第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 相国寺塔頭 林光院へ
第52回 「京の冬の旅」 非公開文化財特別公開のテーマは「明治維新150年記念」と「西郷隆盛」です。 今年も数カ所廻り予定で、1月13日(土)に早速行ってきました。
この日は朝早くに下鴨神社をお参りして、数カ所回ったあと相国寺塔頭 林光院(りんこういん) に11時10分に着きましたが、まだまだ寒いです。しかし、訪問者の多さには驚きました。
「空いてたら良いのになぁ・・・」の願いも虚しく表門に向かって多くの人が歩いているし・・・拝観受付にも少し並びました。
「京の冬の旅」の看板・・・この絵が、今回のポスターに使われています。これは後で分かったことですが・・・私は、可愛い猫だなぁ・・・と思ったんですけど。
表門を入った左手に拝観受付所があって、そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せます。ここに来るまで忘れてましたが、ここから“スタンプラリー”も開始するため用紙をいただき“拝観の手引き”も購入して、いよいよ中に入ります。
この建物は、江戸時代後期に滋賀県蒲生郡日野町の仁正寺藩(にしょうじはん)邸を移築したものだそうです。ここから靴を脱いで上がりますが、ここから先は撮影禁止でした・・・残念
。
入ると本堂前で案内が始まってたので、先ずは書院に入りました。そこで住職さんでしょうか、御朱印ノ受付をされてて、全部で4種類・・・書き置きしかありませんが、滅多に公開されない寺院ですので、全ていただきました。
その書院からは南庭が見られます。今は咲いてませんが、3月の中頃になると見事な梅が咲くそうです。この“冬の旅”の期間中に見事な梅が見られるかも知れませんが・・・但し・・・撮影禁止です。
書院南庭の鶯宿梅(おうしゅくばい)は、第62代・村上天皇の命で、紀貫之の娘のに移植されました。しかし「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はととはば いかがこたえん」と、別れを惜しむ娘の歌を詠んだ村上天皇が、この梅を返したという逸話があります。
あまりに案内の人が見せてくれた梅の写真が綺麗だったので、朱印と合わせて、ポストカードも買ってしまいました
。
次ぎに書院からガイドさんの話を聞きました。書院の襖絵は、2017年(平成29年)に完成した藤井湧泉(ふじいゆうせん)によって描かれたものです。
「龍虎」「蓮」「松」「牡丹」「梅」の水墨画が見事でした。看板の写真ですが、私は“猫”だと思ってたら案内によると“虎”でした。龍と虎が対面で描かれてました。
次ぎに本堂前にて、ガイドさんの話を聞きました。特筆すべきは、臨済宗の寺でご本尊が、釈迦如来ではなく、地蔵菩薩だったことでしょうか。
室町時代創建の相国寺の塔頭寺院で、本尊は地蔵菩薩。室町時代第4代・足利義持の弟である義嗣の菩提を弔うために夢想国師を開山に創建されました。その後、移転を繰り返し、安土桃山時代に豊臣秀吉の命により相国寺山内に移りましたが、1874年(明治7年)には荒廃により廃寺となり、1919年(大正8年)に相国寺管長により再興されました。
ここには約20分ぐらいでしょうか、居ましたが・・・写真が撮れないので、殆どがガイドさんの話と、朱印の待ち時間でしょう。内部は、大変混雑してました。
相国寺山内では、三箇所の寺院が公開されてます。ただ“法堂・方丈”は何度か行っているので、この日は行きません。
そして、日を改めて今回、見損ねた境外墓地に寄りました。場所は林光院から東へ、徒歩2分ぐらいしょう。
林光院は、薩摩・島津家とのゆかりが深く、境外墓地には、幕末の「蛤御門の変」「鳥羽・伏見の戦い」で活躍した薩摩藩士が合葬されています。
今回、“冬の旅”の表紙を飾った林光院は、やっぱり人気が高かったですね、拝観者が多かったです。次回は、同じ相国寺山内にある寺院です。
【相国寺塔頭 林光院】

