「祇園祭」の先導役を務める 綾戸國中神社へ

阪急「西向日駅」から普通電車で、次の「東向日駅」で下車し、JR「向日町駅」まで約10分弱、歩いて向かいます。ゆっくり歩いて「向日町駅」に着いてみると、何だか様子が変・・・案内板を見ると、“約60分の遅れ”と出ています。駅員さんに聞くと、「まもなく60分遅れの電車が到着する予定」と言われたので、電車を待つことにしました。電車は
時刻表より約65分程度遅れてきましたが、中は空いてました。電車は次の「桂川駅」で下車します。

この新しく出来た駅に降り立つのは初めてで、そこから歩いて約7分で着いたのは綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)です。

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駅から広い車道(4車線)の歩道を歩き、新幹線の高架を超えた先に鳥居があって、右側には「綾戸國中神社」と書かれた石標が目立ちます。

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神明鳥居の南鳥居から入って、参道を進みます。ここは境内には誰も居ませんでした。鳥居から真っ直ぐではありませんが、突き当たりに本殿があるようです。

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本殿前には拝殿がありました。この本殿は南に向いていますが、後程いただいた由緒書きでは西向きだったようで・・・。

1934年(昭和9年)室戸台風によって、西向きの二社殿が倒壊したため、1936年(昭和11年)神社本来の南向きの一社殿二扉の本殿と拝所で再建、その後拝殿、神饌所が造営され神社としての形態が整いました。

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拝殿の西側には手水舎がありました。ここには10時30分頃に着きましたが、長岡天満宮や向日神社に比べて、ここは誰も来てません。

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参拝は拝所からお参りします。こで注目は、社号の扁額です。第70代・後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の宸筆(しんぴつ)と伝わります。

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本殿の左に綾戸宮が、右に國中宮が鎮座されており、御祭神は綾戸宮,に大綾津日神(おおあやつひのかみ)、大直日神()おおなおひのかみ)、神直日神(かむなおこのかみ)で、 國中宮,に素盞鳴神(すさのおのかみ)です。

第26代・継体天皇(けいたいてんのう)の時代には大堰川(桂川)七瀬(ななせ)の祓神(はらいのかみ)として大井社と称し創建され、第62代・村上天皇の時代である、955年(天暦9年)に綾戸神社に改称されました。國中神社は本来蔵王の杜に社地があり、中世には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていましたが、戦国時代に國中神社が綾戸神社の境内に遷され綾戸國中神社と称するようになりました。

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上の写真は北門を写しました。とくに必要がないので出ませんでしたが・・・。下の写真は「平成の伊勢神宮式年遷宮記念」の植樹だそうです。多分・・・1993年(平成5年)のでしょう。

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西鳥居は、出入りしてみました。新幹線の高架下に鳥居かあります。この新幹線・・・1964年(昭和39年)に新幹線が開通する時、ここは移転を余儀なくされました。ここでもう一つ重要なことがあって・・・。

京都では有名な祇園祭は八坂神社と綾戸國中神社の祭礼で、氏子から2名の稚児が選ばれます。神幸祭と還幸祭の先導を務める「久世駒形稚児」は、祇園祭ではかかせません。

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前途したとおり、1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通する時、東へ移転されました。これは全国で唯一との事で、その記念碑が境内の片隅に建っています。

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境内図を見れば、ここは神饌所でしょう。拝殿の西側にあったので・・・多分・・・間違いはないでしょうけど・・・。

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最後に、社務所に行きました。信号を渡りますし、新幹線の高架を東から西に移動します。一見したら社務所には見えません・・・。

スギウラ薬局の東側にあって、入ると内部を見たら・・・社務所と言うより薬局です。そこで御朱印をいただきました。事前に調べて、正月の間は大丈夫と確信して来て・・・間違いなかったです

ここから再び「桂川駅」に戻るつもりでしたが、前途のとおり人身事故の影響でダイヤが乱れています。それで次の目的地はタクシーで行くことにしました。ここからタクシーを拾うことは多分無理でしょう。そこでスマホからタクシーを呼んでみると、約10分弱でみつかり乗ることができました

【綾戸國中神社 本殿】



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