京都御所 初めての通年参観【前編】へ
3月3日(土)は、“京の冬の旅”スタンプラリーで、スタンプを3個貯めたので、その特典である“ちょっと一服務”を受けに、いつもの店に行くため、車を京都御苑内「清和院東駐車場」に止め御苑内を横切っていると・・・。
2016年(平成28年)7月26日(火)から申し込み不要の通年公開が始まった京都御所の前を通りました。見た所空いていそうな感じがしたので清所門(せいしょもん)から入りました。
ここから入って、以前のように身分を証明するものは要りません。ただ手荷物検査はしっかりされます。ここには9時30分頃に入りました。
入ると直ぐに休憩所がありますが入れません。そこで「9時30分からガイドツアーが始まります」と案内されましたが、団体行動では時間の制約があるので、先を急ぐ事に。
春と秋の一般公開では「宜秋門(ぎしゅうもん)」から入りますが、今は閉まっています。最近では2016年(平成28年)前編と後編で行きました。
「御車寄」から「諸大夫の間」そして「新御車寄」まで、ざっと見学です。春秋の一般公開に比べて、格段に人が少ないことが魅力です。
新新御車寄から「月華門」が見えています。この奥に紫宸殿がありますが、ここからは入れません。紫宸殿のある南庭には一般公開でないと入れないものと思ってましたが・・・。
このまま南に進むと建礼門があります。ここが開いているのは見た事がありません。
その建礼門の前が承明門(しょうめいもん)で、奥に紫宸殿が見えています。春と秋の一般公開では紫宸殿の前まで行けるんですけど・・・。
ここで思いも寄らなかったことで、承明門の東側の門から南庭に入れるとは・・・今まで予約参観では、こんなルートでは無かったように記憶してます。
春と秋の一般公開のように目の前には行けませんが、こうして紫宸殿を綺麗に見渡せます。それに人の写り込みの心配も要らないしね。
“左近の桜”の開花には全然まだ早いです。“右近の橘”は寒さに弱いのでしょうか囲いに包まれてます。何度も言いますが“通年参観”は自由に見て回れるのが良いですね。
南庭内から承明門を見ています。その向かって左側の門から入ってきました。ここではスタッフの方が1名立っていましたが、特に案内はありませんでした。
下の写真の門から出てきます。南庭には・・・ほんのちょっとだけ・・・入った程度ですが、私には紫宸殿が見えただけでも、この日来た値打ちがありました。
そこから建春門が見えていますが、以前の予約参観では列を乱すことは出来ないので絶対に行けません。この日は、行けることは行けたかとかと思いますが、そこまでは・・・です。
西側の門は“月華門”で、東の門が“日華門”と言いますが開いています。しかし入れないので覗いてみると紫宸殿が見えています。
その回廊には「檜皮葺屋根実験模型」が置いてあります。テレビ映像では見た事がありますが、“宮大工”さんが竹釘で檜皮を固定する・・・日本古来の手法ですよね。
日華門から北に向かって案内の通り歩いていると大臣宿所(だいじんしゆくしよ)があって、紫宸殿に通じているのでしょうか開いていました。柵があって、その先は進めませんが・・・。
この先には“清涼殿”があって、この小さな門をくぐります。先客はざっと数えて4名~5名ぐいでしょう。
その前に、先程見た紫宸殿の裏側・・・北側を見ることができます。明治・大正・昭和・・・三代の天皇は、ここで“即位礼”をされたそうです。
遠目から見た清涼殿です。平安時代中期(10世紀頃)から天皇の日常の住まいとして定着した御殿で、春と秋の一般公開では人形で再現されてますが・・・。
人が多くて混雑はしてますが、やっばり春の一般公開は分かりやすいです。見ての通り、内部は見えますが何もありません。
その清涼殿の片隅に、「滝口(たきぐち)」と書かれた案内板を見つけました。調べると 御溝水(みかわみず)の落ち口を滝口(たきぐち)と言ったそうです。
清涼殿の前には「呉竹(くれたけ)」と書かれた、これも“案内板”が出ています。その奥が「漢竹(かわたけ)」です。何故、清涼殿の前に・・・ 紫宸殿の“左近の桜”“右近の橘”のようで・・・。
次に、小さな門を入ると小御所(こごしょ)と御学問所(おがくもんじょ)が西側に、東には御池庭(おいけにわ)が広がっています。
小御所では1867年(慶応3年)12月9日の王政復古の大号令が発せられた日の夜,「小御所会議」がここで行われました。ただ火災によって焼失したため、1958年(昭和33年)の復元されました。
池を中心とした回遊式庭園で散策できません。この日は天気が良すぎましたね、庭園は東側にあるので、強烈な逆光で綺麗に撮れないです。回遊式庭園の中心には“欅橋”が架かっています。
小御所と御学問所の間には“蹴鞠の庭”があります。鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が足で蹴って下に落とさないようにする遊びですが、一度実演を見たいものです。
こちらが御学問所(おがくもんじょ)で、この場所で明治天皇が1867年(慶応3年)に「王政復古の大号令」を発せられました。
