世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)を散策
以前、糺の森で紹介したとおり、世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)も散策してました。ただ時間が無かったので、一週間後にも訪れた次第です。天気が良いのが12月22日(金)、曇っているのが29日(金)で、写真はごちゃ混ぜです
。
京阪「出町柳駅」から歩いて5分ぐらいで、最初の鳥居が見えてきます。そのあと、北に向いて参道が続き、車が通る御蔭通りを横断すると・・・。
旧三井家下鴨別邸を超え、そのまま北に進むと「東に「史跡 賀茂御祖神社境内」と書かれた石碑と、西に「世界文化遺産」と書かれた大きな石標があります。
そのあと広い広い糺の森を抜けると、南口鳥居が見えて来ます。
その南口鳥居の右手前には巨大な手水舎があります。さすがに世界文化遺産に登録された神社だけのことはありますね
。ここで清めてから鳥居をくぐると・・・。
鳥居をくぐった左手には、国歌「君が代」に出てくる“さざれ石”があります。最近は、どの神社でも見かけるようになりました
。
その右手(北側)には朱塗りの鳥居がありますが、社殿と言うか祠がありません。どうやら下鴨神社の御神木のようで、「連理の賢木(れんりのさかき)」と言います。
2本の木が途中で連結しています。その姿から縁結びに御利益があるらしいです。しかし、あまりにも引いて撮ってしまい、肝心な連結が分からなかったので、後日、撮り直しに再訪しました
。
先程の連理の賢木と同じく、縁結びに御利益のある末社の相生社です。御祭神は産霊神(むすびのかみ)だそうです。
ここで、国の重要文化財に指定されている朱塗りが鮮やかな楼門をくぐります。
1628年(寛永5年)までは、21年ごとの式年遷宮で造くり替えられてようですね、綺麗な朱塗りのため歴史は感じませんが・・・。
ここをくぐると、見所満載のため22日(金)では物足りなさがありました。それで時間を置かず再訪した訳です。先ずは舞殿(まいどの)から。
29日(金)に訪問したとき、ここに“土佐犬”の絵馬が飾ってありました。京都三大祭りの一つ「葵祭」では勅使が祭文を奏上するのには使われる社殿です。
その西側には神服殿(重要文化財)があって、ここは特別公開された時に内部が見られます。
神々の夏冬の衣服を調える所で、1854年(安政元年)の御所炎上時には、第121代・孝明天皇の行在所となりました。
その裏側(西側)には、これも重要文化財に指定されてる共御所(くごしょ)がありました。
内部は3部屋に分かれ「共御所」「贄殿(にえどの)」「」侍所(さむらいどころ)」となっています。通常非公開のため入ったことはありません。
次ぎに東側に行ってみると、細殿(重要文化財)があります。
歴代天皇の行幸、法皇、上皇、院の御幸の安在所。内部は二重格天井を持ち、向拝付流造(こうはいつきながれづくり)で、檜皮葺となっています。
その前と言うか横というか解除所(げじょしょ)がありました。案内板によると、この先に御手洗川があって、古代から今日まで、日葵祭にさきがける祭事の樹下神事(じゅげしんじ)が斎行される場所だそうです。
その御手洗川の最上流にあるのが、末社の御手洗社(みたらしいしゃ)で、御祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)です。葵祭の斎王代の禊ぎ儀は、ここで行われます。
その御手洗川に架かる反り橋を、輪橋(そりばし)といいます。渡ることは出来ません。ここには尾形光琳ゆかりの梅がありますが、まだ咲いてません
。
御手洗川の下流に架かる建物があります。細殿(ほそどの)(重要文化財)と言い、下鴨神社で行われる祭事には神事芸能が奉納される社殿です。
ここで地図を見てて、神服殿の近くに(後に)摂社があることが分かりました。先ずは行ってみると・・・巫女さんが清掃を始められたので、先に手水舎から。
こんな所に、摂社の出雲井於神社(いづもいのへじんじゃ)がありました。御祭神は、建速須佐乃男命を(たけはやすさのおのみこと)です、
旧山城国愛宕郡「出雲」郷の総社であること、「井於」(川=鴨川の辺)に社が鎮座することに由来するらしい。この神社の周囲には植えられた木はどのような葉も、柊のようにギザギザになることから、比良木社(柊社)とも呼ばれています。御利益は、運開き、厄除け、茶道上達との事。
この摂社には手水舎も拝殿もあって、奥に本殿がありましたが、見えにくいですよね。ここには、本殿北に末社の岩本社(住吉神)、南に橋本社(玉津島神)があって、共に重要文化財に指定されています。
出雲井於神社の北側には摂社の三井神社があります。河合神社にも三井神社がありましたが、関係はないようです。
御祭神が、右から(東から)東殿:伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、中殿:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西殿:玉依日賣命(たまよりひめのみこと)です。ここには、2011年(平成23年)8月の特別公開で内部には入っています。
「山城国風土記」に、「蓼倉里三身社」(たでくらのさと)とある神社です。 奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯を蓼倉郷と呼ばれていました。三身社とは、 賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依日賣命(たまよりひめのみこと)のことで三神が祀られています。1629年(寛永6年)式年遷宮のとき造替された建物で重要文化財に指定さりています。
次ぎに西側の鳥居から出ることに、まだまだある末社を探しに・・・とトレイ休憩をするためでした
。
そのまま進むと大炊殿の入口が北側にあります。以前は本殿と合わせて特別公開されてましたが、この日来て見ると通常拝観されてるようで、久々に行って見ようと思いました。そして、その先に末社の印納社(いんのうしゃ)があって、祭神が、印璽大神(おしでのおおかみ)と倉稲魂神(くらのいなたまのかみ)でした。
御古くから祭られている印璽大神を祀り、ここに古印を納め御守護を仰ぐお社です。この一帯は平安時代初期から室町時代まで、賀茂斎院御所のあった由緒ある場所だそうです。
そして、左手(西側)に愛宕社(おたぎしゃ)(御祭神:火産霊神)と稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)の二社が1棟の社殿に祀られており、元は賀茂斎院御所に祀られていた社です。
愛宕社と稲荷社は共に賀茂斎院御所内に祀られていましたが、“文明の乱”による焼失の以降は両社を相殿(あいどの)として旧地に祀られるようになりました。
この辺りは境内の西北角に当たります。何度か来てた下鴨神社ですが、ここまで来たのは初めてです。こちらにも「史跡 賀茂御祖神社境内」と書かれた石碑と手水舎がありました。
この手水舎に駒札があって、「御手洗 三本杉」と書かれてました。読むと、古来より、糺の森三本杉から湧出する神水により人々の生活や田畑を潤していたことで知られる名水です。と書かれてました。
そして、ここにも「世界文化遺産」と書かれた大きな石碑があって、境内の南側と西側にもあったんですよね。
最後の末社が祓社(はらいのやしろ)と書かれてました。多分・・・自動車をここでお祓いされるためのスペースなんでしょう・・・知りませんが
。
御祭神は玉依姫命、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと) 祓戸大神(はらへどのおおかみ)。古代から鴨神道と称する独自の思想信仰を伝えています。旅行、交通安全などの導きの守護神でもあります。
次ぎに、中門を入って本殿前まで行きますが、この模様は・・・続きます
。
【賀茂御祖神社(下鴨神社) 楼門】


