東寺と対をなしたてた西寺跡へ

3月14日(水)は、出勤前に東寺と対をなしたてた西寺跡に寄りました。家を出る時間は、ほぼいつもと同じでも、会社には1時間遅れてで入ることになるので・・・要するに時間つぶしをした訳です

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ここには7時51分に着きました。これでもいつもより50分程度遅いんですけど唐橋西寺公園内にありますが、犬を連れ散歩されてる方が数人・・・そんな程度です。

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小高い丘に石碑が建っています。「史蹟 西寺阯」と書かれており、ここに、かつて西寺があったことを示しているのでしょう。

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この石碑の裏側に回ると“大正15年6月建設”の文字が・・・1926年・・・約100年近く前ですよね。ここの廻りは住宅街です。

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また違う角度で石碑を撮ってます。この石碑の辺りには、かつて大伽藍のうち講堂が建っていました。

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小高い丘の上には、何処か分かりませんが“礎石”が3個・・・置かれています。2016年(平成28年)7月13日(水)の訪問時には気が付かなかったことです。

平安京への遷都から間もない796年(延暦15年)頃に、平安京の入口にあたる羅城門の西側に、東側の東寺と対称に造営された官寺でした。金堂・講堂を中心に南大門・中門・五重塔・僧坊・食堂(じきどう)などの建ち並び、国家の寺として隆盛を誇りました。しかし、西寺は東寺に比べて早くから衰え、1233年(天福元年)には塔も焼失し、以後は再建されることなく地中に埋もれてしまいます。1959年(昭和34年)以来、数多くの発掘調査が実施されて建物跡や屋根に葺かれた瓦、使われていた土器なとが次々と発見され、この周辺地下に平安時代の伽藍がほぼそのまま眠っているが明らかになりました。かつての寺域は、東西250㍍、南北510㍍に及び、僧坊・講堂・金堂・中門などの主要伽藍跡は、現在の唐橋西寺公園から、南の唐橋小学校にかけて見つかり、今も地下に保存されいます。これらは平安時代の寺院として貴重なだけでなく、東寺とともに平安京を復元する上で大変貴重な遺構です。この貴重な遺跡を後世に継承するために、近隣の住宅地においても、建替の際には地下の遺構を傷めないよう注意が払われています。

案内板を抜粋したのが、前回ですが、今回は全て書きました。間違い無く、この地下には西寺の遺構が眠っています。

追記、3月30日(金)に再訪してみると・・・。

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公園の北側にある桜は、既に散り始めてました。南側の桜は、今が見頃でしたが、数が・・・少ない・・・これ1本です。今年は、記録的に開花が早く、満開も早かったです。

【西寺址 案内板】



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