“もみじの名所”永観堂禅林寺【後編】へ
前編の続き、拝観コースに従って次に御影堂に向かいます。永観堂ではもっとも大きなお堂です。
この写真は、あとで撮ったもので、堂内には入ってからは外には出られません。1912年(明治45年)に竣工した総欅造りの建物です。
堂内には法然上人像の他、西山(せいざん)上人(証空・しょうくう)像、そして善導大師(ぜんとう゛たいし)像が祀られています。
ここから手水舎も見えています。前途したとおり下から見れば横に石碑があるんですが・・・。ここに来て、とても30分では回りきれないことを実感した次第です。
さっさとお参りを済ませて、直ぐに回廊に戻ります。右に行けば阿弥陀堂に、左に行けば開山堂に行けますが、もちろん両方行きます。
その上がる手前の右手に小さな案内が出ていて「三鈷の松(さんこのまつ)」と呼ばれるもので、よく見ないと行き過ぎる所でした。
珍しく菜が長くて3本だそうです。これを持つと三つの福が自然と備わると言われてますが、下に降りて取ってはダメです。
ここから、この永観堂でもっとも重要な建物である阿弥陀堂に行くため右の階段を登ります。なお、ここにはエレベーターもあるので足に自信が無い方でもお参りはできます。
急いで階段を上がりきる阿弥陀堂に向かいますが、その手前に「位牌堂」があって、開山上人や歴代上人の位牌が安置れてました。
上から見た、エレベーターです。私の前に一組のお年寄りが、このエレベーターを使われてました。手前の建物が位牌堂です。
阿弥陀堂から見た御影堂の屋根です。上から見ても雄大な建物だと分かります。あの建物から登って来たわけです。
永観堂の本堂にあたる阿弥陀堂は、1607年(慶長12年)に大坂四天王寺から移築されたと伝わるものです。時間がありませんが、ここの本尊をお参りに来ました。
過去、何度か見ている阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)ですが、堂内に入って探しましたが分からなかったです。残念・・・時間が無くて・・・。
急いで登廊を下って、分岐点まで戻ります。行きはスルーした水琴窟・・・音色・・・気になりますね。
いつも水琴窟の音色は確認するんですけど、この日はね・・・それより阿弥陀堂に参拝いる前に、この音色を聞いて、心落ち着かさせてお参りするようにと書かれてました。
ここから高台寺で有名な「臥龍廊」を登ります。山の斜面利用して造られた登廊で、屋根が付いている姿が龍に似ていることから、こう呼ばれます。
上まで来るて最初に見るのは御影堂の屋根です。次に京都市街地を見渡せますが、もう少し先に綺麗に見える所であるので・・・この開山堂で諸堂巡りは終わりです。
開山堂には永観堂を創建した真紹僧都(しんじょうそうず)像が安置されています。ここにはエレベーターが無いので、ここまで来る人は少ないです・・・と言うより私が居た時間では皆無でした。
ここから多宝塔まで歩いて行ける参道が下に見えています。先の御影堂の横から歩いて、5分ぐらいで多宝塔まで登って来られます。
この時、11時8分・・・ここから急いで下ります。本当は多宝塔まで登りたい所・・・この日は無理ですね、永観堂に来て、初めて断念・・・無念です。
拝観コースの逆を通って、大玄関から外に出ました。11時10分頃でしょうか、拝観者もボチボト増えて来たように思います。
外に出たら放生池を目指します。途中、多宝塔への案内が出てましたが、前途したとおり断念します。
御影堂まで歩いて来ました。阿弥陀堂の前まで歩いて行けるかと思いますが、この日行けません。ここから折り返して放生池廻りを散策することにしまた。
放生池の中央には辨財天が祀られています。この放生池廻りの紅葉は見事なんです。さすが“紅葉の永観堂”と言われる由縁です。
ここから画仙堂が見えてました。内部は公開されてないように記憶してたのでスルーしたんですが・・・。
1900年(明治33年)に永観堂を訪れた、与謝野晶子の詠んだ歌碑が「秋を三人椎の実なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき」と建っています。
帰りに「夢庵」と呼ばれる休憩所で放生池を撮りました。紅葉の時、ここから真っ赤に染まる放生池は圧巻でしたが、それより人の多さにも驚くことでしょう。
ここを11時20分に総門から出て行きました。ここはやっぱり最低1時間は見ておいた方が良いかと思います。紅葉の時は、人が多すぎるので、その倍は必要かも。
今回は非公開だった(多分です、案内が出て無かったから。)浴室ですが、以前来た時、内部を見られました。
2010年(平成22年)5月の時です。案内が出ていて、見ていました。この日来た時は覚えてませんでしたが、以前の写真で分かった次第です。
予定どおり、ここから10分以来の予約しているレストランに向かいました。今度はゆっくり散策します。大混雑の紅葉の時期の再訪は無いですね。