京阪「出町柳駅」から歩いて5分ぐらいで、最初の鳥居が見えてきます。そのあと、北に向いて参道が続き、車が通る御蔭通りを横断すると・・・。
旧三井家下鴨別邸を超え、そのまま北に進むと「東に「史跡 賀茂御祖神社境内」と書かれた石碑と、西に「世界文化遺産」と書かれた大きな石標があります。
そのあと広い広い糺の森を抜けると、南口鳥居が見えて来ます。
その南口鳥居の右手前には巨大な手水舎があります。さすがに世界文化遺産に登録された神社だけのことはありますね

鳥居をくぐった左手には、国歌「君が代」に出てくる“さざれ石”があります。最近は、どの神社でも見かけるようになりました


その右手(北側)には朱塗りの鳥居がありますが、社殿と言うか祠がありません。どうやら下鴨神社の御神木のようで、「連理の賢木(れんりのさかき)」と言います。
2本の木が途中で連結しています。その姿から縁結びに御利益があるらしいです。しかし、あまりにも引いて撮ってしまい、肝心な連結が分からなかったので、後日、撮り直しに再訪しました

先程の連理の賢木と同じく、縁結びに御利益のある末社の相生社です。御祭神は産霊神(むすびのかみ)だそうです。
ここで、国の重要文化財に指定されている朱塗りが鮮やかな楼門をくぐります。
1628年(寛永5年)までは、21年ごとの式年遷宮で造くり替えられてようですね、綺麗な朱塗りのため歴史は感じませんが・・・。
ここをくぐると、見所満載のため22日(金)では物足りなさがありました。それで時間を置かず再訪した訳です。先ずは舞殿(まいどの)から。
29日(金)に訪問したとき、ここに“土佐犬”の絵馬が飾ってありました。京都三大祭りの一つ「葵祭」では勅使が祭文を奏上するのには使われる社殿です。
その西側には神服殿(重要文化財)があって、ここは特別公開された時に内部が見られます。
神々の夏冬の衣服を調える所で、1854年(安政元年)の御所炎上時には、第121代・孝明天皇の行在所となりました。
その裏側(西側)には、これも重要文化財に指定されてる共御所(くごしょ)がありました。
内部は3部屋に分かれ「共御所」「贄殿(にえどの)」「」侍所(さむらいどころ)」となっています。通常非公開のため入ったことはありません。
次ぎに東側に行ってみると、細殿(重要文化財)があります。
歴代天皇の行幸、法皇、上皇、院の御幸の安在所。内部は二重格天井を持ち、向拝付流造(こうはいつきながれづくり)で、檜皮葺となっています。
その前と言うか横というか解除所(げじょしょ)がありました。案内板によると、この先に御手洗川があって、古代から今日まで、日葵祭にさきがける祭事の樹下神事(じゅげしんじ)が斎行される場所だそうです。
その御手洗川の最上流にあるのが、末社の御手洗社(みたらしいしゃ)で、御祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)です。葵祭の斎王代の禊ぎ儀は、ここで行われます。
その御手洗川に架かる反り橋を、輪橋(そりばし)といいます。渡ることは出来ません。ここには尾形光琳ゆかりの梅がありますが、まだ咲いてません

