出町の弁天さんで親しまれてる妙音辨財天へ

旧三井家下鴨別邸を出て、鴨川を渡ります。その渡った先の南側にあるのが妙音辨財天です。地元の人からは“出町の弁天さん”で親しまれています。

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境内の入口には石造りの鳥居があって、「妙音天」と書かれた扁額か架かっています。私は、ここを出るまで神社たと思い込みました

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入口には墨が掠れて読めない駒札と「妙音辨財天」と書かれた大きな石碑があります。そして境内に入ると「出町青龍妙音辨財天」と書かれた石碑も目にします。

駒札が読めなかったので、神社のようですが・・・何だか神社にしては違和感があって・・・そんな事を考えながら鳥居をくぐり西にある手水舎へ。

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西に向いてお堂が建っています。どう見ても本堂のようで・・・神社様式の建物じゃないのは・・・分かりましたが・・・。

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ここまで来たら、ここがお寺であることは、はっきりします。ご本尊は、本尊は弘法大師筆とされる青龍妙音辨財天画像(鎌倉時代作)です。

西園寺公衡の長女・西園寺寧子(やすこ)が、第93第後伏見天皇の女后に輿入された折に、西園寺家の念持仏として持参されて以来、伏見離宮に祀られ、光厳天皇(北朝初代)・光明天皇(北朝第2代)、崇光(すこう)天皇(北朝第3代)と伝承されてきた霊像です。その後、享保年間に伏見宮家第14代貞健(さだたけ)親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転されたため、本尊を奉還されました。更に明治維新で東京へ遷座されたことにともない、旧信徒の要請により、再び現在地に堂宇を建て安置され現在に至っています。

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お参りのあと、寺務所に行きました。朱印をもらうためです。ただ留守のようで・・・とりあえず呼鈴を押してみると・・・中から出て来られたので朱印をお願いしました。

この時、由緒書きもお願いしたら、500円でした。少々高いので、見本を見せて貰ったら・・・やめました。お寺の方も、これで500円だし、納得されないとね。

この寺務所の奥に、朱塗りの鳥居があるので、行ってみました。扁額には「豊川稲荷大明神」と書かれています。

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提灯には「豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」と書かれていますが、愛知県豊川市にある豊川稲荷の境内に祀られる秘仏みたいです。

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朱印を書いていただいてる間に境内の全景を撮りました。写真中央に手水舎が左に本堂が見えています。

その本堂の西奥に気になる建物が見えたので、帰る予定を変更して行って見ることに・・・。

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この建物は六角堂と言って、時計回りに年の数だけ回りながらお願い事をすれば叶うそうです。私なら目が回りそう。ところで・・・。

この辺りの町名が青龍町と言います。京の四方を守護する四神相応の青龍(東)から由来するそうです。本尊が青龍妙音辨財天画像と“青龍”の文字が入っていることも関係してるのかも知れません。

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辨財天の神使は「蛇」や「龍」だとされています。それで本堂の周りには、“蛇”の絵や、見にくいですが蛇の瓦も掲げられています。

ここは、相国寺 大光明寺の飛び地だそうです。神社のようですが、ここはれっきとした神仏習合の寺なんです。

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ここは10時ちょうどに来て、10時5分に出て行きました。朱印だけいただいて足早に出てしまったので、調べていくと再確認したいこともあったので、一週間後に再訪した写真が上です。

この日は、お昼を京都駅の近くで予約していたので、これから地下鉄に乗るため西にある烏丸通りまで歩きます。その途中に、もう一箇所寄って行くことを計画してました。

【妙音辨財天】



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