第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 相国寺塔頭 豊光寺
林光院の次は、相国寺境内の西側にある第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 相国寺塔頭 豊光寺(しょうこくじ ほうこうじ)です。
先程の林光院と同じく、初めて公開された寺院で、今回の“冬の旅”で楽しみの一つでした。山門を入った右手に臨時の拝観受付所がありますが、ここは行列無し・・・です。
ここで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せます。招待券は2枚いただいて、林光院と豊光寺で使いました
。
山門から真っ直ぐ進むと突き当たりに手水鉢があって、水盤の中の水は・・・氷ってます。触ってみると、驚くことに氷の厚いこと・・・今朝の冷え込みがどんなに寒かったか分かって貰えるでしょう。
山門から玄関までは、苔の綺麗な前庭が広がっています。先程の林光院は大変混雑してましたが、ここはそうでもないよです。
方丈の玄関で靴を脱いで上がります。ここは嬉しいことに撮影はOKでした。ただ10名ぐらいの方がガイドさんの話を聞いてて、それが終わるのを待ちました。
待ってる間に庭の写真は押さえました
。それで前の組の案内が終わったら本堂の前にスタンバスしてると、5名程度集まったので、直ぐに次の案内が始まりこの寺の由緒から聞くことに・・・。
堂内は撮影禁止のため、看板の写真です
。本堂内陣の中央に本尊の釈迦如来坐像。右には豊光寺開祖の西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚像が、左には合併された慧林院 冷香軒開祖の太嶽周崇(たいがくしゅうすう)和尚像が祀られていますが、近年修復されました。(鎌倉時代の作だそうです)
1598年(慶長3年)、相国寺第92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚が、豊臣秀吉の追善のために創建した相国寺の塔頭寺院。1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したため衰退し廃寺の危機となりましたが、1882年(明治15年)に相国寺派初代管長の荻野獨園(おぎのどくおん)和尚が再興しました。
書院には、寺宝が展示されているので移動してゆっくり観賞します。私が興味を引いたのが室町幕府第10代将軍・足利義稙(よしたね)の肖像画ですね。
Wikipediaで見つけた画像ですが寺宝はもちろん撮影禁止です。数え切れないほど訪れている等持院で、木像を見てたからです
。
他には、西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚、荻野獨園(おぎのどくおん)和尚の肖像画や書、他に幕末の剣や書の達人として知られ、獨園和尚に参禅した、山岡鉄舟の書なども公開されてました。次ぎに方丈南に広がる庭園です。
苔の綺麗な庭ですが、特に名前は無いようです。ガイドさんに聞いて驚いたんですけど、ここから相国寺の方丈屋根が見えています。北庭から豊光寺が見えていたとは・・・。
方丈の廻りも苔の綺麗な庭園があって、東には「退耕塔」があって、碑文は“富岡鉄斎”によるものです。これは豊光寺を合併した荻野獨園(おぎのどくおん)和尚が亡くなれたあと有志によって建てられました。
玄関の横には、小さなながらも白砂の綺麗な庭園・・・知らずに行き過ぎる所・・・でしたね。
林光院と対照的に少ない拝観者でした。ただ見頃は林光院の多いのは間違いないと思いながら山門を出ました。
ここには11持40分に、この山門から入って、12持05分に出てきました。堂内は狭いので、殆どが案内を聞いてる時間です。
“冬の旅”恒例のスタンプラリーは2個です。この日は、これで帰ったので、次回には"ちょっと一服"に行きたいと思いながら帰りました。
【相国寺塔頭 豊光寺】

先程の林光院と同じく、初めて公開された寺院で、今回の“冬の旅”で楽しみの一つでした。山門を入った右手に臨時の拝観受付所がありますが、ここは行列無し・・・です。
ここで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せます。招待券は2枚いただいて、林光院と豊光寺で使いました

山門から真っ直ぐ進むと突き当たりに手水鉢があって、水盤の中の水は・・・氷ってます。触ってみると、驚くことに氷の厚いこと・・・今朝の冷え込みがどんなに寒かったか分かって貰えるでしょう。
山門から玄関までは、苔の綺麗な前庭が広がっています。先程の林光院は大変混雑してましたが、ここはそうでもないよです。
方丈の玄関で靴を脱いで上がります。ここは嬉しいことに撮影はOKでした。ただ10名ぐらいの方がガイドさんの話を聞いてて、それが終わるのを待ちました。
待ってる間に庭の写真は押さえました

堂内は撮影禁止のため、看板の写真です

1598年(慶長3年)、相国寺第92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚が、豊臣秀吉の追善のために創建した相国寺の塔頭寺院。1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したため衰退し廃寺の危機となりましたが、1882年(明治15年)に相国寺派初代管長の荻野獨園(おぎのどくおん)和尚が再興しました。
書院には、寺宝が展示されているので移動してゆっくり観賞します。私が興味を引いたのが室町幕府第10代将軍・足利義稙(よしたね)の肖像画ですね。
Wikipediaで見つけた画像ですが寺宝はもちろん撮影禁止です。数え切れないほど訪れている等持院で、木像を見てたからです

他には、西笑承兌(せいしょうじょうたい)和尚、荻野獨園(おぎのどくおん)和尚の肖像画や書、他に幕末の剣や書の達人として知られ、獨園和尚に参禅した、山岡鉄舟の書なども公開されてました。次ぎに方丈南に広がる庭園です。
苔の綺麗な庭ですが、特に名前は無いようです。ガイドさんに聞いて驚いたんですけど、ここから相国寺の方丈屋根が見えています。北庭から豊光寺が見えていたとは・・・。
方丈の廻りも苔の綺麗な庭園があって、東には「退耕塔」があって、碑文は“富岡鉄斎”によるものです。これは豊光寺を合併した荻野獨園(おぎのどくおん)和尚が亡くなれたあと有志によって建てられました。
玄関の横には、小さなながらも白砂の綺麗な庭園・・・知らずに行き過ぎる所・・・でしたね。
林光院と対照的に少ない拝観者でした。ただ見頃は林光院の多いのは間違いないと思いながら山門を出ました。
ここには11持40分に、この山門から入って、12持05分に出てきました。堂内は狭いので、殆どが案内を聞いてる時間です。
“冬の旅”恒例のスタンプラリーは2個です。この日は、これで帰ったので、次回には"ちょっと一服"に行きたいと思いながら帰りました。
【相国寺塔頭 豊光寺】