平成29年度 第53回京都非公開文化財特別公開 大将軍八神社へ
報土寺を出て、そのまま西に進みます。西に進みながら北に上がり一条通りを西に進むと、何度が来ていますが、平成29年度 第53回京都非公開文化財特別公開 大将軍八神社に着きました。
最近では2015(平成27年)年6月に来ています。普段は自由に境内に入れますが、この日の目的は「方徳殿」に入ることでした。
方徳殿は、5月と11月の1~5日には、特別拝観で入れます。今年は京都非公開文化財特別公開として、11月1日~12日・・・いつもより長く公開されることになりました。
境内の東北角に方徳殿があり、15時27分に入りました。入ると正面に拝観受付があって、そこで800円を納めるとポストカード1枚をいただきました。
前から見てみたいものがあったんですが、なかなかタイミングが合わず来られてませんでした。ここより先は撮影禁止です。ただ学生さんがガイドしてくれるのが嬉しいですよね。
最初の部屋で先ずは案内を受けました。最初は「北斗龍神図」(江戸時代、作者不詳)で、十二支(じゅうにし)を北斗七星の各星に当てはめ、また北斗七星を龍神に見立てて信仰の対象にしたものでした。
「四神図」は、日本の近代画家4名によって描かれたもので、玄武は神坂雪佳、青龍は木島櫻谷、白虎は富岡鉄斎、朱雀は阿部春峰(あべ しゅんぽう)によって描かれました。個人的には阿部春峰・・・初めて聞きました。
そして次の部屋がお目当ての、これだけを見に来たと言ってもいいほどの・・・重要文化財に指定されている「大将軍神像」が80体、まさに圧巻でしたね。
剣など持った武官像の中国式が50体、日本式の束帯像が29体、童子像が1体の80体、現在は剥奪していますが、当時は色彩鮮やかな像であったようです。製作年代は平安時代中期から後期に集中しており、作者は不詳です。奥にある甲冑姿の武装像が北極星を表し、その前の束帯像が北斗七星を表し、それに寄るそうように童子像がありました。
1体づつ、じっくり観賞し、次ぎに2階に上がります。そこは「古天文暦道関係資料室」となっており、ここでも学生さんが案内してくれました。ここの目玉は看板にある写真のものでしょう。
渋川春海(しぶかわはるみ、しぶかわしゅんかい)が作った「天球儀」は、普段見ている星座と異なり、左右が逆転しています。中国の天文学に基づいた星座に加えて渋川春海が自ら作成した星座も加えました。
他に、大将軍八神社の祭祀関係の資料や、陰陽道の安倍家(土御門家)に関わる古天文暦道関係資料が展示されていました。ガイドさんは、“しぶかわはるみ”と話されてましたが、「拝観の手引」で“しぶかわしゅんかい”と書いてあります。要するにどちらか分からないのでしょう。
ここは15時42分に出ました。陽もだいぶ傾いて西日が射すようになり境内も見渡すと空いてます。このまま帰るつもりでしたが境内を散策することにしました。
方徳殿を出たらその前が本殿です。ここの御祭神は、暦の吉凶を司る星神すなわち暦神八将神が祀られています。
方位神としての素戔鳴尊(すさのおのこと)、太歳神として天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、大陰神として市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、歳刑神として田心媛命(たごりひめのみこと)、歳破神として湍津姫命(たぎつひめのみこと)、歳殺神として天穂日神(あめのほひのみこと)、黄幡神として活津彦根神(いくつひこねのみこと)、豹尾神としての熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)が祀られています。
次ぎに境内の西側にある摂社を見て行きます。太陽も西に傾き、ここに来られる人も少なくなりました。
こちらは「五社」右より恵比須神社(商売)、稲荷神社(開運)、天満宮(学問)、長者神社(金運)、金比羅神社(交通安全)で、1718年(享保3年)に勧請されました。
こちらは「三社」右より命婦(みょうぶ)神社(女性の守護)、厳島神社(芸能)、猿田彦神社(導き)です。
また、境内の東側に戻って、左から大金神神社と歳徳神社です。1857年(安政4年)に地鎮祭が行われました。
次ぎに本殿を回ってみます。本殿の左側(西側)から奥に進みますが、そま横に大将軍八神社の御神木があり、案内を読むと、招霊木(おぎたま)とあります。
そして奥に進むと、境内北西角には、大杉神社(大杉大明神)があり、入ると小さ洞もあり、一願成就の神として豆吉明神も祀られてました。
本殿の裏側です。東を見れば先程入ってた方徳殿(宝物殿)があります。少なく見積もっても、私が出てからお一人しか入られてないかと思いますし、まだ中に数名の方が居るはずです。
私も案内を聞き、じっくり見てゆっくりしたつもりでしたが、まだ残ってる人は・・・まだまだ出て来そうにもありません。実は、案内を聞いてても、大きな声で話されているので、ガイドさんの声が聞こえなかったんです。宝物殿では静かにしていただきたいものです。
社務所の中で、少しばからトイレ休憩をしました。ここの御朱印や由緒書きはいただいてるので今日は寄らない予定でしたが、少しだけポストカードを買いました。
ここには15時50分に出ました。私が境内をウロウロしてましたが、誰も来られません。もうすぐ拝観時間が終了するので、次ぎには行かないことにしました。
