世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)を散策(後編)
世界文化遺産 賀茂御祖神社(下鴨神社)では、楼門を入って、本殿にお参りするには中門(重要文化財)から入ります。
檜皮葺の切妻造の四脚門で、参拝者は幤殿まで入ることができます。中門の左右には雅楽を奏した楽屋(がくのや)があります。
入ると本殿前に小さな社が7つも並んでいます。末社の言社(ことしゃ)です。十二支(じゅうにし)を守る神が祀られています。
こちらは“二言社”右(北社)が「子(ね)」年生まれの守護社で御祭神が大国主神(おおくにぬしのかみ)、左(南社)が「丑(うし)、亥(い)」年生まれの守護社で御祭神が大物主神(おおものぬしのかみ)です。自分の生まれ年の社にお参りするのが習いです。
こちらは“一言社(東社)”で「巳(み)」年生まれの守護神と「未(ひつじ)」年生まれの守護社で御祭神が、ともに国魂神(おおくにたまのかみ)です。
こちらは右から“三言社(北社)”で「卯(う)・酉(とり)」の守護社で、御祭神が志固男神(しこおのかみ)。次ぎに三言社(中社)で「寅(とら)・戌(いぬ)」の守護社で御祭神が大己貴神(おおなむちのかみ)。最後が“三言社(南社)”で「辰(たつ)・申(さる)」年生まれの守護社で御祭神が八千矛神(やちほこのかみ)です。
最後が、“一言社(西社)”で「午(うま)」年生まれの守護社です。御祭神が顕国魂神(うつしくにたまのかみ)となっています。
参拝者は、この幤殿前でお参りします。国宝の本殿は見えません。東本殿に玉依姫命(たまよりひめのみこと)を、西本殿に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られています。
この幤殿(重要文化財)は、宮中からの幣帛(へいはく)を奉る社殿で、そこを西に進むと少しだけ隙間があって、西本殿横に小さな社殿が見えています。それが末社の印璽社で、御祭神は印璽神(いんじのかみ)だそうです。
この印璽社は2011年(平成23年)8月の本殿特別公開の時、間近で見てました。印鑑、契約守護の神様で、さまざまな約束を守ってくださるそうです。
それで、年明けの1月13日(土)に年頭のお参り来ました。自分の干支と、本殿にお参りしたあと“御守り”もいただきました。御朱印は以前いただいてましたが、ここの比良木社・相生社・御手洗社もいただけると知ったので来て見ました。しかし“書き置き”しかないそうです。
今日は、せっかく来たので久し振りに大炊殿(おおいどの)に入ってみようと思ってました。それで表まで来て見ると、以前とは入口が違ってて・・・。
境内の東にある御手洗池の近くに入口があるみたいです。地図を見れば・・・。それで行ってみると御手洗社の授与所の中に受付がありました。
入口を入って右手で、拝観料500円を納めます。そこで「大炊殿」の入口を聞くと、ここのすぐ横でした。と言うことは、本殿裏を通って回り込むコースを造られたんだと。
まさか・・・こんな所が入口なんて、装像もできない所です。この時、9時57分・・・少し早く入れました。狙い通りです。
入口から続く長い板敷きの参道を進むと国宝の屋根が見えて来ました。そして西本殿と東本殿の間・・・北門が開いてて、そこでお参りが出来ました。中は撮影厳禁と私語厳禁でした。
広い境内を東から西に移動する訳で・・・それでやっと大炊殿が・・・やっと見えて来ました。2011年(平成23年)8月以来の大炊殿に、これから入ります。
国の重要文化財に指定されてる建物は、江戸時代初期の1629年(寛永6年)の遷宮により造替されたものです。以前の建物は1470年(文明2年)の兵火より焼失してました。
大炊殿は、神饌(しんせん・お供えのこと)の御料(ごりょう)を煮炊きし、調理する社殿です。主に御飯やお餅などの穀物類の調理が行われていました。
入ると右側の土間に竈(おくどさん)があります。なお現在、神饌料理は西御料屋に移って、ここは使われていません。
ここは靴を脱いで上がるとことができます。もちろん上がりますが・・・この時は、まだ誰も来られてませんでした。ただ、私らの後に、一組の方も来られてたようですが・・・。
断って置きますが、ここは撮影OKです。靴を脱いで上がった先が「中の間」で、ここでは神饌の材料や用具を洗ったり調理する台所です。
「奥の間」では、盛り付けた神饌を神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてあります。また、部屋の真ん中には「七五三餅」が展示してありました。
2011年(平成23年)8月以来でしたが、そんなに変わってる印象は無かったです。ここを出て東隣にある、御井(みい)です。井戸では珍しい国の重要文化財に指定されています。
