足腰を守護する社 護王神社にお礼参りへ
御所西 京都平安ホテルを出て、烏丸通りを南下します。するとKBS京都の前に出ました。地元京都のローカル局で、私も毎日通勤時にラジオ聞いてます。
毎朝6時30分から始まる「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」で、10時ままで放送されてますが、私は7時過ぎまで・・・毎日、楽しんで聞いてます。
笑福亭晃瓶さんと中村薫さん。二人のパーソナリティーの、絶妙の掛け合いが面白いです。そうこう思いながら下長者町通りの角に10時44分着きました。
ここから下長者町通りを西に入り喜多門(北門)から境内に入りました。2015年(平成27年)9月12日(土)には足腰の“御守り”をいただきに来て以来です。
喜多門(北門)を入って右手には護王会館があって、その前に“日本一のさざれ石”があります。最近は、どの神社でも見かけるようになった、国歌「君が代」に詠まれる「さざれ石」のことです。
喜多門(北門)を入ると時に見えていた、ここの御祭神である「和気清麻呂公の銅像」で、京都御所に向かって真っ直ぐ立っています。
護王神社の境内の北側には末社が三社並んでありますが・・・ここの末社は他の神社とは少し違ったところがあって・・・。
西側から見てみると、警察や消防で職務に殉じた人ををお祀りする警察消防招魂社のようです。そして右隣には・・・。
先程の銅像に比べたら随分、小さな御祭神の“和気清麻呂公像”こちらは石造りでした。そして、その手前には・・・。
私は“仏足石”だと思ったんですけど、ここは神社ですよね、神仏習合かとも思いましたが・・・ここの御利益は“足腰の守護”それでしょうかね、分かりませんが・・・。
再び元に戻って、和気清麻呂公像の右隣には「久邇宮家御霊殿」が1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座され、ありました。
最後が「祖霊社(近衛社)」で、護王神社の歴代宮司、神職、役員総代の霊を祀られてるとか、前に案内板がありました。
境内の東北角には「伊勢神宮遥拝所」がありますが、東に向いて参拝となりますが、実際の伊勢神宮は、東南の方向でしょう。
次に境内を見回すと聖鳳殿に、今年の干支“戌の絵馬”が架かってました。昨年末に撮りに来たかったけど行けなかったので、遅くなりましたが撮れました。
その横が拝殿です。その前には“狛猪”が安置されています。雌雄一対の狛猪ですが、1890年(明治23年)に護王神社のシンボルとして安置されました。
ここには11時前に着いたので、境内には多くの参拝者が来られています。非常に写真は撮りにくい状態でしたが・・・それでも拝殿廻りをゆっくり見学、そして入口の方に行き・・・。
表門をくぐった右手に「幸運の霊猪(手水舎)」があって、ここが空くのを待ってました。猪の口が霊水が出てきます。
次に、参りですが参拝者は中門の前で二礼二拍手一拝で参拝します。本殿は、この奥で屋根しか見えません。
2015年(平成27年)9月12日(土)では、私の膝が最悪で傷みに耐えていた時期でしたし、母も膝と腰を悪くしてたので、ここにお参りに来ました。私はすっかり良くなったのでお礼参りに来た次第です。
次に、古い御守りを返して(本当は1年に1回と言われてますが、約2年と半年守ってもらいました。)守礼授与所に行きます。
御守りとか朱印とかで数名並ばれてましたが、ここで我慢です。いつもなら並ぶのが嫌で帰ってしまうですけど。
この日は見なかったんですけど、授与所の横が社務所でそこには「全国から奉納された猪コレクション」がガラス越しに展示してあります。
御守りをいただいたら、もう少し境内を散策です。最初は、本殿の南側ある祈願殿(きがんでん)で、ここでもお参りをします。
この中には、和気清麻呂公命と和気広虫姫(わけのひろむしひめ)命の御神像が安置されてるようです。そして、ここの左側を見ると・・・。
すっかり忘れてましたが、チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだもの・・・凄いでよね・・・忘れてましたが。
次に“祈願殿”の右下に注目です。「願かけ猪」と「座立亥串」といい、猪は招魂樹(おがたまのき)の根本に居ます。自分の願い事を書いた紙札を挟んで、それを串し立てるそうです。
さらに右には“霊猪(れいちょ)の手水舎”があって、何か違和感を感じてたら・・・家に帰って2015年(平成27年)9月12日(土)の写真と見比べると“いのしし”の位置が左右逆転してました。
その手前には「足萎難儀回復の碑」があります。足腰の病気やけがの回復を願って祈願するそうで、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。
最後は境内の東側の散策です。最初に目に付いたのは金色の文字で大きく書かれた石碑で「針の碑」と読めます。
毎年2月8日に行われる針供養祭(はりくようさい)で、普段使っている縫い針を柔らかい蒟蒻に刺して労をねぎらい供養し、針仕事の上達を祈願するものです。
次に右隣に移動し「吉井勇歌碑」です。金色の文字に詠まれた歌が刻まれています。ここの奥にある“カリンの木”(御神木)を詠んだようです。
その御神木“カリンの木”を相当引いて撮りました。御遷座当時からあり、樹齢は100年を超え、1974年(昭和49年)、京都市の「名木百選」に選定されました。その果実は「ぜんそく封じの御神木」として知られています。
帰りは烏丸通りにある表門から出ました。時間は10時55分になっています。向かいが京都御所ということもあって、外国人観光客が目立ちます。
ここから蛤御門から京都御所に入って、広大な京都御苑を横切り、約10分で清和院東駐車場に着きました。時間利用は約2時間程度でした。ここから何処も寄らずに帰路に着きました。
