平成29年度 第53回京都非公開文化財特別公開 報土寺へ

とらや 京都一条店を出て、烏丸通りでタクシーを拾いました。当初は次の目的地まで歩いて行く予定にしてましたが、時間が微妙になり(拝観終了の)予定を変更した次第です。タクシーは七本松通りの立本寺前まで乗りました。そこから歩いて直ぐの所にあるが、平成29年度 第53回京都非公開文化財特別公開 報土寺(ほうどじ)です。

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毎年恒例の京都非公開文化財特別公開ですが、この報土寺が一番行きたかった所です。空いてたらなぁ・・・と思ってきましたが、大変な人出でしたね

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普段は表門(薬医門・重要文化財)すら開いてないので、ここから先はドキドキです。表門を入って左手に拝観受付があって、ここで拝観料800円と“拝観の手引き”を買いました。

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案内にしたがって本堂(重要文化財)に入ります。中では案内が始まってて、それに座る所もないほど混雑してるので、暫く空くのを待ちました。

皆さん本堂の前で待たれてて、案内が終わると椅子が空いたので座って待つと、次の案内が直ぐに始まりました。そこで報土寺の案内を学生さんが話されて・・・。

報土寺は浄土宗知恩院派に属する寺院で、創建は平安時代まで遡ります。859年(貞観元年)石清水八幡宮を創建した行教(ぎょうきょう)に創建され、当初は真言宗の寺院でした。その後、応仁の乱により荒廃しますが、1559年(永禄2年)浄土宗の僧侶である選誉照阿(せんよしょうあ)により、相国寺惣門の東南に再興されました。

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(画像はWikipediaより) 堂内の右には、黒田官兵衛の妻・光姫(てるひめ)(戒名:照福院殿念誉浩永大襌定尼)の肖像画が掛かっています。この報土寺所有ですが現存は、これ一つだそうです。

2014年(平成26年)放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、中谷美紀さんが演じていました。この年、大河ドラマで放送されていたので、ここも公開を期待したんですけど、その時は無かったのに・・・今頃か・・・が感想です。光姫と官兵衛の御位牌も安置されていました。

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本堂の右奥に安置されていた阿弥陀如来立像(重要文化財)は、1942年(昭和17年)に旧国宝に指定され、京都国立博物館に寄託されて以来、一度も寺に戻ってませんが、今回の特別拝観のため報土寺に戻ってきました。

阿弥陀如来立像の左足の台座との付け根部分に、1258年(正嘉2年7月12日と造像銘が刻まれており、座高は80㌢、もとは日牟禮八幡宮(滋賀県近江八幡市)に祀られていたと考えられています。

普段、お目にかかれない本尊の阿弥陀如来立像や光姫の肖像画、この先も滅多に見られないので、じっくり穴が空くほど見せてもらい堂内をウロウロして、出て行きました。

混雑している堂内を出てガイドさんから案内された墓地に行きます。本堂には地図がありましたが、本堂の右側を進むと案内が出ていました。

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この門を奥に奥に進んでいきます。地図を特に見なかったので、何処にあるのか・・・探しているのは光姫の墓ですが・・・。

その前に、これもガイドさんから説明があった古井戸がありました。先程聞いたので、ある文字を探してみると・・・。

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ここに宝暦12年(1762年)の文字と、「照福院」の文字が読み取れます。ここがかつて、照福院だったことを物語るものです。

黒田官兵衛の妻・光姫が報土寺に塔頭・照福院を建立します。光姫の死後は墓地が設けられました。照福院には、松陽亭と呼ばれる茶室も建てられ、そこに豊臣秀吉や石田三成が来訪したといいます。その後、1663年(寛文3年)に当地に移転。明治維新の廃仏毀釈によって、報土寺の塔頭寺院も取り壊されました。その取り壊された塔頭にあった仏像(阿弥陀三尊像)が現在、ご本尊として内陣中央に祀られています。

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それで墓地ですが、大きな看板があったので探すまでもなく、直ぐに分かりました。これが黒田官兵衛の妻・光姫(黒田長政の母)の墓です。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、黒田官兵衛(岡田准一)、光姫(中谷美紀)、黒田長政(松坂桃李)でした。

あまりと言うか殆どの人が、墓地は来られません。堂内は混雑しているのに対照的です。本堂に戻り、その左手前にある石仏が遊女観音が安置されています。これも先程、ガイドさんより案内を聞きました。

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この報土寺は、かつて五番町と呼ばれた旧遊郭街の一角にあります。現在、遊郭街の面影はありませんが、先代住職が建てた遊女観音が、そっと安置されていました。

水上勉の小説「五番町夕霧楼」は西陣の遊郭街、五番町で働く女性と幼なじみの僧侶の悲恋を描いた物語で、、佐久間良子さんらの主演で映画化されました。その遊郭の時代、亡くなっても引き取り手のない遊女の仮通夜を報土寺で、引き受けていたため「投げ込み寺」とも呼ばれたといいます。また、戦後しばらくまで境内にあった離れは遺体安置所として使われていたそうです。

また、表門を入って右手には「腹帯地蔵尊」と書かれた扁額がかかる地蔵堂があります。ここも開いていたので入らせてもらいました。

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この地蔵尊は、高さ2㍍もあって、衣には華麗な彩色が残っており、江戸前期に洛陽四十八願地蔵の一つに数えられました。

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ここもかつて、五番町・・・旧遊郭時代の名残でしょうね。案内で伺った“投げ込み寺”・・・哀しい時代を物語っているように思えました。

後に、鳥居があったので寄ってみました。臨時受付の裏側(境内の西南)にあったので誰も寄られません

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鳥居の扁額には「八幡宮 光吉稲荷大明神」と書かれています。小さな祠ですが、八幡宮・・・先程、ご本尊の阿弥陀如来立像が八幡宮から移されたと聞いたのと関係があるのでしょうか

京都非公開文化財特別公開は、どこも混雑しますが、ここも予想通りの人出でした。ここには14時45分に入って、15時15分に表門を出て行き次へと向かいました。

【報土寺】



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