神饌料理の水にしようされた井戸です。井戸を覆う上屋を“井戸屋”。井筒を“井戸屋形”と呼ばれています。大炊殿と同じく1629年(寛永6年)の遷宮により造替されたものです。
ここは2011年(平成23年)8月の拝観の時、ガイドさんからパワースポットと教えて貰った所です。ここは「水ごしらへ場」と言って、若水神事を初め御水の祭事が行われる所です。
このあと、真ん中の小屋に行こうとしたら後続の方が入られたので、飛ばして最も西側にある小屋に行って見ると
「儀装馬車」が置いてありました。
宮中での儀式に使用されているのと同型のもので、二頭引きランドータイプの小型馬車車体の中央に座席が向き合う四輪馬車です。
この馬車は毎年、5月に行われる「葵祭」の前儀“流鏑馬神事”や“御蔭祭”で使用されるようです。そして、この小屋の東側にはガラスケースに入った“駕籠”が展示してあります。その駕籠には徳川家の家紋が。
「三つ葉葵紋蒔絵駕籠」徳川(松平)家は、三河国の当神社荘園から発祥しており、氏神でもある賀茂神社の葵の御紋を戴き、現在でも有名な三つ葉葵紋を使用したと伝わります
馬車と駕籠の後、最後は牛車です。ここも2011年(平成23年)8月の特別拝観時と同じです。
「唐車(からぐるま)」は、屋根の造りが“唐破風”になっていることから名付けられたものて゜、上皇・皇后・東宮・親王または摂政・関白が用いた格式の高い牛車です。
最後に、別棟の御車舎に入ります。最初、ここに見学者がいたので最後になりました。
ここでは、古くから伝わる葵祭関係資料等を展示しております。また、年代は不明ですが“狛犬”の展示もありました。
久し振りに入ってみて以前とは変わりが無かったですね。最後に冬枯れの庭です。
「葵の庭(カリンの庭)」と呼ばれる庭は、“文明の乱”の兵火により、殿舎が退転したものを再興されました。大炊殿で調制される御薬酒用薬草も栽培されており、特にカリンの古木が有名で“カリンの庭”とも呼ばれています
葵の庭には、フタバアオイの他、カリンやヌルデ・クチナシ・カツラ・ヤマウコギなどの薬草が栽培されてるそうです。そして、ここを出て行く時に下鴨神社の叉蔵(あぜくら)が見えていました。
普段、目にすることがないので貴重です。校倉造り・・・下鴨神社の神宝が収納されてるそうです。
外国人観光客の多い、下鴨神社ですが、ここではほぼ独占で見られました。ここを出ると、いろんな言葉が飛び交う異国に来たような雰囲気になるほど外国人観光客が占有している境内を抜け帰りました。
【賀茂御祖神社(下鴨神社) 大炊殿】
檜皮葺の切妻造の四脚門で、参拝者は幤殿まで入ることができます。中門の左右には雅楽を奏した楽屋(がくのや)があります。
入ると本殿前に小さな社が7つも並んでいます。末社の言社(ことしゃ)です。十二支(じゅうにし)を守る神が祀られています。
こちらは“二言社”右(北社)が「子(ね)」年生まれの守護社で御祭神が大国主神(おおくにぬしのかみ)、左(南社)が「丑(うし)、亥(い)」年生まれの守護社で御祭神が大物主神(おおものぬしのかみ)です。自分の生まれ年の社にお参りするのが習いです。
こちらは“一言社(東社)”で「巳(み)」年生まれの守護神と「未(ひつじ)」年生まれの守護社で御祭神が、ともに国魂神(おおくにたまのかみ)です。
こちらは右から“三言社(北社)”で「卯(う)・酉(とり)」の守護社で、御祭神が志固男神(しこおのかみ)。次ぎに三言社(中社)で「寅(とら)・戌(いぬ)」の守護社で御祭神が大己貴神(おおなむちのかみ)。最後が“三言社(南社)”で「辰(たつ)・申(さる)」年生まれの守護社で御祭神が八千矛神(やちほこのかみ)です。
最後が、“一言社(西社)”で「午(うま)」年生まれの守護社です。御祭神が顕国魂神(うつしくにたまのかみ)となっています。
参拝者は、この幤殿前でお参りします。国宝の本殿は見えません。東本殿に玉依姫命(たまよりひめのみこと)を、西本殿に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られています。
この幤殿(重要文化財)は、宮中からの幣帛(へいはく)を奉る社殿で、そこを西に進むと少しだけ隙間があって、西本殿横に小さな社殿が見えています。それが末社の印璽社で、御祭神は印璽神(いんじのかみ)だそうです。
この印璽社は2011年(平成23年)8月の本殿特別公開の時、間近で見てました。印鑑、契約守護の神様で、さまざまな約束を守ってくださるそうです。
それで、年明けの1月13日(土)に年頭のお参り来ました。自分の干支と、本殿にお参りしたあと“御守り”もいただきました。御朱印は以前いただいてましたが、ここの比良木社・相生社・御手洗社もいただけると知ったので来て見ました。しかし“書き置き”しかないそうです。
