向日市の市名の起源でもある向日神社へ
長岡天満宮を参拝したあと、阪急「長岡天神駅」に戻って、そこからタクシーに乗り向かった先が向日神社でした。
阪急「長岡天神駅」から一駅先の「西向日駅」に行き、そこから徒歩で約20分弱で向かうことも考えましたが、この日は、あとの予定が詰まっているので、タクシーを選択した次第です。
物集女街道沿いに石造りの大鳥居が突然現れます。何度か家出シミュレーションしてきたので、ここで車が止まる・・・と思いきや、この参道をどんどん上がって行きます。
写真は、帰りに撮ったものです。大鳥居から社殿に至る長い長い長い石畳の参道の両側には桜並木がありますが、当然今は枯れてます。満開時には桜のトンネルとなるそうですね、行って見たいです。。
車は、舞楽殿前で降ろしてくれました。この左横に向日神社の駐車場があるので、初詣に来られる参拝者の車が沢山止まっています。
車を降りてから少しだけバックして手水舎に行き、そこで手と口を決めて、いよいよ拝殿に向かいます。
舞楽殿の奥に拝殿がその奥に本殿がありますが、このとき9時15分ですが、多くの人が車や歩いて来られてて、これは本殿前の写真は無理かなぁ・・・と。多分社務所も臨時の建物でしょう、そこで朱印はいただきました。
手前が拝殿で、その前で参拝します。奥の本殿は1418年(応永2年)に建造されたもので、国の重要文化財に指定されています。
明治神宮本殿造営の際には、向日神社がモデルとされています。御祭神は、向日神(むかひのかみ)、火雷神(ほのいかずちのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神武天皇(じんむてんのう)の4柱。向日神社は延喜式神名帳に記載された式内社であり、向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)「火雷神社」(下ノ社)という別の名前で呼ばれていました。向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まり、火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山城国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まりだと伝わります。火雷神社は718年(養老2年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀しましたが、中世に至ると荒廃。1275年(建治元年)には向神社が併祭することとなり、向日神社と社名を改めて今日に至っています。
上の拝殿の写真ですが、粘りに粘って撮れた一枚です。朝早くから参拝者が途切れないほど来られてたので、諦めかけた一瞬でした。それでは境内の末社を巡ります。先ずは本殿を反時計回りで。
「春日神社」で、御祭神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)、齋主神(いわひぬしかみ)、天津兒屋根尊(あまつこやねのみこと)、姫大神(ひめのおほかみ)です。
本殿の裏側に出てきました。時間が無いので向に見えてる鳥居も気になったことは事実でがスルーしました。後で調べると、増井神社があったようです。次回“満開の桜”の時に確認したいです。
境内図によると、ここは「鶏冠木の苑(かえるてのその)」と呼ばれています。そして本殿の南側にでてくると、とある社がありました。
案内板によると「御霊社」で御祭神は、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)です。
また本殿前まで戻ってきました。よく見るとお賽銭箱には徳川の“三つ葉葵紋”がありました。本殿前では祈祷が始まってようで・・・。
その本殿の右手には参集殿(社務所)がありましたが、遠く離れて見ただけです。お正月以外は、ここが授与所なんでしょう。
再び舞楽殿まで戻って、ここから下ります。ご覧のようにここから下りの長い長い長い参道が続きます。
ここで少々・・・休憩です。「お茶所」とありましたが、早い話・・・トイレ休憩をしました。ここに向日市の観光ガイドブックが多数置いてあったので、貰って帰りました。また向日市を回ります。
トレイから参道に戻り舞楽殿を見ています。左を行けば結構広い、駐車場があって、右手に行けば参集殿(社務所)の方向となります。そして下った直ぐの左手には・・・。
こちらは「天満宮社」で、御祭神が菅原神(すがわらのかみ)、大歳神(おほとしのかみ)、屋船神(やふねかみ)です。
その奥に進んでいくと、元稲荷社がありました。このあと行く勝山稲荷社が、この前にありました。それが下の写真です。
本当は、社殿が先ですが・・・。「勝山稲荷社」御祭神が倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。このあと参道に出てきました。
参道の中頃まで来ました。行きは車で上がってきましたが、本当に長い参道です。それで途中には「紅山桜」の看板が出てました。ここは桜の名所で知られています。
帰りは、ゆっくり歩いて下りました。それでも数台、車で上がって来られます。そして9時36分に物集女街道まで戻ってきました。
物集女街道は、交通量が多いので注意しながら横断し、このあと阪急「西向日駅」に向かって歩き始めました。この「西向日駅」・・・小学校生だった頃は「西向町駅」だったと思いますが、小学校の同級生が、この地に引っ越したため、何度か乗り降りした駅でした。それ以来・・・来てなかったので大変懐かしいけど、当時の記憶は・・・全くありません。
