賀茂御祖神社(下鴨神社)第一摂社 河合神社へ
12月22日(金)は、久し振りに電車に乗って何カ所か回る予定で、JR嵯峨野線と地下鉄東西線、そして京阪電車を乗り継いで「出町柳駅」までやって来ました。
京阪から歩いて5分ぐらいで、「賀茂御祖神社」と書かれた大きな社標があります。下鴨神社で知られていますが、正式名称は賀茂御祖神社です。
その先が旧三井家下鴨別邸で、12月15日(金)のライトアップに行きました。通常拝観されてますが、午前9時から拝観されるので、まだ門が閉まったままです。(この時、8時15分頃でした)
旧三井家下鴨別邸を超え、そのまま北に進むと「世界文化遺産」と書かれた石標があり、その先を進むと・・・。
そのまま進むと賀茂御祖神社(下鴨神社)ですが、その先には「河合神社」の看板が出ています。その先が紅葉橋で、その下が「瀬見の小川」が流れています。
この辺りは平安時代から紅葉の名所で有名でした。その流れる川が鴨長明が詠んだ“瀬見の小川”なんです。そして、その先にある朱塗りの鳥居が河合神社東側の鳥居です。
この鳥居が、本日最初の訪問である鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこやけのかみのやしろ)、通称、河合神社です。
先ず西側の鳥居から入ったら、左側(南側)に手水舎がありました。8時18分に着いたので誰も居ないかなぁ・・・と思ったら、お一人出て来られました。
その出て来られたのが、この神門です。ここには何度か来てますが、いつも女性の参拝者が多くて、写真が撮れてなかったので寄ってみた次第です。
南向きに建っている四脚門を入ると、正面が拝殿でした。見た所・・・境内には誰も居ませんし、ひっそりとしてます。
拝殿廻りの吊灯籠が綺麗だったこと以外は特に何も無かったので本殿に進みます。
幣殿の奥に本殿が見えています。ここでお参りをさせていただきました。御祭神が、玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、初代天皇である神武天皇の母君だそうです。
創建の年代は不詳。ここの神社は、日本第一美麗神と称され、御祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、女性が美しくなりたいという美容に関しての願望や、安産・育児・縁結びなどを叶えてくれる神様として知られており、境内は圧倒的に女性の参拝者多いです。
次ぎに本殿の左側(西側)を見ると、摂社の貴布弥神社(きふねじんじゃ)と末社の任部社(とうべのやしろ)があって、玉垣の中を覗きました。(右から本殿・貴布弥神社・任部社)
御祭神は貴布弥神社が、高龗神(たかおかみのかみ)で水の神で有名です。そして任部社が、八咫烏命(やたのからすのみこと)で、サッカー好きには“ピン”と来るでしょう。
東征しようとした神武天皇を大和まで先導した八咫烏命は、賀茂建角身命が化身した姿とされています。国土を開拓された神の象徴として、日本サッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として知られています。
また、社殿の西側には「鴨長明資料館」があります。ここは有料で10時から開きますが人は常駐されてません。私は「大炊殿」「秀穂舎」との共通券があるので堂々と入りましたが・・・。
ここは後日、追記したものです。資料館の内部は狭いので、ここだけ見るには物足りでしょうけど、共通券なら行って見てもいいかなぁ・・・と。
境内の西側(向かって左側)には末社の六社があります。人々が生活する上で欠かすことの出来ない挑戦・選択・財産・食事・契約・健康を守っていただく神様が一つの社に祀られているとか。
北から諏訪社(御祭神、建御方神(たけみなかたのかみ))、衢社(みちしゃ)(御祭神、八衢毘古神(やちまたひこのかみ)・八衢比賣神(やちまたひめのかみ))、稲荷社(御祭神が、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ))、竈神(かまどのかみ)(御祭神、奥津日子神(おくつひこのかみ)・奥津比賣神(おくつひめのかみ))、印社(いんしゃ)(御祭神、霊璽(れいじ))、由木社(ゆうきしゃ)(御祭神が、少彦名神(すくなひこなのかみ))でした。
また本殿の東側(右側)には、人の顔した鏡絵馬が架かっています。
表面には自身の化粧品でメイクを施し、裏面には願い毎を書くようです。よって表面には個人名がないので安心して撮れました。