今日は、せっかく来たので久し振りに大炊殿(おおいどの)に入ってみようと思ってました。それで表まで来て見ると、以前とは入口が違ってて・・・。
境内の東にある御手洗池の近くに入口があるみたいです。地図を見れば・・・。それで行ってみると御手洗社の授与所の中に受付がありました。
入口を入って右手で、拝観料500円を納めます。そこで「大炊殿」の入口を聞くと、ここのすぐ横でした。と言うことは、本殿裏を通って回り込むコースを造られたんだと。
まさか・・・こんな所が入口なんて、装像もできない所です。この時、9時57分・・・少し早く入れました。狙い通りです。
入口から続く長い板敷きの参道を進むと国宝の屋根が見えて来ました。そして西本殿と東本殿の間・・・北門が開いてて、そこでお参りが出来ました。中は撮影厳禁と私語厳禁でした。
広い境内を東から西に移動する訳で・・・それでやっと大炊殿が・・・やっと見えて来ました。2011年(平成23年)8月以来の大炊殿に、これから入ります。
国の重要文化財に指定されてる建物は、江戸時代初期の1629年(寛永6年)の遷宮により造替されたものです。以前の建物は1470年(文明2年)の兵火より焼失してました。
大炊殿は、神饌(しんせん・お供えのこと)の御料(ごりょう)を煮炊きし、調理する社殿です。主に御飯やお餅などの穀物類の調理が行われていました。
入ると右側の土間に竈(おくどさん)があります。なお現在、神饌料理は西御料屋に移って、ここは使われていません。
ここは靴を脱いで上がるとことができます。もちろん上がりますが・・・この時は、まだ誰も来られてませんでした。ただ、私らの後に、一組の方も来られてたようですが・・・。
断って置きますが、ここは撮影OKです。靴を脱いで上がった先が「中の間」で、ここでは神饌の材料や用具を洗ったり調理する台所です。
「奥の間」では、盛り付けた神饌を神前へお供えする順に並べておく配膳棚が設けてあります。また、部屋の真ん中には「七五三餅」が展示してありました。
2011年(平成23年)8月以来でしたが、そんなに変わってる印象は無かったです。ここを出て東隣にある、御井(みい)です。井戸では珍しい国の重要文化財に指定されています。
神饌料理の水にしようされた井戸です。井戸を覆う上屋を“井戸屋”。井筒を“井戸屋形”と呼ばれています。大炊殿と同じく1629年(寛永6年)の遷宮により造替されたものです。
ここは2011年(平成23年)8月の拝観の時、ガイドさんからパワースポットと教えて貰った所です。ここは「水ごしらへ場」と言って、若水神事を初め御水の祭事が行われる所です。
このあと、真ん中の小屋に行こうとしたら後続の方が入られたので、飛ばして最も西側にある小屋に行って見ると
「儀装馬車」が置いてありました。
宮中での儀式に使用されているのと同型のもので、二頭引きランドータイプの小型馬車車体の中央に座席が向き合う四輪馬車です。
この馬車は毎年、5月に行われる「葵祭」の前儀“流鏑馬神事”や“御蔭祭”で使用されるようです。そして、この小屋の東側にはガラスケースに入った“駕籠”が展示してあります。その駕籠には徳川家の家紋が。
「三つ葉葵紋蒔絵駕籠」徳川(松平)家は、三河国の当神社荘園から発祥しており、氏神でもある賀茂神社の葵の御紋を戴き、現在でも有名な三つ葉葵紋を使用したと伝わります
馬車と駕籠の後、最後は牛車です。ここも2011年(平成23年)8月の特別拝観時と同じです。
「唐車(からぐるま)」は、屋根の造りが“唐破風”になっていることから名付けられたものて゜、上皇・皇后・東宮・親王または摂政・関白が用いた格式の高い牛車です。
最後に、別棟の御車舎に入ります。最初、ここに見学者がいたので最後になりました。
ここでは、古くから伝わる葵祭関係資料等を展示しております。また、年代は不明ですが“狛犬”の展示もありました。
久し振りに入ってみて以前とは変わりが無かったですね。最後に冬枯れの庭です。
「葵の庭(カリンの庭)」と呼ばれる庭は、“文明の乱”の兵火により、殿舎が退転したものを再興されました。大炊殿で調制される御薬酒用薬草も栽培されており、特にカリンの古木が有名で“カリンの庭”とも呼ばれています
葵の庭には、フタバアオイの他、カリンやヌルデ・クチナシ・カツラ・ヤマウコギなどの薬草が栽培されてるそうです。そして、ここを出て行く時に下鴨神社の叉蔵(あぜくら)が見えていました。
普段、目にすることがないので貴重です。校倉造り・・・下鴨神社の神宝が収納されてるそうです。
外国人観光客の多い、下鴨神社ですが、ここではほぼ独占で見られました。ここを出ると、いろんな言葉が飛び交う異国に来たような雰囲気になるほど外国人観光客が占有している境内を抜け帰りました。
【賀茂御祖神社(下鴨神社) 大炊殿】