【護王神社 社務所】
毎朝6時30分から始まる「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」で、10時ままで放送されてますが、私は7時過ぎまで・・・毎日、楽しんで聞いてます。
笑福亭晃瓶さんと中村薫さん。二人のパーソナリティーの、絶妙の掛け合いが面白いです。そうこう思いながら下長者町通りの角に10時44分着きました。
ここから下長者町通りを西に入り喜多門(北門)から境内に入りました。2015年(平成27年)9月12日(土)には足腰の“御守り”をいただきに来て以来です。
喜多門(北門)を入って右手には護王会館があって、その前に“日本一のさざれ石”があります。最近は、どの神社でも見かけるようになった、国歌「君が代」に詠まれる「さざれ石」のことです。
喜多門(北門)を入ると時に見えていた、ここの御祭神である「和気清麻呂公の銅像」で、京都御所に向かって真っ直ぐ立っています。
護王神社の境内の北側には末社が三社並んでありますが・・・ここの末社は他の神社とは少し違ったところがあって・・・。
西側から見てみると、警察や消防で職務に殉じた人ををお祀りする警察消防招魂社のようです。そして右隣には・・・。
先程の銅像に比べたら随分、小さな御祭神の“和気清麻呂公像”こちらは石造りでした。そして、その手前には・・・。
私は“仏足石”だと思ったんですけど、ここは神社ですよね、神仏習合かとも思いましたが・・・ここの御利益は“足腰の守護”それでしょうかね、分かりませんが・・・。
再び元に戻って、和気清麻呂公像の右隣には「久邇宮家御霊殿」が1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座され、ありました。
最後が「祖霊社(近衛社)」で、護王神社の歴代宮司、神職、役員総代の霊を祀られてるとか、前に案内板がありました。
境内の東北角には「伊勢神宮遥拝所」がありますが、東に向いて参拝となりますが、実際の伊勢神宮は、東南の方向でしょう。
次に境内を見回すと聖鳳殿に、今年の干支“戌の絵馬”が架かってました。昨年末に撮りに来たかったけど行けなかったので、遅くなりましたが撮れました。
その横が拝殿です。その前には“狛猪”が安置されています。雌雄一対の狛猪ですが、1890年(明治23年)に護王神社のシンボルとして安置されました。
ここには11時前に着いたので、境内には多くの参拝者が来られています。非常に写真は撮りにくい状態でしたが・・・それでも拝殿廻りをゆっくり見学、そして入口の方に行き・・・。
表門をくぐった右手に「幸運の霊猪(手水舎)」があって、ここが空くのを待ってました。猪の口が霊水が出てきます。
次に、参りですが参拝者は中門の前で二礼二拍手一拝で参拝します。本殿は、この奥で屋根しか見えません。
2015年(平成27年)9月12日(土)では、私の膝が最悪で傷みに耐えていた時期でしたし、母も膝と腰を悪くしてたので、ここにお参りに来ました。私はすっかり良くなったのでお礼参りに来た次第です。
次に、古い御守りを返して(本当は1年に1回と言われてますが、約2年と半年守ってもらいました。)守礼授与所に行きます。
御守りとか朱印とかで数名並ばれてましたが、ここで我慢です。いつもなら並ぶのが嫌で帰ってしまうですけど。
この日は見なかったんですけど、授与所の横が社務所でそこには「全国から奉納された猪コレクション」がガラス越しに展示してあります。
御守りをいただいたら、もう少し境内を散策です。最初は、本殿の南側ある祈願殿(きがんでん)で、ここでもお参りをします。
この中には、和気清麻呂公命と和気広虫姫(わけのひろむしひめ)命の御神像が安置されてるようです。そして、ここの左側を見ると・・・。
すっかり忘れてましたが、チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだもの・・・凄いでよね・・・忘れてましたが。
次に“祈願殿”の右下に注目です。「願かけ猪」と「座立亥串」といい、猪は招魂樹(おがたまのき)の根本に居ます。自分の願い事を書いた紙札を挟んで、それを串し立てるそうです。
さらに右には“霊猪(れいちょ)の手水舎”があって、何か違和感を感じてたら・・・家に帰って2015年(平成27年)9月12日(土)の写真と見比べると“いのしし”の位置が左右逆転してました。
その手前には「足萎難儀回復の碑」があります。足腰の病気やけがの回復を願って祈願するそうで、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。
最後は境内の東側の散策です。最初に目に付いたのは金色の文字で大きく書かれた石碑で「針の碑」と読めます。
毎年2月8日に行われる針供養祭(はりくようさい)で、普段使っている縫い針を柔らかい蒟蒻に刺して労をねぎらい供養し、針仕事の上達を祈願するものです。
次に右隣に移動し「吉井勇歌碑」です。金色の文字に詠まれた歌が刻まれています。ここの奥にある“カリンの木”(御神木)を詠んだようです。
その御神木“カリンの木”を相当引いて撮りました。御遷座当時からあり、樹齢は100年を超え、1974年(昭和49年)、京都市の「名木百選」に選定されました。その果実は「ぜんそく封じの御神木」として知られています。
帰りは烏丸通りにある表門から出ました。時間は10時55分になっています。向かいが京都御所ということもあって、外国人観光客が目立ちます。
ここから蛤御門から京都御所に入って、広大な京都御苑を横切り、約10分で清和院東駐車場に着きました。時間利用は約2時間程度でした。ここから何処も寄らずに帰路に着きました。
【護王神社 社務所】