また、その向かいに小屋みたいなものがあって、駒札を読んでみとる鴨長明が住んだとされる「方丈の庵」が建てられています。内部は閉まってて窺い知ることはできません。
この河合神社と鴨長明はゆかりが深く前途したとおり「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たずねてぞすむ」と詠みました。
ここも後日、追記しました。10時50分頃では、全ての扉が開け放たれてました。そのため内部が見えますが入ることは出来ません。それにしても、この時間では境内には女性が一杯です。
鴨長明は河合神社の禰宜の家系で生まれ、年少より和歌に優れ、後鳥羽上皇に見いだされ、御和歌所の寄人(よりうど)となり、宮廷歌人として活躍しました。
12月22日(金)の訪問時は、このまま境内を出ました。ここで振り向いたら分かったことですが、見逃してしまったので12月29日(金)に再訪したのは、このためです。
「日露戦争戦勝記念」として“砲弾”が奉納されてます。末社の任部社(とうべのやしろ)の御祭神である八咫烏命(やたのからすのみこと)の神話に因んだものだと思います。
ここの四脚門を8時18分に入って、22分に出てきました。それまで境内は誰も居ませんでした。この日は9時にどうしても入りたい所があるので、少々急いで見て行くことに・・・そして、その四脚門の前には三井社(別名:三塚社)があったので寄って行きます。
御祭神が、中社が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西社が伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、東社が玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)でした。
行きは東鳥居から入ったので、西側の鳥居にも行ってみました。西側から入っても手水舎があります。東西どちらでも良いって・・・いうことでしょう。
先程の三井社は、以前特別拝観で入ったことがある、摂社の三井社とは別の社だそうです。
時計の針は、8時24分をさしてました。9時には、まだまだですので賀茂御祖神社と言うより下鴨神社の名で知られている境内を時間まで散策します。
【河合神社 本殿】
京阪から歩いて5分ぐらいで、「賀茂御祖神社」と書かれた大きな社標があります。下鴨神社で知られていますが、正式名称は賀茂御祖神社です。
その先が旧三井家下鴨別邸で、12月15日(金)のライトアップに行きました。通常拝観されてますが、午前9時から拝観されるので、まだ門が閉まったままです。(この時、8時15分頃でした)
旧三井家下鴨別邸を超え、そのまま北に進むと「世界文化遺産」と書かれた石標があり、その先を進むと・・・。
そのまま進むと賀茂御祖神社(下鴨神社)ですが、その先には「河合神社」の看板が出ています。その先が紅葉橋で、その下が「瀬見の小川」が流れています。
この辺りは平安時代から紅葉の名所で有名でした。その流れる川が鴨長明が詠んだ“瀬見の小川”なんです。そして、その先にある朱塗りの鳥居が河合神社東側の鳥居です。
この鳥居が、本日最初の訪問である鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこやけのかみのやしろ)、通称、河合神社です。
先ず西側の鳥居から入ったら、左側(南側)に手水舎がありました。8時18分に着いたので誰も居ないかなぁ・・・と思ったら、お一人出て来られました。
その出て来られたのが、この神門です。ここには何度か来てますが、いつも女性の参拝者が多くて、写真が撮れてなかったので寄ってみた次第です。
南向きに建っている四脚門を入ると、正面が拝殿でした。見た所・・・境内には誰も居ませんし、ひっそりとしてます。
拝殿廻りの吊灯籠が綺麗だったこと以外は特に何も無かったので本殿に進みます。
幣殿の奥に本殿が見えています。ここでお参りをさせていただきました。御祭神が、玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、初代天皇である神武天皇の母君だそうです。
創建の年代は不詳。ここの神社は、日本第一美麗神と称され、御祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、女性が美しくなりたいという美容に関しての願望や、安産・育児・縁結びなどを叶えてくれる神様として知られており、境内は圧倒的に女性の参拝者多いです。