【向日神社 本殿】
阪急「長岡天神駅」から一駅先の「西向日駅」に行き、そこから徒歩で約20分弱で向かうことも考えましたが、この日は、あとの予定が詰まっているので、タクシーを選択した次第です。
物集女街道沿いに石造りの大鳥居が突然現れます。何度か家出シミュレーションしてきたので、ここで車が止まる・・・と思いきや、この参道をどんどん上がって行きます。
写真は、帰りに撮ったものです。大鳥居から社殿に至る長い長い長い石畳の参道の両側には桜並木がありますが、当然今は枯れてます。満開時には桜のトンネルとなるそうですね、行って見たいです。。
車は、舞楽殿前で降ろしてくれました。この左横に向日神社の駐車場があるので、初詣に来られる参拝者の車が沢山止まっています。
車を降りてから少しだけバックして手水舎に行き、そこで手と口を決めて、いよいよ拝殿に向かいます。
舞楽殿の奥に拝殿がその奥に本殿がありますが、このとき9時15分ですが、多くの人が車や歩いて来られてて、これは本殿前の写真は無理かなぁ・・・と。多分社務所も臨時の建物でしょう、そこで朱印はいただきました。
手前が拝殿で、その前で参拝します。奥の本殿は1418年(応永2年)に建造されたもので、国の重要文化財に指定されています。
明治神宮本殿造営の際には、向日神社がモデルとされています。御祭神は、向日神(むかひのかみ)、火雷神(ほのいかずちのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神武天皇(じんむてんのう)の4柱。向日神社は延喜式神名帳に記載された式内社であり、向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)「火雷神社」(下ノ社)という別の名前で呼ばれていました。向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まり、火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山城国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まりだと伝わります。火雷神社は718年(養老2年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀しましたが、中世に至ると荒廃。1275年(建治元年)には向神社が併祭することとなり、向日神社と社名を改めて今日に至っています。
上の拝殿の写真ですが、粘りに粘って撮れた一枚です。朝早くから参拝者が途切れないほど来られてたので、諦めかけた一瞬でした。それでは境内の末社を巡ります。先ずは本殿を反時計回りで。
「春日神社」で、御祭神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)、齋主神(いわひぬしかみ)、天津兒屋根尊(あまつこやねのみこと)、姫大神(ひめのおほかみ)です。
本殿の裏側に出てきました。時間が無いので向に見えてる鳥居も気になったことは事実でがスルーしました。後で調べると、増井神社があったようです。次回“満開の桜”の時に確認したいです。
境内図によると、ここは「鶏冠木の苑(かえるてのその)」と呼ばれています。そして本殿の南側にでてくると、とある社がありました。
案内板によると「御霊社」で御祭神は、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)です。
また本殿前まで戻ってきました。よく見るとお賽銭箱には徳川の“三つ葉葵紋”がありました。本殿前では祈祷が始まってようで・・・。
その本殿の右手には参集殿(社務所)がありましたが、遠く離れて見ただけです。お正月以外は、ここが授与所なんでしょう。
再び舞楽殿まで戻って、ここから下ります。ご覧のようにここから下りの長い長い長い参道が続きます。
ここで少々・・・休憩です。「お茶所」とありましたが、早い話・・・トイレ休憩をしました。ここに向日市の観光ガイドブックが多数置いてあったので、貰って帰りました。また向日市を回ります。
トレイから参道に戻り舞楽殿を見ています。左を行けば結構広い、駐車場があって、右手に行けば参集殿(社務所)の方向となります。そして下った直ぐの左手には・・・。
こちらは「天満宮社」で、御祭神が菅原神(すがわらのかみ)、大歳神(おほとしのかみ)、屋船神(やふねかみ)です。
その奥に進んでいくと、元稲荷社がありました。このあと行く勝山稲荷社が、この前にありました。それが下の写真です。
本当は、社殿が先ですが・・・。「勝山稲荷社」御祭神が倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。このあと参道に出てきました。
参道の中頃まで来ました。行きは車で上がってきましたが、本当に長い参道です。それで途中には「紅山桜」の看板が出てました。ここは桜の名所で知られています。
帰りは、ゆっくり歩いて下りました。それでも数台、車で上がって来られます。そして9時36分に物集女街道まで戻ってきました。
物集女街道は、交通量が多いので注意しながら横断し、このあと阪急「西向日駅」に向かって歩き始めました。この「西向日駅」・・・小学校生だった頃は「西向町駅」だったと思いますが、小学校の同級生が、この地に引っ越したため、何度か乗り降りした駅でした。それ以来・・・来てなかったので大変懐かしいけど、当時の記憶は・・・全くありません。
【向日神社 本殿】