史跡長岡宮跡朝堂院西第四堂跡(朝堂院公園)へ

向日神社から阪急「西向日駅」に向かって歩いていると朝堂院公園にたどり着きました。ここは史跡「長岡宮跡朝堂院西第四堂跡」で、少し寄ってみた次第です。

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ここには9時42分に着きました。地図で向日神社から駅までの道程を調べていたら偶然見つけたので、興味津津寄って見たわけです。

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着いたら、「国指定 長岡京跡」の説明文を読んでました。あまり予習をしてこなかったので、読んでいたら、インフォメーションセンターから人が出て来られ・・・。

「何処から来られましたか良かったら案内しますけど」と言われました。この日は、何度か言ってますが、この日で“京都十六社朱印巡り”を回りきる予定にしていたので時間がありません。興味があったので聞きたかったんですけど、やんわり断って写真だけ撮って駅に向かいました。

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向日神社から東に進み「北大極殿公園」を今度は南に下がります。本当は先に「大極殿公園」に寄る予定も場所が分からず「朝堂院公園」の西側に着きました。

最初の写真は東側なんですけど、西側から東側に移動する途中に、寒桜でしょうけど咲いてました。建物が建っていたであろう所には盛り土がしてあって、芝生植わっています。

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お願いしたらガイドをしていただけるらしいので、今度はゆっくりお話を聞きたいと思います。都が京都に遷される少しの間、ここに都があったのは事実ですし、見ていてロマンがありますね。

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今日、訪れたのは、写真上の建物の左下の部分だと思います。

約1200年前、都が京都に遷される前、ここに都がありました。それが長岡京(784~794年)で、朝堂院は長岡宮の中心にある国家の政務・儀式を行う場所でした。朝堂院は現在の国会議事堂のような施設で、唐の長安城がモデルと言われています。朝堂院は、東西に4つずつ、計8つの建物がありました。ここは、西側の一番南の4番目の堂にあたることから、朝堂院西第四堂と言います。 ここには政務を司る役所の公卿(高級役人)が座り、政務を評議して、大極殿の天皇に対して潔斎を伺う朝政の場でした。しかし、長岡京の時代では朝堂院での政務は内裏で行われるようになり、主に朝賀の儀式や饗宴の場として使用されたようです。

長岡宮では、大極殿(天皇が政務を司どる場)や内裏(天皇の住まい)、朝堂院(国儀の場)など、国の重要な施設が置かれていたことが、発掘調査によって確認されます。また訪問したいです。そして足早に懐かしの「西向日駅」に向かいました。

【朝堂院公園】



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