数種類の朱印に驚き 妙心寺塔頭 長興院へ
妙心寺塔頭 東海庵を出て妻が車を止めている花園会館に向かって歩いていると、ある妙心寺塔頭寺院の気になる看板を目にしました。
「書置 御朱印 長興院」と書かれていて、下には朱印の見本があります。正直・・・長興院は知らなかったです。
それで気になり、妙心寺境塔頭 長興院(ちょうこういん)の前に出て、山門前で観察すると・・・。
妙心寺境内の東南にあって、次ぎに行く予定の花園会館の西隣にあたります。山門は閉まっていますが、そこに張り紙があって「朱印受付は10時~16時まで」と書いてあります。
何気なく通り過ぎる所でしたが、今日は人間ドックに行ったので朱印帳は持ってきてません。朱印があるなら寄って行こうと思いましたが、書いて貰えるのなら後日出直す必要があるので、とりあえずインターホンを押してみると・・・。
話を聞いてみると、朱印は“書き置き”しかないようです。何種類かあるようなので、「入って下さい」と言われたとおり山門横の潜り戸から中に入りました。
山門から参道があって、綺麗に整備されているとの思いました。そして書院でしょうか玄関があって、そこに「朱印受付」の文字が。
玄関を開けると、中から僧侶の方が出て来られました。そして手には多くの“朱印の見本”が。全て床に並べていただくと・・・10種類ぐらいてじょうか、そこから選びます。
一般のものが300円。見開きのものが1000円と高額のため一種類だけ選ぶと「お名前を入れます」と言って、中に入られます。「その間、本堂にはお参りできませんが、表の“願い地蔵”にお参りして下さい。」と。
2011年(平成23年)に再建された本堂が花頭窓から見えています。本堂前には綺麗な庭園も整備されてました。
ここから書院が見えているですけど、中には多くの人が談笑されています。多分・・・座禅会でもされてたようです。言われたとおり外に出てみると・・・やっぱり寒い・・・です。
玄関から山門を振り返ると、左手には綺麗な枯山水庭園が、多分整備されたのでしょう。綺麗な白砂が目立ちます。
「旧籍田」と書かれた石碑が玄関の前にありますが、そこに張り紙が・・・「願い地蔵→」と書かれています。その“お地蔵さん”は、直ぐ横にありました。
外からは真新しい本堂は、見えないですし行けないようになっています。玄関の奥には雄大な庫裏か書院が見渡せてます。
「願い地蔵と出世岩」の横に手水鉢がありましたが、今朝の冷え込みでカチンカチンに氷ってて、押してみたら結構厚い氷でしたね。寒い筈や。
横に参拝の仕方が書いてあって、先ず水盤で手を清め・・・氷ってて清められません。そしてお賽銭を入れ、心の中で願い事ほ3回称え、お水をお地蔵さんと出世岩に3回かける・・・氷を押しのけて、ようやくかけることが出来ました。
ここは戦国武将である滝川一正ゆかり寺で、あとで説明しますが津田家の菩提寺なんでね。その説明が書いてある石碑です。
朱印ができあがのが、思っていた以上に時間がかかるようで、何度か玄関から入っても出て来られず・・・それで、山門前の庭園を見ると小さなお地蔵さんを見つけました。
そうこうしてたら、後から来られた人も玄関から入って行かれ、そして出て来られます。願い地蔵の事を聞かれたんでしょう。そしてやっと出来上がり受け取り、見てみると名前と日付が入っていました。
出ていく時に山門横を見ると「津田家菩提所 長興院」と書かれています。津田家・・・戦国武将・・・私は知らないです。
開祖は1581年(天正9年)、滝川一益(たきがわかずます)が妙心寺56世九天宗瑞を開祖に請じて創建したのがはじまり。当初は暘谷(ようこく)庵と称する一庵の所在地であったといいます。そのためか1606年(慶長11年)に津田秀政(つだひでまさ)が再興したときには暘谷院と号しましたが、1635年(寛永12年)秀政没後は、その法名「暘谷院殿清岳宗規居士」に因み長興(ちょうこう)院と改めました。平安期には籍田であった現在の地には、1686年(貞享3年)に移築されました。
