女性の守護神を祀る粟嶋堂宗徳寺へ

地下鉄で京都駅まで来ると、七条口から塩小路通りを西に向いて歩き堀川通りを渡ります。リーガロイヤルホテル京都の北側を暫くあるくと粟嶋堂 宗徳寺(あわしまどう そうとくじ)の前にでました。

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こちらの門は正門じゃありませんが、その横には「人形供養」の文字か・・・ここは女性守護の寺として知られています。

粟嶋堂宗徳寺は、西山浄土宗に属する宗徳寺の一堂で、堂内に粟嶋明神を祀ることから粟嶋堂の名で知られています。寺伝によれば、応永年間(1394~1428)南慶和尚(なんけいわじょう)が紀伊国(和歌山県)淡嶋から粟嶋明神を勧請して上洛する際、当地あたりで急に御神体が重くなったので、神意としてここに祀ったのが起りといわれています。来、宗徳寺の鎮守社、粟嶋神社として祀られてきましたが、明治時代の神仏分離により粟嶋堂と改められました。粟嶋明神は、古来より婦人の守護神とされ、婦人病平癒や安産祈願に御利益があるといわれ、当堂にも婦人の参拝者が絶えません。

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門をくぐって境内に入ると、そんなに広くはありません。ここは粟嶋堂ですが、和歌山には淡嶋神社があって、“人形供養”で聞いたことがあります。

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こちらが正門でしょう、もう一度、外に出て表門から入り直しました。門前の「粟嶋堂宗徳寺」と「粟嶋大明神」と書かれた石碑がありました。

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表門を入って左に、与謝蕪村が粟嶋堂宗徳寺を訪れ、娘の病気回復を祈願し、その時詠んだ句が、「粟島へ はだしまいりや 春の雨」と句碑に刻まれてます。

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表門から見ると、正面に粟嶋堂(本堂)があって、その南側(左手)に康申堂があります。その間に鳥居がありますが、それが咲分稲荷社です。

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粟嶋堂の右手には賓頭盧尊者像が。この堂内には前途のとおり、神仏習合の神である粟嶋大明神が祀られています。祖神は少彦名命(すくなひこのみこと)、本地佛は虚空蔵菩薩です。

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また、お堂の左手前には辨財天がありました。この日、ここを訪れたらお寺の方が3名、絵馬の整理をされてました。次ぎに寺務所に行くんですけど・・・。

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寺務所に行っても、やっぱり留守でした。それで作業をされてる所まで、私が呼びに行きました。住職さんかどうか分かりませんが、戻ってもらい朱印をいただくことが出来ました。

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朱印と由緒書きをいただけたので、粟嶋堂に戻って、その南側(左手)あった咲分稲荷社に寄りました。扁額から「咲分稲荷大明神」が祀られてるのでしょう。

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弘法大師 康申堂」と書かれた、このお堂の中には、人形で一杯です。正直、少し・・・気持ち悪いように思いました。

ここでは「人形供養」をされています。ご住職が神前で、一体一体並べて、人形のお顔を見ながら供養されるようです。

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表門を入って右手(北側)に探せば手水鉢がありました。ここにも人形が一杯・・・置かれています。供養後が終わったのでしょうね、案内には「今までどうもありがとう」と書いてありました。

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奥の石碑を正面から見ると「人形 癒やしの 石碑」と書かれています。由来は書いて無いので分かりません・・・。ここにも手水鉢がありました。

以前、この近くを通勤で通っていて、その時から寄ってみようと思ってました。和歌山県にある淡嶋神社は人形供養で知られていますが、そのイメージ来ましたが、それほどでもなかったです。そして、ここを出たのが11時13分で、予約した時間には少し早かったけど、向かうことにしました。場所は、直ぐの所です。

【粟嶋堂宗徳寺】



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