室町幕府の跡地に建つ大聖寺門跡へ

京都御所を出て、今が見頃の梅を愛でながら京都御苑を乾御門から烏丸通りに出ました。その烏丸通りを北上し、今出川通りを渡り暫く歩いて行くと、大聖寺門跡の前を通りました。

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10時1分に表門に着きましたが、この“表門”は、重要文化財に指定されています。他に本堂や玄関、宮御殿なども重文なんですね。

普段非公開ですが、2013年(平成25年)の「京の冬の旅」で初めて公開されました。期間は3月1日(金)~3月18日(金)までと期間が短かったため、私は行けずじまいで、ずっと悔やんでた訳です。

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表門を入ると正面に、レトロなレンガ造りの建物が見えます。「同志社大学寒梅館」ですが、竣工が2004年(平成16年)・・・まだ新しい

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通常非公開のため、今日も開いてる筈はありませんが、とりあえず奥に進むと、左手に27世・花山院慈薫尼の歌碑がありました。「九品仏 慈悲の眼の変らねば いづれの御手に 吾はすがらむ」。
                  
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その向かいにあるのが「花の御所」と書かれた石碑です。ここに京都御所を凌ぐ室町幕府の建物が・・・建っていた・・・らしいです

室町幕府3代将軍・足利義満が、現在の今出川通と室町通が交わる付近に造営した「花の御所(室町殿)」に由来し足利幕府とも呼ばれています。

ここから西に行けば室町通りがあって、その北東角に小さな石碑が建っています。当時の面影は皆無ですが、歴史上知られている“室町幕府”は、確かにここにあったのは事実なんですね。

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“花の御所”を確認するために入ってみましたが、奥にある玄関まで来て見ました。非公開のため開いてませんが、その奥の小さな案内に注目です。

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“御朱印はこちらへ”と書いてあります。“ベルを押して下さい”と。この日は朱印帳は持って来てなかったので・・・次に“朱印”で再訪したいと思います。

今日は、ここに来る予定では無かったので仕方ないけど、少々残念に思いながら表に出ると“看板”があって、「大聖寺庭園」とあります。

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前回の公開に行かなかった・・・行けなかったことは非常に残念です。3月は仕事が忙しいのと、3月は天敵の花粉が最盛期、それに土日に予定があったので行けなかったのです

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江戸時代中期に造られた庭園は、京都指定名勝です。小石を敷き詰めた枯流れを中心にした御所風の枯山水庭園です。

大聖寺は臨済宗の尼門跡寺院。北朝初代・光厳天皇の妃・無相定円禅尼(むそうじょうえんぜんに)が亡くなった後、その住まいであった花の御所内「岡松殿」を寺に改めたことが始まりです。室町時代から江戸時代末期の第119代・光格天皇の皇女まで、歴代24代の内親王が住持を務めた。第106代・正親町天皇の皇女が入寺した際に“尼門跡第一”の綸旨を受け「御寺御所(おてらのごしょ)」と呼ばれた由緒ある寺院です。

次回の公開があるのか無いのか分かりませんが、もしあれば花粉に負けずに行きたいと思いつつ、この日のお目当ての所に行きました。

【大聖寺門跡】



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