次・・・北野天満宮の宝物館でしたが、この日は断念・・・結局行きませんでしたが・・・これで北野白梅町から嵐電に乗って帰りました。
【大将軍八神社 方徳殿】
最近では2015(平成27年)年6月に来ています。普段は自由に境内に入れますが、この日の目的は「方徳殿」に入ることでした。
方徳殿は、5月と11月の1~5日には、特別拝観で入れます。今年は京都非公開文化財特別公開として、11月1日~12日・・・いつもより長く公開されることになりました。
境内の東北角に方徳殿があり、15時27分に入りました。入ると正面に拝観受付があって、そこで800円を納めるとポストカード1枚をいただきました。
前から見てみたいものがあったんですが、なかなかタイミングが合わず来られてませんでした。ここより先は撮影禁止です。ただ学生さんがガイドしてくれるのが嬉しいですよね。
最初の部屋で先ずは案内を受けました。最初は「北斗龍神図」(江戸時代、作者不詳)で、十二支(じゅうにし)を北斗七星の各星に当てはめ、また北斗七星を龍神に見立てて信仰の対象にしたものでした。
「四神図」は、日本の近代画家4名によって描かれたもので、玄武は神坂雪佳、青龍は木島櫻谷、白虎は富岡鉄斎、朱雀は阿部春峰(あべ しゅんぽう)によって描かれました。個人的には阿部春峰・・・初めて聞きました。
そして次の部屋がお目当ての、これだけを見に来たと言ってもいいほどの・・・重要文化財に指定されている「大将軍神像」が80体、まさに圧巻でしたね。
剣など持った武官像の中国式が50体、日本式の束帯像が29体、童子像が1体の80体、現在は剥奪していますが、当時は色彩鮮やかな像であったようです。製作年代は平安時代中期から後期に集中しており、作者は不詳です。奥にある甲冑姿の武装像が北極星を表し、その前の束帯像が北斗七星を表し、それに寄るそうように童子像がありました。
1体づつ、じっくり観賞し、次ぎに2階に上がります。そこは「古天文暦道関係資料室」となっており、ここでも学生さんが案内してくれました。ここの目玉は看板にある写真のものでしょう。
渋川春海(しぶかわはるみ、しぶかわしゅんかい)が作った「天球儀」は、普段見ている星座と異なり、左右が逆転しています。中国の天文学に基づいた星座に加えて渋川春海が自ら作成した星座も加えました。
他に、大将軍八神社の祭祀関係の資料や、陰陽道の安倍家(土御門家)に関わる古天文暦道関係資料が展示されていました。ガイドさんは、“しぶかわはるみ”と話されてましたが、「拝観の手引」で“しぶかわしゅんかい”と書いてあります。要するにどちらか分からないのでしょう。
ここは15時42分に出ました。陽もだいぶ傾いて西日が射すようになり境内も見渡すと空いてます。このまま帰るつもりでしたが境内を散策することにしました。
方徳殿を出たらその前が本殿です。ここの御祭神は、暦の吉凶を司る星神すなわち暦神八将神が祀られています。
方位神としての素戔鳴尊(すさのおのこと)、太歳神として天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、大陰神として市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、歳刑神として田心媛命(たごりひめのみこと)、歳破神として湍津姫命(たぎつひめのみこと)、歳殺神として天穂日神(あめのほひのみこと)、黄幡神として活津彦根神(いくつひこねのみこと)、豹尾神としての熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)が祀られています。
次ぎに境内の西側にある摂社を見て行きます。太陽も西に傾き、ここに来られる人も少なくなりました。
こちらは「五社」右より恵比須神社(商売)、稲荷神社(開運)、天満宮(学問)、長者神社(金運)、金比羅神社(交通安全)で、1718年(享保3年)に勧請されました。
こちらは「三社」右より命婦(みょうぶ)神社(女性の守護)、厳島神社(芸能)、猿田彦神社(導き)です。
また、境内の東側に戻って、左から大金神神社と歳徳神社です。1857年(安政4年)に地鎮祭が行われました。
次ぎに本殿を回ってみます。本殿の左側(西側)から奥に進みますが、そま横に大将軍八神社の御神木があり、案内を読むと、招霊木(おぎたま)とあります。
そして奥に進むと、境内北西角には、大杉神社(大杉大明神)があり、入ると小さ洞もあり、一願成就の神として豆吉明神も祀られてました。
本殿の裏側です。東を見れば先程入ってた方徳殿(宝物殿)があります。少なく見積もっても、私が出てからお一人しか入られてないかと思いますし、まだ中に数名の方が居るはずです。
私も案内を聞き、じっくり見てゆっくりしたつもりでしたが、まだ残ってる人は・・・まだまだ出て来そうにもありません。実は、案内を聞いてても、大きな声で話されているので、ガイドさんの声が聞こえなかったんです。宝物殿では静かにしていただきたいものです。
社務所の中で、少しばからトイレ休憩をしました。ここの御朱印や由緒書きはいただいてるので今日は寄らない予定でしたが、少しだけポストカードを買いました。
ここには15時50分に出ました。私が境内をウロウロしてましたが、誰も来られません。もうすぐ拝観時間が終了するので、次ぎには行かないことにしました。
次・・・北野天満宮の宝物館でしたが、この日は断念・・・結局行きませんでしたが・・・これで北野白梅町から嵐電に乗って帰りました。
【大将軍八神社 方徳殿】