【妙心寺塔頭 長興院 本堂】
「書置 御朱印 長興院」と書かれていて、下には朱印の見本があります。正直・・・長興院は知らなかったです。
それで気になり、妙心寺境塔頭 長興院(ちょうこういん)の前に出て、山門前で観察すると・・・。
妙心寺境内の東南にあって、次ぎに行く予定の花園会館の西隣にあたります。山門は閉まっていますが、そこに張り紙があって「朱印受付は10時~16時まで」と書いてあります。
何気なく通り過ぎる所でしたが、今日は人間ドックに行ったので朱印帳は持ってきてません。朱印があるなら寄って行こうと思いましたが、書いて貰えるのなら後日出直す必要があるので、とりあえずインターホンを押してみると・・・。
話を聞いてみると、朱印は“書き置き”しかないようです。何種類かあるようなので、「入って下さい」と言われたとおり山門横の潜り戸から中に入りました。
山門から参道があって、綺麗に整備されているとの思いました。そして書院でしょうか玄関があって、そこに「朱印受付」の文字が。
玄関を開けると、中から僧侶の方が出て来られました。そして手には多くの“朱印の見本”が。全て床に並べていただくと・・・10種類ぐらいてじょうか、そこから選びます。
一般のものが300円。見開きのものが1000円と高額のため一種類だけ選ぶと「お名前を入れます」と言って、中に入られます。「その間、本堂にはお参りできませんが、表の“願い地蔵”にお参りして下さい。」と。
2011年(平成23年)に再建された本堂が花頭窓から見えています。本堂前には綺麗な庭園も整備されてました。
ここから書院が見えているですけど、中には多くの人が談笑されています。多分・・・座禅会でもされてたようです。言われたとおり外に出てみると・・・やっぱり寒い・・・です。
玄関から山門を振り返ると、左手には綺麗な枯山水庭園が、多分整備されたのでしょう。綺麗な白砂が目立ちます。
「旧籍田」と書かれた石碑が玄関の前にありますが、そこに張り紙が・・・「願い地蔵→」と書かれています。その“お地蔵さん”は、直ぐ横にありました。
外からは真新しい本堂は、見えないですし行けないようになっています。玄関の奥には雄大な庫裏か書院が見渡せてます。
「願い地蔵と出世岩」の横に手水鉢がありましたが、今朝の冷え込みでカチンカチンに氷ってて、押してみたら結構厚い氷でしたね。寒い筈や。
横に参拝の仕方が書いてあって、先ず水盤で手を清め・・・氷ってて清められません。そしてお賽銭を入れ、心の中で願い事ほ3回称え、お水をお地蔵さんと出世岩に3回かける・・・氷を押しのけて、ようやくかけることが出来ました。
ここは戦国武将である滝川一正ゆかり寺で、あとで説明しますが津田家の菩提寺なんでね。その説明が書いてある石碑です。
朱印ができあがのが、思っていた以上に時間がかかるようで、何度か玄関から入っても出て来られず・・・それで、山門前の庭園を見ると小さなお地蔵さんを見つけました。
そうこうしてたら、後から来られた人も玄関から入って行かれ、そして出て来られます。願い地蔵の事を聞かれたんでしょう。そしてやっと出来上がり受け取り、見てみると名前と日付が入っていました。
出ていく時に山門横を見ると「津田家菩提所 長興院」と書かれています。津田家・・・戦国武将・・・私は知らないです。
開祖は1581年(天正9年)、滝川一益(たきがわかずます)が妙心寺56世九天宗瑞を開祖に請じて創建したのがはじまり。当初は暘谷(ようこく)庵と称する一庵の所在地であったといいます。そのためか1606年(慶長11年)に津田秀政(つだひでまさ)が再興したときには暘谷院と号しましたが、1635年(寛永12年)秀政没後は、その法名「暘谷院殿清岳宗規居士」に因み長興(ちょうこう)院と改めました。平安期には籍田であった現在の地には、1686年(貞享3年)に移築されました。
【妙心寺塔頭 長興院 本堂】