御手洗川の下流に架かる建物があります。細殿(ほそどの)(重要文化財)と言い、下鴨神社で行われる祭事には神事芸能が奉納される社殿です。
ここで地図を見てて、神服殿の近くに(後に)摂社があることが分かりました。先ずは行ってみると・・・巫女さんが清掃を始められたので、先に手水舎から。
こんな所に、摂社の出雲井於神社(いづもいのへじんじゃ)がありました。御祭神は、建速須佐乃男命を(たけはやすさのおのみこと)です、
旧山城国愛宕郡「出雲」郷の総社であること、「井於」(川=鴨川の辺)に社が鎮座することに由来するらしい。この神社の周囲には植えられた木はどのような葉も、柊のようにギザギザになることから、比良木社(柊社)とも呼ばれています。御利益は、運開き、厄除け、茶道上達との事。
この摂社には手水舎も拝殿もあって、奥に本殿がありましたが、見えにくいですよね。ここには、本殿北に末社の岩本社(住吉神)、南に橋本社(玉津島神)があって、共に重要文化財に指定されています。
出雲井於神社の北側には摂社の三井神社があります。河合神社にも三井神社がありましたが、関係はないようです。
御祭神が、右から(東から)東殿:伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、中殿:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西殿:玉依日賣命(たまよりひめのみこと)です。ここには、2011年(平成23年)8月の特別公開で内部には入っています。
「山城国風土記」に、「蓼倉里三身社」(たでくらのさと)とある神社です。 奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯を蓼倉郷と呼ばれていました。三身社とは、 賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依日賣命(たまよりひめのみこと)のことで三神が祀られています。1629年(寛永6年)式年遷宮のとき造替された建物で重要文化財に指定さりています。
次ぎに西側の鳥居から出ることに、まだまだある末社を探しに・・・とトレイ休憩をするためでした

そのまま進むと大炊殿の入口が北側にあります。以前は本殿と合わせて特別公開されてましたが、この日来て見ると通常拝観されてるようで、久々に行って見ようと思いました。そして、その先に末社の印納社(いんのうしゃ)があって、祭神が、印璽大神(おしでのおおかみ)と倉稲魂神(くらのいなたまのかみ)でした。
御古くから祭られている印璽大神を祀り、ここに古印を納め御守護を仰ぐお社です。この一帯は平安時代初期から室町時代まで、賀茂斎院御所のあった由緒ある場所だそうです。
そして、左手(西側)に愛宕社(おたぎしゃ)(御祭神:火産霊神)と稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)の二社が1棟の社殿に祀られており、元は賀茂斎院御所に祀られていた社です。
愛宕社と稲荷社は共に賀茂斎院御所内に祀られていましたが、“文明の乱”による焼失の以降は両社を相殿(あいどの)として旧地に祀られるようになりました。
この辺りは境内の西北角に当たります。何度か来てた下鴨神社ですが、ここまで来たのは初めてです。こちらにも「史跡 賀茂御祖神社境内」と書かれた石碑と手水舎がありました。
この手水舎に駒札があって、「御手洗 三本杉」と書かれてました。読むと、古来より、糺の森三本杉から湧出する神水により人々の生活や田畑を潤していたことで知られる名水です。と書かれてました。
そして、ここにも「世界文化遺産」と書かれた大きな石碑があって、境内の南側と西側にもあったんですよね。
最後の末社が祓社(はらいのやしろ)と書かれてました。多分・・・自動車をここでお祓いされるためのスペースなんでしょう・・・知りませんが

御祭神は玉依姫命、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと) 祓戸大神(はらへどのおおかみ)。古代から鴨神道と称する独自の思想信仰を伝えています。旅行、交通安全などの導きの守護神でもあります。
次ぎに、中門を入って本殿前まで行きますが、この模様は・・・続きます

【賀茂御祖神社(下鴨神社) 楼門】