【永観堂 阿弥陀堂】
この写真は、あとで撮ったもので、堂内には入ってからは外には出られません。1912年(明治45年)に竣工した総欅造りの建物です。
堂内には法然上人像の他、西山(せいざん)上人(証空・しょうくう)像、そして善導大師(ぜんとう゛たいし)像が祀られています。
ここから手水舎も見えています。前途したとおり下から見れば横に石碑があるんですが・・・。ここに来て、とても30分では回りきれないことを実感した次第です。
さっさとお参りを済ませて、直ぐに回廊に戻ります。右に行けば阿弥陀堂に、左に行けば開山堂に行けますが、もちろん両方行きます。
その上がる手前の右手に小さな案内が出ていて「三鈷の松(さんこのまつ)」と呼ばれるもので、よく見ないと行き過ぎる所でした。
珍しく菜が長くて3本だそうです。これを持つと三つの福が自然と備わると言われてますが、下に降りて取ってはダメです。
ここから、この永観堂でもっとも重要な建物である阿弥陀堂に行くため右の階段を登ります。なお、ここにはエレベーターもあるので足に自信が無い方でもお参りはできます。
急いで階段を上がりきる阿弥陀堂に向かいますが、その手前に「位牌堂」があって、開山上人や歴代上人の位牌が安置れてました。
上から見た、エレベーターです。私の前に一組のお年寄りが、このエレベーターを使われてました。手前の建物が位牌堂です。
阿弥陀堂から見た御影堂の屋根です。上から見ても雄大な建物だと分かります。あの建物から登って来たわけです。
永観堂の本堂にあたる阿弥陀堂は、1607年(慶長12年)に大坂四天王寺から移築されたと伝わるものです。時間がありませんが、ここの本尊をお参りに来ました。
過去、何度か見ている阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)ですが、堂内に入って探しましたが分からなかったです。残念・・・時間が無くて・・・。
急いで登廊を下って、分岐点まで戻ります。行きはスルーした水琴窟・・・音色・・・気になりますね。
いつも水琴窟の音色は確認するんですけど、この日はね・・・それより阿弥陀堂に参拝いる前に、この音色を聞いて、心落ち着かさせてお参りするようにと書かれてました。
ここから高台寺で有名な「臥龍廊」を登ります。山の斜面利用して造られた登廊で、屋根が付いている姿が龍に似ていることから、こう呼ばれます。
上まで来るて最初に見るのは御影堂の屋根です。次に京都市街地を見渡せますが、もう少し先に綺麗に見える所であるので・・・この開山堂で諸堂巡りは終わりです。
開山堂には永観堂を創建した真紹僧都(しんじょうそうず)像が安置されています。ここにはエレベーターが無いので、ここまで来る人は少ないです・・・と言うより私が居た時間では皆無でした。
ここから多宝塔まで歩いて行ける参道が下に見えています。先の御影堂の横から歩いて、5分ぐらいで多宝塔まで登って来られます。
この時、11時8分・・・ここから急いで下ります。本当は多宝塔まで登りたい所・・・この日は無理ですね、永観堂に来て、初めて断念・・・無念です。
拝観コースの逆を通って、大玄関から外に出ました。11時10分頃でしょうか、拝観者もボチボト増えて来たように思います。
外に出たら放生池を目指します。途中、多宝塔への案内が出てましたが、前途したとおり断念します。
御影堂まで歩いて来ました。阿弥陀堂の前まで歩いて行けるかと思いますが、この日行けません。ここから折り返して放生池廻りを散策することにしまた。
放生池の中央には辨財天が祀られています。この放生池廻りの紅葉は見事なんです。さすが“紅葉の永観堂”と言われる由縁です。
ここから画仙堂が見えてました。内部は公開されてないように記憶してたのでスルーしたんですが・・・。
1900年(明治33年)に永観堂を訪れた、与謝野晶子の詠んだ歌碑が「秋を三人椎の実なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき」と建っています。
帰りに「夢庵」と呼ばれる休憩所で放生池を撮りました。紅葉の時、ここから真っ赤に染まる放生池は圧巻でしたが、それより人の多さにも驚くことでしょう。
ここを11時20分に総門から出て行きました。ここはやっぱり最低1時間は見ておいた方が良いかと思います。紅葉の時は、人が多すぎるので、その倍は必要かも。
今回は非公開だった(多分です、案内が出て無かったから。)浴室ですが、以前来た時、内部を見られました。
2010年(平成22年)5月の時です。案内が出ていて、見ていました。この日来た時は覚えてませんでしたが、以前の写真で分かった次第です。
予定どおり、ここから10分以来の予約しているレストランに向かいました。今度はゆっくり散策します。大混雑の紅葉の時期の再訪は無いですね。
【永観堂 阿弥陀堂】