鳥居があります。

画像
その先にも車が止まっていました。本当は、短い時間だし、ここに止める予定でしたが、警察車両が止まってて・・・それも、ここに来たら出て行かれたんですけど。

画像
画像
朱塗りの鳥居をくぐった右手に手水舎があって、ここで先客が2名来られているのを知りました。日本人か東洋人か・・・言葉から若い日本の女性であることが分かりました。雨の中、寄られたのでしょう。

それで境内内にある末社を先に散策するこにしました。社務所は、空いてるかどうかわかりませんが、後程寄ります。

画像
画像
画像
先ずは手前の赤い鳥居をくぐり、稲荷社へ。御祭神は宇賀御魂命(うかのみたまのかみ)と掠れた文字で書かれています。

画像
そして南側に離れて祠がありますが、「祖霊社」と書かれています。さすがに墨が掠れてこれ以上は読めません

画像
今度は、“稲荷社”の北側に周り調べると「秋葉神社」でご祭神は、火乃焼速尾命(ひのやぎはやおのみこと)でした。

画像
画像
画像
次ぎに、北側にある「阿波天満宮」で、御祭神は、菅原道真公です。元の参道に戻って、石鳥居から入ると、天満宮でお馴染みの「神牛像」もありました。

これで、本殿に行こうとしたら、妻から「まだ奥にあるで」と言ってくれて、奥に進むと・・・。

画像
巨大な“鍾馗さん”が安置されています。駒札を読むと「鍾馗(しょうき)神社」御祭神は「鍾馗」で、鬼門の北東に向けて設置されています。

京都では、民家の屋根に置かれている“鍾馗さん”ですが、ここには「陶器神社」があり、瓦でできてる“鍾馗”も同じ焼き物であることから、京都市唯一の場所としてここに建立されたそうです。屋根に乗ってる“鍾馗さん”と違い、ここのは巨大です

先に出てしまいましたが、社務所の北側にあるのが「陶器神社」でした。御祭神は、椎根津彦大神(しいねつひこのおおかみ)が祀られています。

画像
前途した「陶器祭」は、この神社に祀られている椎根津彦命(しいねつねひこのみこと)の祭礼として、氏子の陶磁器業者が中心となり、五条坂一帯で盛大な陶器市が開かれるようになりました。

少々時間をかけ過ぎたので、先客は帰られました。そこで本殿に向かいます・・・が・・・雨が止まない・・・天気予報・・・もうそろそろ上がっても良いのに・・・。

画像
画像
雨で滑りやすい石段を少しだけ上がると、正面・・・南に向いて本殿が建っています。本殿には先程案内した、陶器神社の御祭神が、1949年(昭和24年))本殿に合祀され“陶器神社”としても知られるようになりました。

画像
御祭神は、第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇、第15代・応神(おうじん)天皇及び神功(じんぐう)皇后(仲哀天皇の皇后)を、相殿には第85代・仲恭(ちゅうきょう)天皇が祀られています。

画像
画像
現在の本殿は、1654年(承応3年)の造立で、三間社流造の庇を取り込んで前室とし、更にその前に向拝一間を付けた前室付きの流造です。滋賀県ではよく見かける構造ですが、京都では珍しいそうです。 

画像
本殿左前には「蓬莱石」がありましたが、近年本殿の片隅に埋まってたのを、約650年振りに世に出されたもので、足利尊氏が病気にかかり、病気平癒を祈願したら治ったと言われる霊石です。

画像
画像
境内で見つけた面白い石で“ハート”の形をしています。ご丁寧に、お賽銭も供えてありました。

本殿の右手前にはクスノキの大木があります。また、若宮八幡宮の御神木(榊の木)があって、縁結び及び家内安全御神徳があるとか、2本の木が1本に結ばれているそうです。

画像
画像
画像
また、この御神木の足元には、「孝明天皇御胞衣埋納所」の石標があり、1967年(昭和42年)に建てられました。第121代・孝明天皇(明治天皇の父)の胞衣を埋納された所です。

最後に、社務所に寄りました。ここのために“朱印帳”を持参してきたからです。ただ、在宅かどうか心配で・・・呼鈴を押してみると・・・。

画像
中から神職さんが出て来られました。そこで朱印帳を出すと、私の後の人も同じく出されたので、奥に引き込まれ・・・。

雨が降りしきる中、すごく長く待たされました。5分・・・10分・・・それぐらいです。少々イライラしましたが、とりあえず“朱印”と“由緒書き”はいただきました。

若宮八幡宮は、1053年(天喜元年)に後冷泉天皇の勅願により、源頼義(みなもとよりよし)が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが始まり。当初は六条八幡、左女牛(さめがい)八幡とも呼ばれ、源氏一族の武士からの信仰が篤かったと伝わります。室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め隆盛を極めましたが、応仁の乱により社殿は荒廃し、以後は社地も転々とし、1605年(慶長10年)に現在地に移り、現在に至っています。

今日は、まだまだ予定があるので先を急ぎます。コインパーキングに戻り清算すると、10時12分入庫、10時30分出庫で、料金は400円でした。ここからは清水に向かう車や人が多い中、五条通りに出て、次へと向かいました。

【若宮八幡宮社(陶器神社)】



この記事へのトラックバック