この日は朝早くに下鴨神社をお参りして、数カ所回ったあと相国寺塔頭 林光院(りんこういん) に11時10分に着きましたが、まだまだ寒いです。しかし、訪問者の多さには驚きました。
「空いてたら良いのになぁ・・・」の願いも虚しく表門に向かって多くの人が歩いているし・・・拝観受付にも少し並びました。
「京の冬の旅」の看板・・・この絵が、今回のポスターに使われています。これは後で分かったことですが・・・私は、可愛い猫だなぁ・・・と思ったんですけど。
表門を入った左手に拝観受付所があって、そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せます。ここに来るまで忘れてましたが、ここから“スタンプラリー”も開始するため用紙をいただき“拝観の手引き”も購入して、いよいよ中に入ります。
この建物は、江戸時代後期に滋賀県蒲生郡日野町の仁正寺藩(にしょうじはん)邸を移築したものだそうです。ここから靴を脱いで上がりますが、ここから先は撮影禁止でした・・・残念

入ると本堂前で案内が始まってたので、先ずは書院に入りました。そこで住職さんでしょうか、御朱印ノ受付をされてて、全部で4種類・・・書き置きしかありませんが、滅多に公開されない寺院ですので、全ていただきました。
その書院からは南庭が見られます。今は咲いてませんが、3月の中頃になると見事な梅が咲くそうです。この“冬の旅”の期間中に見事な梅が見られるかも知れませんが・・・但し・・・撮影禁止です。
書院南庭の鶯宿梅(おうしゅくばい)は、第62代・村上天皇の命で、紀貫之の娘のに移植されました。しかし「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はととはば いかがこたえん」と、別れを惜しむ娘の歌を詠んだ村上天皇が、この梅を返したという逸話があります。
あまりに案内の人が見せてくれた梅の写真が綺麗だったので、朱印と合わせて、ポストカードも買ってしまいました

次ぎに書院からガイドさんの話を聞きました。書院の襖絵は、2017年(平成29年)に完成した藤井湧泉(ふじいゆうせん)によって描かれたものです。
「龍虎」「蓮」「松」「牡丹」「梅」の水墨画が見事でした。看板の写真ですが、私は“猫”だと思ってたら案内によると“虎”でした。龍と虎が対面で描かれてました。
次ぎに本堂前にて、ガイドさんの話を聞きました。特筆すべきは、臨済宗の寺でご本尊が、釈迦如来ではなく、地蔵菩薩だったことでしょうか。
室町時代創建の相国寺の塔頭寺院で、本尊は地蔵菩薩。室町時代第4代・足利義持の弟である義嗣の菩提を弔うために夢想国師を開山に創建されました。その後、移転を繰り返し、安土桃山時代に豊臣秀吉の命により相国寺山内に移りましたが、1874年(明治7年)には荒廃により廃寺となり、1919年(大正8年)に相国寺管長により再興されました。
ここには約20分ぐらいでしょうか、居ましたが・・・写真が撮れないので、殆どがガイドさんの話と、朱印の待ち時間でしょう。内部は、大変混雑してました。
相国寺山内では、三箇所の寺院が公開されてます。ただ“法堂・方丈”は何度か行っているので、この日は行きません。
そして、日を改めて今回、見損ねた境外墓地に寄りました。場所は林光院から東へ、徒歩2分ぐらいしょう。
林光院は、薩摩・島津家とのゆかりが深く、境外墓地には、幕末の「蛤御門の変」「鳥羽・伏見の戦い」で活躍した薩摩藩士が合葬されています。
今回、“冬の旅”の表紙を飾った林光院は、やっぱり人気が高かったですね、拝観者が多かったです。次回は、同じ相国寺山内にある寺院です。
【相国寺塔頭 林光院】