次ぎに本殿の左側(西側)を見ると、摂社の貴布弥神社(きふねじんじゃ)と末社の任部社(とうべのやしろ)があって、玉垣の中を覗きました。(右から本殿・貴布弥神社・任部社)
御祭神は貴布弥神社が、高龗神(たかおかみのかみ)で水の神で有名です。そして任部社が、八咫烏命(やたのからすのみこと)で、サッカー好きには“ピン”と来るでしょう。
東征しようとした神武天皇を大和まで先導した八咫烏命は、賀茂建角身命が化身した姿とされています。国土を開拓された神の象徴として、日本サッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として知られています。
また、社殿の西側には「鴨長明資料館」があります。ここは有料で10時から開きますが人は常駐されてません。私は「大炊殿」「秀穂舎」との共通券があるので堂々と入りましたが・・・。
ここは後日、追記したものです。資料館の内部は狭いので、ここだけ見るには物足りでしょうけど、共通券なら行って見てもいいかなぁ・・・と。
境内の西側(向かって左側)には末社の六社があります。人々が生活する上で欠かすことの出来ない挑戦・選択・財産・食事・契約・健康を守っていただく神様が一つの社に祀られているとか。
北から諏訪社(御祭神、建御方神(たけみなかたのかみ))、衢社(みちしゃ)(御祭神、八衢毘古神(やちまたひこのかみ)・八衢比賣神(やちまたひめのかみ))、稲荷社(御祭神が、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ))、竈神(かまどのかみ)(御祭神、奥津日子神(おくつひこのかみ)・奥津比賣神(おくつひめのかみ))、印社(いんしゃ)(御祭神、霊璽(れいじ))、由木社(ゆうきしゃ)(御祭神が、少彦名神(すくなひこなのかみ))でした。
また本殿の東側(右側)には、人の顔した鏡絵馬が架かっています。
表面には自身の化粧品でメイクを施し、裏面には願い毎を書くようです。よって表面には個人名がないので安心して撮れました。
また、その向かいに小屋みたいなものがあって、駒札を読んでみとる鴨長明が住んだとされる「方丈の庵」が建てられています。内部は閉まってて窺い知ることはできません。
この河合神社と鴨長明はゆかりが深く前途したとおり「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たずねてぞすむ」と詠みました。
ここも後日、追記しました。10時50分頃では、全ての扉が開け放たれてました。そのため内部が見えますが入ることは出来ません。それにしても、この時間では境内には女性が一杯です。
鴨長明は河合神社の禰宜の家系で生まれ、年少より和歌に優れ、後鳥羽上皇に見いだされ、御和歌所の寄人(よりうど)となり、宮廷歌人として活躍しました。
12月22日(金)の訪問時は、このまま境内を出ました。ここで振り向いたら分かったことですが、見逃してしまったので12月29日(金)に再訪したのは、このためです。
「日露戦争戦勝記念」として“砲弾”が奉納されてます。末社の任部社(とうべのやしろ)の御祭神である八咫烏命(やたのからすのみこと)の神話に因んだものだと思います。
ここの四脚門を8時18分に入って、22分に出てきました。それまで境内は誰も居ませんでした。この日は9時にどうしても入りたい所があるので、少々急いで見て行くことに・・・そして、その四脚門の前には三井社(別名:三塚社)があったので寄って行きます。
御祭神が、中社が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西社が伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、東社が玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)でした。
行きは東鳥居から入ったので、西側の鳥居にも行ってみました。西側から入っても手水舎があります。東西どちらでも良いって・・・いうことでしょう。
先程の三井社は、以前特別拝観で入ったことがある、摂社の三井社とは別の社だそうです。
時計の針は、8時24分をさしてました。9時には、まだまだですので賀茂御祖神社と言うより下鴨神社の名で知られている境内を時間まで散策します。
【河合神社 本殿】