ここから御内庭に入って行きますが、後編に続きます。
【京都御所 清涼殿】
2016年(平成28年)7月26日(火)から申し込み不要の通年公開が始まった京都御所の前を通りました。見た所空いていそうな感じがしたので清所門(せいしょもん)から入りました。
ここから入って、以前のように身分を証明するものは要りません。ただ手荷物検査はしっかりされます。ここには9時30分頃に入りました。
入ると直ぐに休憩所がありますが入れません。そこで「9時30分からガイドツアーが始まります」と案内されましたが、団体行動では時間の制約があるので、先を急ぐ事に。
春と秋の一般公開では「宜秋門(ぎしゅうもん)」から入りますが、今は閉まっています。最近では2016年(平成28年)前編と後編で行きました。
「御車寄」から「諸大夫の間」そして「新御車寄」まで、ざっと見学です。春秋の一般公開に比べて、格段に人が少ないことが魅力です。
新新御車寄から「月華門」が見えています。この奥に紫宸殿がありますが、ここからは入れません。紫宸殿のある南庭には一般公開でないと入れないものと思ってましたが・・・。
このまま南に進むと建礼門があります。ここが開いているのは見た事がありません。
その建礼門の前が承明門(しょうめいもん)で、奥に紫宸殿が見えています。春と秋の一般公開では紫宸殿の前まで行けるんですけど・・・。
ここで思いも寄らなかったことで、承明門の東側の門から南庭に入れるとは・・・今まで予約参観では、こんなルートでは無かったように記憶してます。
春と秋の一般公開のように目の前には行けませんが、こうして紫宸殿を綺麗に見渡せます。それに人の写り込みの心配も要らないしね。
“左近の桜”の開花には全然まだ早いです。“右近の橘”は寒さに弱いのでしょうか囲いに包まれてます。何度も言いますが“通年参観”は自由に見て回れるのが良いですね。
南庭内から承明門を見ています。その向かって左側の門から入ってきました。ここではスタッフの方が1名立っていましたが、特に案内はありませんでした。
下の写真の門から出てきます。南庭には・・・ほんのちょっとだけ・・・入った程度ですが、私には紫宸殿が見えただけでも、この日来た値打ちがありました。
そこから建春門が見えていますが、以前の予約参観では列を乱すことは出来ないので絶対に行けません。この日は、行けることは行けたかとかと思いますが、そこまでは・・・です。
西側の門は“月華門”で、東の門が“日華門”と言いますが開いています。しかし入れないので覗いてみると紫宸殿が見えています。
その回廊には「檜皮葺屋根実験模型」が置いてあります。テレビ映像では見た事がありますが、“宮大工”さんが竹釘で檜皮を固定する・・・日本古来の手法ですよね。
日華門から北に向かって案内の通り歩いていると大臣宿所(だいじんしゆくしよ)があって、紫宸殿に通じているのでしょうか開いていました。柵があって、その先は進めませんが・・・。
この先には“清涼殿”があって、この小さな門をくぐります。先客はざっと数えて4名~5名ぐいでしょう。
その前に、先程見た紫宸殿の裏側・・・北側を見ることができます。明治・大正・昭和・・・三代の天皇は、ここで“即位礼”をされたそうです。
遠目から見た清涼殿です。平安時代中期(10世紀頃)から天皇の日常の住まいとして定着した御殿で、春と秋の一般公開では人形で再現されてますが・・・。
人が多くて混雑はしてますが、やっばり春の一般公開は分かりやすいです。見ての通り、内部は見えますが何もありません。
その清涼殿の片隅に、「滝口(たきぐち)」と書かれた案内板を見つけました。調べると 御溝水(みかわみず)の落ち口を滝口(たきぐち)と言ったそうです。
清涼殿の前には「呉竹(くれたけ)」と書かれた、これも“案内板”が出ています。その奥が「漢竹(かわたけ)」です。何故、清涼殿の前に・・・ 紫宸殿の“左近の桜”“右近の橘”のようで・・・。
次に、小さな門を入ると小御所(こごしょ)と御学問所(おがくもんじょ)が西側に、東には御池庭(おいけにわ)が広がっています。
小御所では1867年(慶応3年)12月9日の王政復古の大号令が発せられた日の夜,「小御所会議」がここで行われました。ただ火災によって焼失したため、1958年(昭和33年)の復元されました。
池を中心とした回遊式庭園で散策できません。この日は天気が良すぎましたね、庭園は東側にあるので、強烈な逆光で綺麗に撮れないです。回遊式庭園の中心には“欅橋”が架かっています。
小御所と御学問所の間には“蹴鞠の庭”があります。鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が足で蹴って下に落とさないようにする遊びですが、一度実演を見たいものです。
こちらが御学問所(おがくもんじょ)で、この場所で明治天皇が1867年(慶応3年)に「王政復古の大号令」を発せられました。
ここから御内庭に入って行きますが、後編に続きます。
【京都御所 清涼殿】